持続可能な農業
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1.序文
持続可能な社会とか持続可能なエネルギー(再生可能エネルギー)という場合と
持続可能な農業とはその内容と問題点がかなり違ってくる。

持続可能な農業は日本では
1.安全面
2.経済面
3.作業従事者が少ない
4.一般の人が農地を買えない法律
5、グローバル農業で、海外の大規模農業や気候で、低価格の農産物が輸入されること
6.日本の場合 ほとんどが山であること
7.その他
作物には故郷
稲は亜熱帯の水辺が故郷
麦は温帯の草原が故郷
それぞれの作物にはその故郷があり、その環境が個性を活かす。
作物の個性も、その土地の個性も、その国の個性もその作物と土地(環境)で決まる。
その個性環境に合わせた農業が必要。
土地や国を離れた個性作物の輸出入が基本になるだろう。
輸出入はちょうど船の荷の行きかえりを一杯にして往復した方が最も効率的のように
輸出入は同額を基本にすれば、片方が富、片方が貧という格差がなくなり、ともに持続可能な農業工業交流ができる
 作物とその風景(観光)はセット
モンゴルの遊牧で生産される馬羊牛とその風景をセット・・作物と観光に売り買いする。
ジャングルの作物、その動物植物との風景をセットで売る・・作物と観光のセットの売り買いで
輸出輸入の農業工業情報の等価交換が実現しやすくなる。
農業遊牧体験ツアー
農業生活そのものを体験ツアーとしてセットで売り買いする

現住民族 
 昔ながらのその現住民族も、そのままの個性として、その生活そのものが観光と体験ツアーをセットですれば、
友好と、文化保存、経済的豊かさも、その文化生活の豊かさも同時に 実現できる。
 工業化ではなく自然化
 例えば、花粉の授精で、ミツバチをつかった方法を優先するような 動物、虫、バクテリアなど それらの共生した農法をすることで、異種生物の交流促進する自然農法にすることで、生命の循環ができ、持続可能な農業ができる
健康も食物から
 化学薬品ではなく、漢方薬とか食物による治療法
薬作物農業を発展させる
スポーツは労働へ  
 いおいろなスポーツを労働にあわせた健康体操のようなものに変化する
労働運動、労働歌のように、労働しながら歌い、踊れるような文化生活へと変化させる
   
今までの持続可能な農業の方向性 
   
 なぜ持続可能な農業を模索しだしたか 
   遺伝子組み換え食物が世界を支配してしまい、それまでの生態系で生きられる食物の危機があるためではないか。
世界は多種多様な食物生産していかないと、自然環境がくずれ、やがて砂漠化してしまう。
 状況把握 ウイキペディア

 農林水産省
 (1)地球温暖化対策への貢献

   (2)環境保全に向けた農業の推進
   
 

社会を支える「持続可能な農業」の展開

 
   
   
 

ARDEC55 / Opinion:「持続可能な農業」の展開と可能性

 
   
    農地保全のためにも、畑作と畜産を並行して行うミックス農業が推奨されている
   
   農業の成長によって貧しい人々を減らせる効果は、農業以外の産業に比べて約2倍くらい
   

2.北欧のサバ漁 
 
日本のサバの漁獲量の経年変化
 
 
 
  北欧のサバの資源量と漁獲高 
 
  赤い実線が北欧サバ資源量の推移。2005年以降の増加がはっきりと わかります。約2百万㌧から3百万㌧へと増加。実際の水揚げ数量も、 資源同様に大幅に増加しています。 

ノルウェー鯖の水揚げ量は、英国の乱獲が止まった2005年(11万トン)以降回復してきており、いただいたコメントの「26万トン(1994年)から11万トン(2005年)まで落ち込み、12万トン前後のまま低調。」という内容は正しくありません。2011年の漁獲は20万トンで2012年は18万トンと、2005年に比べて大幅に増加しています。

 実は、乱獲摘発後の資源回復というこの2005年のケースこそ、資源の減少は、環境の変化などではなく、乱獲に主原因があり、乱獲を防げば資源は回復すると筆者に確信させた出来事だったのです。

