自分の身体の健康・心の平和・意識の自由に対して、
「愛する」ことはみな逆になり、
恋の病、恋の葛藤・恋の不自由がそうだ。
ここで、
大事なのは愛し方であろう。
相手も、健康・平和・自由を求めていることを認めることから始まるのがいい。
もし、
相手の健康・平和・自由を損なう愛し方は即やめることであろう。
そうでないと、
自分も相手も、破壊へ導くことになるからだ。
最低でも、相愛でないと、愛することは禁物である。
片思いでも、自分を縛ることになるので、必然的にエゴ愛に陥りやすくなるので注意。
自己犠牲愛は、
社会の支配者を喜ばすだけで、英雄とおだてられるが、自分の命を捨てることは殺人と同じくらいの破壊力がある。
忠義というのは封建社会のようなピラミッド社会の道徳である、それは宗教の洗脳と同じであり、支配者を喜ばすだけで、かえって、社会の自由度を狭めてしまう、偽愛である。
神を愛することも禁物だ。
神という絶対者に対する命を差し出す行為と心は、自分の命も心も、意識も支配されてしまう。
神はすべての人の心に中にあり、70億の人間がいるのだから、その心身の中に神はいることになり、70億の神が存在することを認めることが大事であろう。
そうしないと、
神への信仰は政治や権力者の支配者に操られ、信者が自爆テロも辞さないようになるので、
自分の心身の中の神以外の他の神を愛したり、信じたりすることは自己や社会を破壊へと導かれるので注意した方がいいだろう。
こうした
愛がもっとも価値のあるかのように叫ばれるとき、
それがどんな愛なのかを十分注意して、
それが自由・平和・健康・命のつなぎになるかをチェックしながら愛していくのがいいと思える。