武道と憲法9条
1. ダイエットの技法

ダイエットの技は、基本は禁煙や禁バチンコ(ギャンブル)と同じ依存症からの脱却技法にある。

多くの依存症脱出法は、「それなくしでは生きられない」幻想を、「それなしでも生きられる」真実に切り替えることで実現する。
ダイエットは逆で、「食べなくしては生きられない」真実があり、「食べなくても生きられる」幻想があり、真実を幻想に切り替えることは逆効果のリバウンド、さらなる肥満、増大するストレスで、心身とも病魔に侵される危険がある。

だが、ダイエットを「食べ過ぎ依存症」と定義すれば、他の多くの依存症と同じ脱却技法が通用する。
「必要以上食べないと生きられない」幻想を、「必要最小限食べれば生きられる」真実に切り替えるのがダイエット最上の技法である。

依存症脱却技法は環境設定と自分の意識力(意志力)の二つが重要である。

ダイエットの場合、必要最小限以上の食べ物は買わないという環境設定と、健康値に向かうための必要最小限の飲食と運動をするという意志力をつける両輪で動くことが基本技法である。

2. 武道は殺人剣から活人剣に

剣は人を殺す武器であると同時に、人を活かす手術具でもある。
剣はいわばダイエットにおける最小限の食事と同じ生きるに必要な最小限の道具でもある。
また、
ダイエットにおける健康値が武道においては人を殺す戦争は病気であり、人を活かす平和は健康である。
すなわち、
武道は人を活かす最小限の武器を持ち、必要以上の武器も、ましてや人を殺すための武器など持たないことであり、
目的を人を殺す戦争ではなく、人を活かす平和へと意志を明確にして強く生きることにある。

憲法9条においても、戦争の放棄、また防衛であっても、敵を殺しての正当防衛ではなく、敵を殺さないで、自分を殺さないことである。
敵を殺しての防衛は必要以上の見せかけの正当防衛であり、それは逆に敵を殺されまいとするさらなる殺人鬼に膨れさせてしまうものである。
自分を殺そうとする敵であっても、その敵を殺して自分を守るのではなく、敵を殺さず、自分の身を守る武器と意志が必要最小限の正当防衛である。

将棋においても、敵をやっつけても、殺さず活かすことで、歩が金になるように、大いなる味方力になる。
それはゴミがカネになるようなものである。

どんな悪人であれ、その意志が逆転すれば最上の善人にもなれる可能性があるのが、常の世の中である。
どんな無駄であれ、それがもっとも賢い選択になる可能性があるのもまた世の不可思議さでもある。
ピンチはチャンスという切り返しは様々な生活で応用できる引き返しの技法(問題解決学)でもある。
3 勝つことは 致さねど 負けぬ術は 心得候

あの武蔵が挑んだ柳生石舟斎の次男が柳生但馬守宗矩である。
柳生宗矩の言葉に

「勝つことは 致さねど 負けぬ術は 心得候」

とある。

この精神は相手に攻撃をけして仕掛けないで、受け身だけを行う武道としては合気道がある。

この受け身を重視する武道の精神は、今の憲法9条に生かされている。

武道において、勝つことは「相手を殺す」ことであり、負けぬということは「自分は殺されない」ということである。
つまり、
究極の武道の極意は
殺し合いではなく、共に生きる選択をする意志にあるといえよう。


4 日本国憲法 前文

日本国憲法全体の前文に、憲法9条の平和への祈りが中心にあることが解る。



「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことにのみ専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達することを誓ふ。



5 憲法9条

第2章 戦争の放棄

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

第9条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条の平和憲法は、国際紛争において、殺し合いの勝ち負けによる紛争解決はしないということである。
それは死刑反対制度でもいえて、
悪人を殺すことで、その最終解決をしないという人権重視刑法でもある。

平和と健全な社会の目的は「共に生きる社会の構築」であり、そこに、共に殺し合うことも、悪人を殺すようなことはその目的には逆行する行為として認められないということでもある。