   乱獲が持続不可能な漁業にする。
   

3、イースター島の歴史が教える人類の未来 
 
  現在

島の人口は約4000人。島内には、チリ海軍が駐留し、数ヶ月に1度は物資とともに海兵隊もやって来る。

鉄道は敷設されていないが、主要道路については舗装されており、
島内の主な交通手段としては、乗り合いバスもしくはタクシーが、主な公共交通手段として、島民や観光客に利用されている。
観光客には、レンタカー、レンタルバイクも利用されることが多い。

島内には、レストラン、ホテル、ディスコ、ガソリンスタンド、ビデオレンタルショップ、学校、病院、博物館、郵便局、
放送局(テレビ局3局、ラジオ局1局)等の施設が整っており、島の暮らしは至って現代的である


最初の移民が辿り着いたのは4世紀~5世紀頃だとされている。
10世紀頃にはモアイも作られるようになったとされる。
島の全周は60kmほどの小さな島にも関わらず、1600年頃には人口1万人に達しようとしていたと言われている。
人口の増加で、火を起こすための薪や家のために木を伐採する。
そして、モアイを作ったり運んだりするために、やはり木を伐採して丸太にした。あるいは船を作るためにも木を伐採した。

伐採するための石器は豊富にあり、人々は競うようにして森林を伐採し続けたのである。
平和の中でのモアイ作りは突然終息する。
モアイを作り、運び、建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によって森が失われ、
その結果、肥えた土が海に流出し、土地が痩せ衰え、人口爆発と深刻な食糧不足に陥り、
耕作地域や漁場を巡って部族間に武力闘争が生じるようになる。

部族抗争が頻発、果ては食人にまで及んだといわれる
1650年頃からたびたび深刻な食糧危機に遭遇したと思われる。このため食料争奪を巡って部族抗争が頻発、果ては食人にまで及んだといわれる。
その証拠としてこの時代の地層から多くの武器やバラバラに砕かれた人骨が発掘されている。

守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊した

巨大なモアイを建造した民族とは見えなかった
1722年、オランダ人のJ・ロッグベーンが欧州人として始めてイースター島を訪れたとき、
島は一面草原に覆われていて樹がなかったと報告している。
島民は草ぶきの小屋や洞窟で原始人的な暮らしをしており、とても巨大なモアイを建造した民族とは見えなかったという。

人口は約600人
1774年、クック船長が訪れた時、島民が武器を手にして闘っているのが目撃されており、当時の人口は約600人だったとされている。
この時は、各部族の象徴と考えられていたモアイのほとんどは、力の宿る眼の部分を潰され、引き倒され、
文明の終末を物語る風景であったと伝えられる

奴隷として連れ出された
18世紀~19世紀にかけてペルー政府の依頼を受けたアイルランド人のジョセフ・バーンや、タヒチのフランス人の手によって、
住民らが奴隷として連れ出された。また外部から持ち込まれた天然痘が猛威を振るった結果、
人口は更に激減し先住民は絶滅寸前まで追い込まれ、1872年当時の島民数はわずか111人であった。

 
 

4.古代小麦 
spelta wheat
 
   歴史

ディンケルの起源(赤)と成長領域(緑)。赤い楕円形は、綴りが突然変異によって作成された可能性のあるおおよその領域を示します。

アルメニア西部とアララト山脈の谷(紀元前6〜5千年)からの綴りの最も古い発見。
その他の発見からあるブルガリア(3700 V。chrです。)、ルーマニア(ハーマン、Koros文化)[2] 、ポーランドと南スウェーデン(2500年から1700年、V。chrです。)

そして、デンマーク(1900年から1600年、V。chrです。)[ 3]で新石器時代(特に内の中央と北ヨーロッパで綴られたアルプス栽培スペース)、考古学的発見。

[4] 1700年代からのV。彼は今日のドイツ語を話すスイスに来ました前に。18世紀に重要な取引作物が綴られていました。単語綴らは地名に表示さDinkelsの Bühlのと綴ら破片や腕のそのコート(3つの耳)。これは、この穀物がどれくらい推定されたかを示します。

