忍耐と努力 やれやれ

ダイエットが一年と4か月で5キロリバウンドしてしまった

そして7月の14日の満月までに再ダイエットして

なんとか健康体重にもどした。

最初と同じ方法ではうまくいかないので

新しい方法で、元にもどした。

その経験と学習から、いかに健康な体にもどすかを実証して、

このテーマを書き終えた。

理論は実証できないと空論になってしまう。

言行一致ができてこそ、役に立つ言葉であろう。

それにしても、

ダイエットは一生かかって研究し実践していくほど奥が深い

その追及は自分の身体だけでなく、精神や社会の健全化にも

つながってくるように思える

五月の満月は曇り

ここ二か月、ウクライナ戦争のニュースに気になって

どうしたら、戦争から平和へと切り返しできるかを考えていた。

いろいろな動画を造り、

五月の非合理の智は最終日の満月にできた。

来月は

忍努の呪文をテーマにしたく思っている。

ともあれ、

けさは

共に生きて、共に死ぬなかれ!

という言葉が浮かんだ

体重がリバウンドしてしまい、さらに手が固くなってつかめにくい。

そこで、

忍努の気合で、手足を動けるようにやってきて

元気もでてきた。

慌ただしく春が来た

3月の満月の日ぎりぎりで

今月の「生まれ変わる準備」完成した。

新ウイルス騒動よりも、

ロシアのウクライナ進攻の方が世界を騒がせている

そのあまりの惨状に

命が軽々しく奪われていることに

傷心して、自分ができることを

とにかく、

生き残ることの大事さを発信してみた

人は古今東西変わるものと変わらないものがあるようで、

それが

どういう戦争をするかで、

解ってくるように思える。

まさかのまさかの

日々が起きていることを

特に実感できる

冬から春への世界模様である

生き抜く知力を急遽アップ

はんとうに世の中、まさかまさかの展開である。

ウクライナ戦争が起こり、それが今最も懸念する世界の関心事になった。

そこで、

自分なりに、自分ができることをやってみた。

自分がプーチンやゼレンスキーだったら、どうするか?

それを学んだ武道から考え、その道を示した。

これは単なる独り言にすぎないくらい小さな小さな考え方であるが、

自分が71年間で得た知力でもある。

(^▽^)/

2022年も毎満月に自己対話を

その月の満月は望月として、下記のWEBで解る

https://www.ajnet.ne.jp/diary/

一月(満月は18日)のテーマは「食が命を制す」として始めた

それにしても

新しい世界が次々と見えてくるのには驚く

頭の中だけだと、知恵が進みにくいが

言葉にして、論理的に展開すると知恵が整理できて驚くような世界が見えてくる

71歳にして、まだまだ新しい世界が見え続けるというのはまことに不思議な感じがする

制作一年過ぎて

アイデアを出すブレーンストーミングをコミューン化した「As One]」

そのネットミーティングをキッカケに「Soul Meeting」のサイトを

ZOOMミーテングで2020年12月に制作した。

誰も参加することがないことを機に

「自分の心身との対話」として、自身の思索に切り替え、

その進行は毎月満月の日に発表(実行)してきた。

そして、

一年目のタイトルが「生まれ変わり」となり、

心の底から幸わせ感がこみ上げてくるようになっている。

本当の自分に出会えた観がある。

それはまた本当の他の人との出会いにもなっている。

70歳から71歳になった一年の月日はまさに

自分という存在が「意志・精神・身体」の三構造からなり、

新陳代謝して生まれ変わっていく姿を観じることができている。

身体は食事から、

精神は事実から

意志は生まれ変わりから

次の2022年を迎え、

この一年を生き抜いてみようと希望する

それにあたり大事なポイントは

他に伝える内容よりも、

他にどう伝えるかという表現方法にある。

その一表現として、

動画創りも何とか基礎もできあがってきた。

組織・金銭・著作権などの権力から自由な表現者同士が寄り添い

真実と自由と楽しさを共有できる時空間・仲間たちに

参加・参画していきたいと願う。

昔のゴリラ便もまだ生きており、

それを活用して、

そんな無料の分かちあう仲間づくりをしていきたいと思う。

ゴリラ便のモットーは

「手紙・プレゼントを送る」のではなく、

それを「どう楽しく贈るか?」ということであるから

ピッタリと今後の方針と重なってきた。

(⌒▽⌒)やっや\(^_^)/たるでー(⌒▽⌒)

