伝えるということ

1.伝えるということ 
   モノは言いようである。
発する人の顔や態度やその言葉のアクセントやその時の状況とかで、
その言葉の意味が違ってくる。逆になる場合も、その言葉以外に意図する内容だってある。

 文字も、その文字通りに解釈すると、本意が受け取れないことも多い、
それは、文字の抜粋によって、意味することが逆にとられられることもある。
文字は、その文章全体から、また、その時代の状況によって、その真意が違ってくるからだ。

それ故に、
言葉や文字や行為の大本になっている心に注目することが必要になる。
その心をどうやって伝えるかということが
伝える内容よりも重要になるのは
命の本質でもあり、言行の本意でもあり、伝わる結果よりも、伝え方に文化や喜怒哀楽の命の花がある。



2.恩送りから金送りへ 
   心を返す義務感は苦痛を生み出す。
それは資本主義を形成する金銭の貸し借りが貧富の格差と金力支配を生み出す原因になってしまう。
金銭を共に助け合う心として働かせるには、
資本主義ではなく、心主義に変更し、その心は恩返しのような借り貸しではなく、
恩送りのような「金は天下の回り者」のような人類全体に行き渡る血液のような存在にしていくことが必要であろう、

身体の血液循環は無意識によって行われているように、
人類の金銭はAIによる自動システムで動くようにできるものである。
そこに人為のような奪い合いが起こらないように分かちあう働きを設定できるものである。

金銭の発行と回収はAIで自動的に行えるように設定可能であり、
その金銭の世界の回り方にいろいろなアイデアや喜怒哀楽の文化文明が花開くことができる。
3.以心伝心 
   心をもって心を伝える意である
その心は文字や言葉を介することなく伝えるという意味でもある。
だが、
共に生活をしていれば、文字や言葉を介さなくても、その行為や態度や生活習慣でその心を伝えることができるが、
共に生活していなければどうやって伝えることができるだろうか?

数か月前に孤独死の後始末をしたことがあるが、
その遺品を整理したり、死後も家賃の自動払い込みが継続されていることを確認すると、
その人も心を受け止めることが出来た感がある。

それは言葉や文字ではなく、生きざまから、生涯を通じての心を誰かに伝えることができる。

シリア難民の子供の遺体が海辺の流れ付き、その写真をとらえて、それが世界に大きな衝撃を与えた。
その死の一枚の写真が文字や言葉でなく、心を伝えたことになる。

世界に大きな遺産として、数前年も心を伝え続けている釈迦やイエスは自分では一切、文字も言葉も残してしない。
弟子が書きとめたものが経典として残り伝えているが、その解釈によって、大きく諸派にわかれ、戦争にもなってしまう史実がある。
アラーの神の言葉も文字も残っていないし、その存在すらも確認されていない。
だが、
そのアラーの神の心を受け止めて文字として残したのがマホメットのコーランである。
そのコーランの解釈によって、やはり諸派にわかれ、中にはとても、アラーの神の心とは思えないような自爆テロを起こす信者と政治家がいる。

そういう古今東西の史実から、
本当の心を伝えるには、文字や言葉ではなく、
心を以て心を伝える方がより本物に近くなり、
また、その心を受信するのは言葉や文字ではなく、自分の生き方を示すことで、
以心伝心の真意が伝わっていくといえるように思える。

心を以て心を伝えるとは

生きざまによって心を伝え、
生きざまによって心を受ける。

ということである。



争いの始めには
いつも言葉と文字がある

言葉は
それを語る人
その時代と環境
その定義と概念
それらの違いによって
多様に意味が変り、
時には逆の解釈になるから

争いを治めるには
言葉や文字に囚われないで
伝え・受ける以心伝心がいい

自分の真心をもって
その人の心に伝え、
その人の真心を受け取って
自分の心に収める
以心伝心が一番確か

言葉や文字に寄らずに
以心伝心受心するには

自分の一生の生き方
その人の生涯の生き様
そのままを
示し伝え受ける

シリア難民の子供の亡骸が
海岸にたどり着いた一枚の写真が
世界を大きく変えたように

4.正確に言葉で伝えるには 
   言葉だけでは信用に欠けるので、
それは裁判のように証拠や事実を示しながら、意見と事実とその背景も示しておくというだろう。
言葉も、
5W!1Hをきちんと具体的に簡潔にしてまとめておくことが必要だ。
また、

その内容に合わせた感情や心もともにすると伝えやすくなる。
音楽や演劇や写真・動画なども入れると、さらに解りやすくなる。

相手が理解しやすい状態の言葉や文字だけでなく、いろいろな表現を使っていくことが必要だろう。

この伝え方においては、
まさに古今東西違ってきており、また、個性あるものも必要になる。
自分の姿を鏡で知ることができるように、
自分の心を伝えるにはまさに自分しかできないような伝え方がもっとも効果的であるように思える。
それこそが、文化文明になりえるものであろう。