成熟する前に既に刈り取られている伝統は、夏の野外作業のための栄養豊富な主食の必要性から来ています。緑色のカーネルと呼ばれる未成熟の穀物は貯蔵できません。なぜなら、それが乾燥、すなわち乾燥されているからです。Grünkernは焼くことができず、スープやGrünkernküchleに加工することができます。

20世紀には、作物収量が悪かったために栽培が減少しました。
さらに、綴じられた穀物は、処理が難しく、技術的に焼き付けが難しい。
近年では、この穀物は、特にオーガニックセクターでは、おそらく多くのアレルギーの人々から評価されているため、再び特定のルネサンスを経験しています。

ディンケルは現在、小麦や幼児や幼児の食べ物によく使われています。ディンケルは中世の神秘的なヒルデガルト・フォン・ビンゲン(Hildegard von Bingen)に頼る現代のヒルデガルト医学の不可欠な部分です。[5]


栽培

綴られたものはますます近年再成長しています。
ドイツの面積は5万haを超えています。
スイス(5000ヘクタール)の面積は2014年から2017年にかけて41%増加した。[6]一般的な栽培地域は、バーデン=ヴュルテンベルク(品種:Bauländerが綴られ、シュヴァーベン粒)、スイス(品種:Oberkulmer Rotkorn、Ostro編)、ベルギー(スペルト小麦、Rouquin)、フィンランド(Speltti)とアストゥリアス、スペイン北部(Escandaが)。

またブルゲンラントの中心部には、以前に強く代表された穀物の一つが綴られています。
精巧な栽培のために、栽培は戻ってきましたが、1980年代になって再びますます代表されました。

このため、Mittelburgenlandの綴りがオーストリア伝統食品登録簿に追加され、その地域はオーストリアのGenuss Regionに含まれていました。[7] 様々なフランク粒がピーター・フランクによって生成された成長し、名前は地域でありフランケン何もします。

現時点では、冬のディンケル品種のみが栽培されている。
ドイツで承認されたSommerdinkelsorteはありません。最も重要な繁殖の目標は、現在、耳の安定性です。

したがって、短いスペル品種が有する(フランク粒子とZollernspelz)長いスペル品種に勝る利点(Oberkulmer RotkornとBauländerが綴ら)。

綴られたものは小麦のように多くの肥料窒素を許容しません。
収量の中で小麦の後ろに綴られた葉が、これよりも荒い気候に耐えることができます。

彼の以前は、普通の小麦よりも病気抵抗性が優れていると主張していますが、今日の品種にはもう適用されません。綴られた品種のほとんどは、うどんこ病 (Blumeria graminis)および茶色のさび病 (Puccinia triticina)に非常に敏感である。[3] 麦角は、しかしながら、より低い危険性を提供する。[8]

ディンケルの3つのタイプが経済的に重要である(Frank 2006による):[9]

フランケンコーン(Franckenkorn) - 小麦の内容を持つ古い品種の戻し交配で、
Oberkulmer Rotkorn - 古いスイスの土地の品種の選択、
シュヴァーベン穀物 - 繁殖リターンホーエンハイム大学のさまざまなレッドチロリアン。
品種Oberkulmer RotkornとSchwabenkornは、通常「純粋な」綴り品種です。他方、フランケンコーンの場合、コムギの典型的なω-グリアジンの検出によって、交雑交配が実証され得る。[10]

UrDinkelは特定の作物から綴られたスイスの共通ブランドです。それは、現代の小麦と交差していない古いスイスの品種を独占的に使用することを保証します。

 
スペルト小麦の教科書より


スペルト小麦は、現在広く利用されているパン小麦(普通小麦)の原種にあたる古代穀物です。
最近の研究によってスペルト小麦は、9,000年以上前にヨーロッパで栽培されていたことが証明されました。
イタリアではスペルト小麦をFarro(ファッロ)と呼び、ドイツではDinkel(ディンケル)、スイスではSpelz(スペルツ)と呼んでいます。 

