愛と自由 
1自由と愛
真実は自分の体の健康と心の平和と意識の自由にある
意識と言葉で創られた快楽・信仰・思想・理想などはみな幻想である。

そこから、
自分の心身と意識の自由が真実ならば、他人の心身と意識は当然真実であり、他人の意識と言葉で創られた考え、快楽、思想、宗教 理想は幻想であると言える。

自分の心身と意識の自由さと他人のそれとは真実として平等である。
自他がつながるのは愛ゆえである。

2愛とは
愛とは何か?
動物の性欲と同じように人間の男女の性心(性欲だと快楽の幻想欲望になる)愛の基本であり、それは命を明日につなぐ命としての心身の繋がりでもある。
夫婦そして子が生まれて家族ができる、それが最小単位の社会である。

この愛は現在の人間70億の半分の35億の男女それぞれから1人の異性を選びだす。
35億分の1という自由とは真逆の制限するのが愛である。

愛とは相手を支配しようとするエゴでもある。
しかしながら、自他ともに自由と平等が真実であるため、相手を支配、制約しようとする行為は幻想である。

真実が愛が成立できるのはお互いの自由と平等と認めたときだけである。
相思相愛だけが真実の愛となり、片思いや支配や契約は錯覚幻想エゴになる。それが幻想であるために、たとえ結婚しても、離婚に、また家族崩壊になる。
社会の最小単位が夫婦また家族であり、それが相思相愛という自由と平等を認めた真実の愛でつながればその社会は健全であるが、支配や不平等や強制においてつながれば、病気となり、それを改善しないかぎり、その家族も社会は必然的に崩壊する。

こうした相思相愛という真実の愛に始まりも終わりもなく、お互いの健康と平和と自由を目指して努力する行為が真実の愛である。

夫婦 家族 社会も、お互いの自由と平等と平和を目指す心と行為が真実の愛の生き方である。

自分の心身の健康と平和と意識の自由と同様に、他人の健康と平和と自由を求めていく心と行為が愛である。
3.個人と社会
個人の群れが社会である。
社会が一部の個人やグループが権力支配した場合、
個々人の健康・平和・自由が脅かされ、不健全な病的社会になってしまう。
そうした病的社会になった場合、
一匹オオカミのようにその群れ社会から飛び出し、自分の健康な体、平和な心、自由な意識を守ろうとする。

これはメダカの群れが迷路にはまり込んだ時に起きる現象と同じになる。
古今東西において、個人の健康・平和・自由を脅かす国が崩壊し、新しく社会の健康・平和・自由の国を創り出そうとする一リーダーによって、建国されていく。
それは真実の愛(お互いの健康と平和と自由を求めあう行為)によって、健全な家族が生まれるように、幻想なる愛によって結びつく家族は崩壊するようなものである。
4.健全な国造り
憲法や支配者が不健全な場合、
新しく、個人の健康と平和と自由をめざした国造りが必要になる。

日本の政治の三権分立の
行政は健康、内閣は平和、司法は自由という方向性をだしてまとめるとよいだろう。
また、
多数決による決議は多数の暴力に走りやすくなるので、
その決定がより健康か、平和か、自由かで判断される方が健全な国造りが進む
5.自然さとは
  この世界に絶対的なものは存在しない。
移り行く姿だけがあり、それが幻想から真実へと向かう波動のように、始まりも終わりもなく進んでいく。
健康・平和・自由が人間の目的であっても、それが一時実現したとしても、そのままで維持することはできない。
究極的な目的に終わりはないからだ。
我々の命が約80年という寿命があるように、生きとし生けるものには永遠の命は存在しない。生死を繰り返しながら命をつなげていく波動のような姿が命であるからだ。
自然さとは、固定化した絶対的な人間の幻想ではなく、山から河が流れるように、流動的な人間の生死のように、身体は病気と健康、求心は戦争と平和、意識は強制と自由を繰り返していき、常に新しい健康さ、平和さ、自由さが現実化するのが真実である。
6.性と愛
性交と愛は身体と心のように密接な関係にある。
70歳の男になって
「一体いつまで射精できるものなのか?」
女性に排卵が終わる閉経があるのに、男性には射精がおわる閉精がないのか?
勃起しても、射精できるとは限らない。
そして、
それを観察していると、
勃起しても、射精がなくなった時期がきた。
精子の量は少なくなってゆき、次第に枯れていく感じがする。
だが、日数がたつと、精子は生成されてくるのかもしれないが、あきらかにその終わりは近づいているようだ。