伝える相手の状況・環境も、考慮して
その言葉と文字の使い方を工夫することも正確に伝える方法である。

5.人類と個人 
  一個人の細胞の一つ一つとの対照すると、
人類全体と一個人の対照を映し出す。
例えば、
世界のどこかで戦争をしているとすると、
自分の身体の一部が怪我をしているような感覚になってくる。
病気が健康を教えるように、
戦争は平和を教える。
死はまた生を教える。

つまり
病気は健康の方法を伝え、
戦争は平和の方法を伝える
死は生きかたを伝え教える

身体の小さな一部が癌になった場合、
それが転移して、身体全体に拡がった場合、身体全体が死に追いやられる。

それは
一個人の癌が、世界全体の癌に拡がってしまうようなものである。

その伝わり方は民主主義ではなく、
少数意見が多くの意見とともに大事であることを示している。

伝わり姿は電波のような波動である。
その波動はプラスマイナスゼロを繰り返す運動に、遺伝子情報のような組み合わせがそこし違って、載せられていく。
遺伝子情報の一つでも、組変ったり、削られたりするだけで、まったく違った生命の姿が生じていく。
その中で、生き残る種もあれば、絶滅する種もある。

今後人類がどのような道を歩むかは、まったく未知であり、ただ、なんとか生き残ろうとする試行錯誤の繰り返しであろう。

ただ言えることは、
失敗を二度と繰り返さないような生き方を選択するように、
次の人類に伝えていくというのが、もっとも優先されることであろう。

 
6.殺さねば殺される時 
   正当防衛においては、
相手を殺さねば殺される状況であり、許される。
だが、
その相手が本当に自分を殺そうとしたかは不明であるとき、
それは正当防衛とはいえず、勘違いかもしれないので、
常に正当防衛が倫理的な正義かどうかは確かではない。

軍隊における
言われた敵を殺すように指示された場合、
軍隊では上の者に対して、絶対服従である場合、
はたして、その敵を殺すことは倫理的正義であろうか?
はたして、その敵が本当に、自分たちを殺そうとしているのか、また敵であるかどうか
それは上の者の判断であり、それが信用できるかも問題である。

そもそも、
どんな状況であっても、人殺しは犯罪とした方がより合理的な判断ができる。

軍隊で、極端な場合、
その軍隊から逃げようとした場合、殺されてしまう場合がある。
軍隊の上からの命令を拒否した場合、死刑になる場合もある。
これはまさに恐怖政治と同じで、
命令に絶対服従しなければ殺される状況である。
そうした状況下では、
病巣の軍隊やプラミッド社会構造においては、自由なる行動が死刑に値するほどの異常な社会であろう。
そこに倫理的正義はないといえる。

さらに、
自分の愛する人を殺さねば、殺すとおどされた場合、
本当にその人を愛するならば、自分が殺されても、愛する人を殺さないだろう。

また、
ある人を殺さねば、自分の愛する人を殺すと脅された場合はもっとも卑劣なおどしになる。

また、
指示する人を殺さねは殺すと脅迫された場合も、卑劣な状況である。

こうした卑劣で悲惨な状況下において、
どのような判断をしていくか?

自分の命は自分で守るというのが基本であり、
他人の命はけして奪ってはいけない。
この二つを守った行動をとるように、その時その場で、アイデア・知的行為をしていくことが倫理的正義であろう。


「・・・ねばならない」という、他人からの言葉には強制と脅迫があるので、
十分注意して、やりそごせるように日頃から訓練しておくのがいいだろう。
合気道や柔道のような「柔よく剛を制す」方法が「自分の命と自由を守る技術」になってくる。
それが
「相手の命と相手の自由を守る技術」にも応用できるように、日頃から、頭と行動で訓練できるようにしておくことであろう。

それこそが、
本当の教育また自衛隊につながることになりそうだ。
7.どう死ぬか? 
   どう生きるのか?
それは老境に入るとどう死ぬか?
という問いに代わってくる。
不治の病に侵されたときの心境に似てくるが、
違うとすれば、予定される生きられる時間が長いか短いかであろう。
どう生きたか?
どう死んだか?
それが最初で最後のメッセージであり、他とくに後世に伝える生き様死に様である
老後を健康であることに終始求めてきたが、
それは、一日中というより生活習慣になってくると、
余裕ができてきて、
雑務がある方がそれに夢中になることができてより楽しくなる。
冬が近づくと、
畑仕事も、冬眠のようになってきて、やることが少なくなってくる。
すると、
人間はテレビやビデオをみることで、時間を過ごすことになる。
だが、
そのテレビやビデオの内容そのものに満足できなくなると、
自分で映画や動画を作ってみたくなる。
自分が納得いけるだけの映画や動画など、芸術的なことがしたくなる。
昔やりたかったことをやる最高の人生の終わりかたがあるというが、
実際は
昔やりたかったことがやりたくなくなり、
今やりたいことをやりたくなるのである。