(1) 人工的な品種改良がほとんど行われていない

遺伝子操作はもとより、人工的な品種改良が殆ど行われていません。
品種改良は、「多収」「良質」「安定」という人間側から見た理由のみで行われ、原種とはずいぶん違ってきます。
特に主食として消費されている「小麦」と「米」は最も品種改良が進んでいます。
古代小麦は強健な植物で、極端な天候異変及び土壌条件に対処することができます。
その穀粒の例外的ともいえる厚い皮殻は、汚染物質や昆虫から内部の穀粒を守ります。
又、古代穀物であるがゆえに化学肥料、除草剤、殺虫剤や農薬を殆ど用いることなく栽培することが可能なのです。

(2) 小麦アレルギーを発症し難い

(小麦アレルギーは発症者の条件が千差万別のため、医学的に立証することが難しいとされています。
ヨーロッパにおける30年間の経験値によると、小麦アレルギーを持っている人が食しても85~90%は発症していません。
但し、グルテンフリーではありませんので、必ず食べる前に医師のアドバイスを受ける事が必要です。

(3) スペルト小麦の健康への期待

普通小麦とは対照的に、スペルト小麦に含まれている栄養的に重要な物質は穀物の内部で見つかります。
普通小麦では重要な栄養物質は表皮と胚芽に含まれていますが、それらは通常全てが製粉工程中で除去されてしまいます。
従って、スペルト小麦は身体にとって必須の栄養素をより多く提供できるのです。

1. 普通小麦に比べてわずかながら蛋白質が良質であり、リジン、スレオニン、メチオニンなどの必須アミノ酸を含んでいる。
2. 普通小麦と比べてスペルト小麦は腹腔病の要因とされる蛋白質(オメガ・グリアジン)が少ないため消化し易く腸腔病を発症し難く、
また高齢者や病弱の方にも安心である。しかし、他の蛋白質との相同生の見地からすると、
慢性腸疾患と認められた人には問題を起こすことも 考えられる。
3. 主にフェノール化合物からもたらされる心地よい風味豊かな香りは、普通小麦にはみられないものであり、
このフェノール化合物は人間体内では、自然の抗酸化物質(ポリフェノール)として働く。
4. 各デンプン中の違ったレベルの蛋白質のため、デンプンの分解が普通小麦に比べてよりゆっくりと行われることが期待される。
つまり、低グリ コーゲンであり、また糖尿病患者や変動血糖値の人に対して良いと云われている。
 小麦の種類
         
         スペルト小麦
 小麦の品種改良の歴史



 
   小麦の歴史と遺伝子組換え

 人類が最初に栽培していた小麦は、植物学の分類では1粒小麦のアインコーン(Einkorn)と思われます。

 1万〜8500年前の先土器新石器時代には、野生の麦と栽培した麦の両方を混ぜ、小麦も大麦も区別せずに食べていたようです。
最初は、麦に豆や雑穀が混ざったものを石と石の間にはさんで製粉し、水で練って焼いて食べていたと思われます。


 品種改良で殖えた染色体

 その後アインコーンは他の1粒小麦のクサビコムギ(Aegilops sguarosa)と交雑し2粒コムギになりました。

 このとき通常染色体の数が14本(2n=14と書く)ある1粒小麦の染色体に突然変異があり、染色体が28本(2n=28)になって2粒小麦ができました。

 染色体が2倍になるのは人の細胞でも一時的に起きていることで、1つの細胞(2n)が分裂して、2つになるとき、細胞の染色体が一時的に2倍(4n)になります。

 ふつうは、この染色体が2つに分かれ、もとの染色体数をもつ、2つの細胞(2n)になるのですが、このときに突然変異が起きると、染色体が分かれなくなることがあります。これを4倍体といいます。