6 欧州における死刑廃止の取り組みと歴史
欧州は人権思想の発祥の地である。

その流れをくむ欧州諸国は、第二次世界大戦後まもない1949年に欧州評議会という国際機関を設立し、いち早く人権・民主主義・法の支配の推進に動き出した。

翌年、同評議会は「人権と基本的自由の保障のための欧州条約(以下「欧州人権条約」)を採択し、世界で最も尊重される人権機関の一つとしての道を歩み始めた。

その後も条約に議定書を附属することで新たな権利を追加し、

1982年には平時の死刑の廃止を規定する第6議定書を採択、

2002年には第13議定書で「戦時を含むすべての状況における死刑の完全廃止」を規定している。

EUは10月10日の世界死刑廃止デーに合わせて「欧州死刑廃止デー」を設定し、域内のみならず全世界で死刑廃止キャンペーンを繰り広げている

欧州人権条約とは別の欧州連合(EU)独自の法的取り決めとして、2002年に調印され、その後2009年発効のリスボン条約によって、条約と同等の効力を持つこととなったEU基本権憲章には、「何人も死刑に処されてはならない」との規定がある。

今や、EU加盟28カ国はすべて死刑を廃止している上、死刑廃止はEUの加盟条件となっている。EUは欧州評議会と力を合わせて、欧州のみならず、全世界的な死刑廃止にも取り組んでいる。
2007年12月、10月10日の世界死刑廃止デーに合わせて同日を「欧州死刑廃止デー」とすることを宣言した。

欧州諸国の中で現在も死刑を執行しているのは、ベラルーシ1国のみである。



上記において、戦時下の死刑廃止ではあるが、それは戦争において、敵を殺すことは死刑と同じであるということが明記されていないことが残念ではあるが、死刑は国が判断するが、戦争において、敵を殺すことは兵隊自身が敵の死刑を実施することと同じである。
また、国は兵士に対して、敵の死刑を強制しないことも、死刑廃止に盛り込まなければ、論理的にも、人道的にも、国際的にも、矛盾した死刑廃止制度になると言わざるを得ない。

7. 自分の身を守る第一のコツは相手を殺さないこと

自分を殺そうとする相手を殺してもいいという正当防衛ははたして、本当に自分の身を守ることにつながるだろうか?
もし、反撃して、相手も殺されまいとして自分をなんとか殺そうとやっきになる。それはさらに相手を興奮させ、殺人の意志を強くしてしまうことの方が多くなるのではないだろうか?

とくに、戦争においては、正当防衛をすればするほど、憎しみ、怒りは増大し、当初の目的とは別の敵の殺人そのことが目的化してしまう。
たとえ、殺し合いに勝利したとしても、また、次の時代がくれば、負けた相手は勝った相手を殺して支配しようとする。その繰り返しが、古今東西の歴史の証でもある。

自分の身内が殺されたとしても、殺した相手を殺しても、自分の身内が生き返ることはない。ただ、殺した相手を殺すだけのうっぷん晴らしにすぎない。

人を殺す解決方法はもっとも馬鹿な方法であるだけでなく、もっとも問題を大きく複雑化させてしまう逆効果である。

「共に生きる平和と健全な社会を目指す」ことで、、
「人を殺すこと、殺し合う選択」はまったく逆の「共に死ぬ戦争と、病的地獄社会」を構築する方法になってしまうことを確認することが必要である。



8. 武道は平和への祈りに

7月31日から8月8日までの9日間、ラストサムライ道中5人旅の宿泊などの準備をしていたら、なんと予定していたユースホステルは1週間前から全部予約で満杯であり、急きょ、他の国民宿舎やゲストハウスをあたったが、ほとんど予約満杯であった。
やむをえず、広島の知人のところに二泊、奈良でゲストハウスが一件予約できた。
これほど寝床が確保できることがありがたいことだということが解ったのは初めてである。
衣食住というが、食と寝床は同じくらい生活では重要なのがわかる。
食は活動に、住は睡眠に欠かせない。それがはっきりと意識できた。

しかも、今回のラストサムライ道中は8月6日は広島の原爆投下の平和記念日にあたり、その式典が催される時期と重なっていたのは、偶然にしても、武道の目的が平和維持であることをまさに象徴する奇跡的な日と場の一致である。

NO MORE HIROSIMA.
NO MORE HUKUSIMA

NO MORE WAR
NO MORE DISASTER

NO MORE NUCLEAR
NO MORE NUKES

これが、武道の平和維持への叫びであり、祈りであることがわかる。