伝えるということが、
生き様死に様であることは、自分のやりたいことをどう表現するかということにかかわってくる。
今の自分の心境を自分らしい伝え方、表現をするのが、どうやら芸術的なことで、文化文明になり、
後世の人または、生まれ変わりの自分に伝える、刺激。感動させることかもしれない。

8.生と死の織糸 
   
生がいつまでも続かないように
死もまたいつまでも続かない
生と死はコインの表裏の存在であり
片方だけが無限に存在することはない
輪廻転生する魂が残るというが
魂は自己の記憶と考えれば
死で記憶がリセットされ
新たな生で似たような人生を築く
絶対的で変化しない自我などはあり得ない
宇宙を形取る物質でさえ 
誕生の光と死の影を繰り返すように
そこから産まれた命なら尚更であろう
喜びと悲しみ
楽しみと苦しみ
身体のように心も明暗を織りなす
9.真剣に取り組めば無駄はない 
   一瞬に命がある。永遠は幻で空しい。
何事もその一瞬に真剣に取り組めば無駄はない。
何事もその一瞬に命をかけて取り組まないと、そのすべてが無駄になる。
それが無駄かどうかは
その内容ではなく、それを真剣にやるかどうかである。


仏教の本質が空や無であるとするのは、
仏(悟った人)を目的や永遠の真理や極楽三昧に仮定したからである。
悟る人も、永遠の真理も、極楽三昧も幻であり、それこそが空虚であり、無駄な内容になる、
凡夫が一瞬の命の炎を真剣に燃やすことの喜怒哀楽が意義あることである。
10.自分の経験を伝える 
  自分の人生を他に伝えるのが本当に伝えたいことである。
自分の一生涯を伝えることと、
自分の一経験(一つの事実との出会い等)を伝えること
それが他に伝えるということである。
 
11.起承転結 
   4コマ漫画はまさに俳句の面白さである。
また、笑いの基本的要素が起承転結である。

起承転結の起が仮定であり、思い込みである。
承が仮定を発展推理させた演繹.である。
転が事実また真実であり、緊張から解き放された幸福感の笑いである。
結がその事実真実の解放から生まれた新たな自分の生き方である。

この4コマの起承転結が命を伝える核心炎である。
12.命を伝える 
   何を人に伝えるか? その人が家族 友人であれ、また他人であれ
何を伝えるというのが本質かといういうことである。
その本質は、
言葉や文字は表面のことだけであるが、
深く考えれば、自分の命そのものを伝えるということであり、
命を伝えることが、命全体の絆であり、
また、命全体また、命の新陳代謝して転生していくための脈動であると思える。
13 メモ
   5w1h
何が目的か
伝わり、伝える
伝え方は子孫の一つだけでない
山川草木
生活事実の日記が
命を伝えるレシピ
転ばぬ先の杖
心配は挑戦すれば消える
やればできると同じ原理
伝え方 受け取り方が個性
個性ある生き方が最も伝わり、受けとめられる
(個性なき授受は勘違いと洗脳と右往左往とパニックの原因となる)


疑問点や気になることを
すぐに解決しようとするか? 
しないか?

孤独死は
自分がいつ死んでも
他に迷惑かけないようにしておくだけの問題である。
幸不幸は問題ではない

偽死刑制度が必要
最高刑が無期懲役を基本にして、その中でも疑似死刑にもっていく
こうして、反省して 生き直すチャンスを与えることが大事だ

人は人を裁けても、
どんな理由があっても、人は人を殺しても、自殺しても いけないという意識が必要になろう。

多くの悲惨な原因になるのが、戦争や人殺し犯罪ではある。
そうした社会を是正するには、 
人を殺すには自然だけであり、人は人を殺すことはどんなことがあってもならないということを
徹底すれば、より平和的解決策が生まれてくる。
短絡的に殺して解決しようとするところに、問題がこじれてくることになり、
不自然な原因になる。

こうした人は人を殺さず、自然にまかせることを意識することは、
死に対する意識もかわってくる。

死はなく、生まれ変わりがあるというようにかわってくる。

こうした死が甦生にかわることは、植物を観察すれば必然の理であることがわかる。
また、
生まれ変わりの意識を基本に社会を構成していくと、
多くの悲惨な問題が解決していく社会がうまれていく。

伝えるということは
命を伝えるということであり、
それは
自己の死はなく、自己の生まれ変わりがあるということを伝えるということでもある。

生まれ変わりを真実にすることで、世の中が平和や幸福が拡がっていくならば、
それを真実として信じていくのが生き抜く知恵であろう。

真実は人を救う。
神が人を救うことはない。
真実を求めることが
人を救う道を発見することにつながってくる。

来月のテーマは「生まれ変わり」にしよう。