恩送り

9月21日の満月のための自対話「自信を持って生きる」

ができたが、一つ当たり前のことを書き忘れた。

何度もトライするにあたって、

同じ繰り返しをせずに「やり方を変えて」

何度でもやってみるということ。

これは二度と同じ失敗を繰り返さないで成功するコツである。

目的・夢を変えてさらにトライするのは最終手段である。

来月の10月4日は私の71歳の誕生日である。

子への遺言の細かい点の更新をして動画にするつもりである。

それで、思いついたのだが、

子への遺言は、いわば 私が親から受けた恩を子へ送ることである。

自分のこの世に生きぬいた日々だけでも成功した奇跡でもある、

自分から愛する他人に「生きぬいた教訓」を伝えることは

戦争の残酷さの体験から「二度と戦争をしない」ことを後世に伝えることと同じであり、

それが「恩送り」に繋がってくる。

命の炎は自分一代で燃え尽きるのではなく、愛する人に命の炎をつなぐことが

自他一体として、地球に生きる人類としての個々人に課せられた仕事だろう。

この地球で生き残る人類に必要なのは

進化しつづける教訓・学びであろう。それこそが、次の世代に伝える真のDNAであろう。

知恵の遺伝子を後世に伝えるのが恩送りであると言えそうだ。

真実不悟から自然な命の姿へ

23日は満月がよく見られ、24日は雲で満月がよく見えなかった。

オリンピックが始まり、ついついテレビをみてしまう。

オリンピックの面白さは、勝ち負けを争うゲームである。

だが、あまりにそれで夢中になって観戦していると、本来の

ともに生きる力を養うという意識ではなく、勝負にこだわる姿から、

弱肉強食、金メダルをえた人が偉いという意識が強くなる。

いかにともに生き抜く意識をしっかり持ち続けるかが

命ある人類が地球に生き残れるかが決まってくるだろうと思う。

生死を超えてタイムトラベル

昨日の満月の夕べは孤独死の後始末について模索していた。

孤独死した本人には死後の周りにいろいろ問題を投げかけることは

まったくわからないが、生前にそうした事態を予測することはできただろうが、

自分の人生だけを考えるだけで良しとすると、

自分を支えている関係者社会へかける問題が見えなくなる。

だが、自分の生死を超えてタイムトラベルすると、生前の反省や未来の予測も可能になる。

それによって、今の自分しかできないことが解ってくる。

孤独死した人を世間は可哀想だと思うかもしれないが、

孤独を楽しむ者にとって、孤独死になることはとても幸せなことである。

「ピン コロリ」という笑い話があるが、生きているときはまったく病気せず

ピンピン健康に楽しみ、突然、自分の意識がなくなり、コロリと死んでしまう。

こうした死に方が孤独の生き方をしている人にはベストの状況だろう。

だが、周りの者にとって、関係ない人にとっては、可哀想と感じるが、関係ある人にとっては迷惑に感じることが多いだろう。

社会にとっても、孤独死した後の問題を反省することによって、社会をどう整備していいかが予測タイムトラベルし、今の状況を改善する道も開けてくる。

うちのアパートの借り人が1か月近く孤独死してしまったことで、初めて、事前にやるべきことを知った。また、後始末のことも法的にどうしていいかも、模索できた。

こうした予測・反省・改生をするのは人間だけでないように思える。

今パンデミックになっている新型コロナだって、どんどん変異して生き延びようとしている。

この変異する生き方は、意識がある生物にとって、生き抜く進化であり、絶滅する退化でもある。

その人の自由は関係者にとって不自由になるし、逆に、その人の不自由は関係者にとって自由につながってくる。

ともに、自由に生きるには、ともに自由に生きれる道を整備することが欠かせない。

なぜ命ある者が意識をもって、タイムトラベルできるかはこうした命をつなげていくには必須だからであろう。

来7月のテーマは、真実不悟になりそうだ。

タイムトラベル意識が正常に機能するには、最初の設定を

真実不悟にしないと、ともに自由に生きられる社会が機能しづらくなるからだ。

五月の満月は曇りで観えず

人は何を本当に求めるか?

それが健康・平和・自由であると解り、それを演繹して、

個性と社会のテーマまで来た。

自分でもびっくりした発見は

「神仏が個性である」ということだ。

数千年にわたって神(また仏)が人類を創造し、支配しているという観念に縛られている。

それと180度逆転の発想をしたのである。

地球の周りを太陽が回っているから、太陽の周りを地球がまわっているという180度逆転の発想と似ている。

インド哲学におけるもっとも核心的なことは

神我と個我の一体である。神我は宇宙の創造者また真善美であり、個我は人間の個人のエゴのして想定されている。

だが、私はその180度逆転の発想をしたのである。

神我は個人の心の中にあり、外にはない。

人はいままで神仏を求め、そのようになりたいと願っていたが、それが自分自身の心にあり、自分自身の個性を求め、実現することが本当の意味での、神と一体、仏に成るということでもある。

そのため、

今生きている70億人の神仏がそれぞれの心に存在し、それが個性として耀くとき、神仏に近づくか一体化していくことになるという方が自然な生き方であり、他人との宗教や民族、国の戦争などはしなくなる。

個性には優劣はなく、比較もできないからである。

70億の個性はバラバラのようで、それが世界の人類や社会の歯車のように「持ちつ持たれて」いるということである。

人体の細胞のような存在が個性である。

個性が神仏であるという発想はネットで調べる限り、私だけのように思える。

個性と社会をさらに演繹してくと、

なんと、

過去現在未来へと永遠に一方向に進んでいるといういうのがほぼ人類の数前年にわたっての常識である。

だが、

時間のそれも、意識という時空間を超えて、それが脳の記憶からとしても、把握できるということである。

意識はタイムトラベルできる。

そこから、来6月のテーマが自ずと決まった。