2年前のことである。
68歳の私が、なんと20歳の女性に病気になるような恋に落ちたことがあった。
それが、どうしてそんな欲望が生まれるのか悩んでしまった。
20歳の女性が68歳の老人の恋の相手などしなかったので、幸いに一年ほどで、恋の病は癒えた。
老人の恋が激しい性交を望むのも、意外であった。
そして、性交を望まない70歳の老人になって初めて気が付いたのは、
いわば、
命を尽きる瞬間に、走馬灯のように、若い自分を思い起こし、「できなかったことをやろう」とする燃え盛る情炎だったと。

離婚してから、20数年にもなったことも影響しているのかもしれないが、
20歳の女性がなんども生まれ変わって出会い一緒になる運命の人のようにさえ感じたのだから、それも摩訶不思議だった。

だが、そうした48歳さの年齢差の病的恋の終わりが、精子が尽きたときに、やってきた。
病的な恋はまさに性欲に深く関係していたことが理解できた。

身体の性欲が枯れてくると、性愛から離れた「人を愛すること」の大きな広がりを感じるようになってきた。

人とのコミュニケーションだけでなく、いろいろな試合の競技もまた愛する姿にみえてきた。

自由競争のように、どうして勝敗という結果にこだわった競争を人は望むのか?
それは自由と平等の愛からすれば、勝敗にこだわるのは病的愛にしかならない。

でも、競い合いはもっとも楽しいコミュニケーションのように思える。
それは大人と子供の競争のように勝敗が明らかにわかるのは真実の競い合いではなく、平等に相手の自由と尊厳を守り、かつ、勇気づけが本当の競い合いであり、自由と平等を求めあう姿が「愛すること」である。

性交もまた、そうした男女の平等と自由があってこそ、命を健康に育むことにつながっていく。
性交も相愛があってこその、真実の愛を育むことができてくる。
エゴの恋愛は暴力がつきものの病的なものである。

7 メモ
   何のために生きるのか
 Xに代入

鶴亀算 求める答えではないもので計算する

はんだ付け 手順が大事

筋肉と骨 ピラミッドは固定化
地球はどこも中心である

夫婦は元は他人
子供も血縁とは関係ない性格と人生が形成されるのは赤の他人で
同格 平等だからである
それ故に 子供がいなくても、他人の子供を養子にもらっても、家族関係は同じである。

帰納法だけではただの否定でおわる。
最後に否定できない明らかな存在を演繹で構築していくと新しい真実の社会が形成される

一つ一つ動画で説明すると伝わりやすい

神を奉り 信奉するなら、
神は自分の心の中にいるというのはどの宗教も認めている。
ならば、
神は自分の心の中に、その心は身体の中にある
つまり、
神に捧げる行為は自分の身体でなければならないし、
人間のすべての身体の中に神は存在する。
人を殺すことは神を殺すことであり、悪魔的行為である、どんな理由であれ、
他人の身体と自分の身体の心の中にいる神が最も大事な命の源泉である。

自他の身体以外の場にいる神はみな幻想であり、それにこだわるために、無益な闘争が起きてしまう。

そして、神は人間の数だけ存在するのは、個々人の身体の中に神がいるということから自明の理である。

真実の愛で人々がつながれば、健全な社会ができあがる。
同時に、健康と平和と自由を根底に、また目的にして、社会が動いているかチェックし、
政府が病的に動いている場合は、国民一人一人が健康と平和と自由を愛を意識して、行動していくことが必要である。
政府といっても、みな国民であるから、政府の武力的行為する政府要人も、公務員も、その一人独りに、自由と健康と平和と愛を求めていることも、知って、敵対しても、けして殺し合わないようにすることが必要になってくる

身体の構造のように、社会は本能的築かれていることも、しって、どうすれば、病気な身体から健康な身体になるかを比較しながら、社会を検証していくことが健全な社会を守ることになる。

愛の接着剤
パイプの凹凸は両方につけないと、うまくつながらない。
それは相愛でないと繋がらないということでもある。

自由と愛は反対方向に動くが、相愛だけは、お互いの自由がつながり、協力しあと、より多くまた大きい自由を得られる。


8.プレゼン 
  愛と自由