 ふつうの細胞の1個だけに、このようなことがおきても生物自体に変化はありませんが、受精卵に突然変異が起き、4倍体ができると、すべての細胞が2倍の染色体を持つ4倍体になります。


 古代主食だった大麦

 紀元前6500年頃になると「土器」を使うようになり、粗挽きした麦を「おかゆ」にして食べるようになりました。「おかゆ」には小麦よりも大麦が適していたため、古代エジプトの古王国、中王国時代には主食は大麦でした。

 紀元前5500年頃に栽培されていた2粒小麦のなかまのマカロニコムギ(T. durum)は1粒小麦の野生種のタルホコムギA. squarrosaと交雑し、普通コムギ(T. aestivum)が生まれたと考えられています。

 2粒小麦は染色体数28本(2n=28)、1粒小麦では染色体数14本(2n=14)です。通常は異種植物間で交雑はおきませんが、ここでも突然変異がおきたと考えられます。普通コムギでは染色体が42本(2n=42)にまで増えました。普通コムギは1粒小麦から見ると6倍体になります。

 こうしてできた普通コムギの栽培はメソポタミア地方で始まり、紀元前3000年にはヨーロッパやアフリカに伝えられました。


 偶然だったパンの誕生

 古代エジプトで始まった「パンづくり」の話は、あまりにも有名です。ある時、こね終えた生地をつくって放っておいたところ、この生地は大きく膨らみ表面には泡が出ていました。

 面白半分に焼いてみたら、大変香ばしく軟らかくておいしい「パン」ができたという話です。これこそが、現在の私たちが食べている「発酵パン」の始まりで、生地が大きく膨らんだのは天然の酵母菌による働きだったのですが、当時の人たちは神に感謝してパンを「神からの贈り物」と崇めました。

 この出来事からパンが急速に広まり、「大麦」から「小麦」への主食の転換は決定的なものとなりました。


 本格的に広がった小麦の栽培

 古代のエジプト人は豊穣の女神としてアイシスを、後世のギリシア人はデメターを、ローマ人はセレスを農業や穀物の女神として礼拝し、小麦からできたパンを神からの贈り物として崇拝しました。

 聖書の中にも頻繁に「麦」や「小麦」が登場し、重要な作物であったことがわかります。聖書の中で小麦が最初に登場するのは、最初の書である創世記(30章14節)であります。

 日本への小麦の到来は、中国から朝鮮半島を経由して伝わり、弥生式文化の中末期には小麦や大麦が栽培されていました。当時、小麦のことを、末牟岐(まむぎ)または古牟岐(こむぎ)と称していたようです。

 小麦の大生産地であるアメリカ大陸へは16世紀に、オーストラリア大陸へは18世紀にヨーロッパからの移民がその種子を持ち込み栽培が始まりました。


 品種改良とは何か?

 品種改良とは、家畜や栽培植物などにおいて、より人間に有用な品種を作り出すこと。具体的な手法としては、人為的な選択、交雑、突然変異を発生させる手法などを用いる。

 品種改良は必ず遺伝子の改変を伴うので、人工的に遺伝子を変える遺伝子組換え技術も含まれる。

 家畜にしても栽培植物にしても、その歴史は数千年に渡るといわれるが、おそらくはその間に、より人間に有利な特徴のあるものを選び、それを優先して育てることがあったと思われる。

 小麦等については、数種の原種の間に生じた雑種であることが確かめられているから、恐らくその間に偶然に生じた雑種を、特に選んで育てた経過があったはずである。


 遺伝子組換えとは何か?

 遺伝子を人工的に操作する技術を指し、特に生物の自然な生育・増殖過程では起こらない型式で行うことを意味している。

 細菌などの遺伝子の一部を切り取って、その構成要素の並び方を変えてもとの生物の遺伝子に戻したり、別の種類の生物の遺伝子に組み入れたりする技術です。

例えば、細菌の持つ除草剤の成分を分解する性質を発現させる遺伝子を、植物の遺伝子に挿入することで、除草剤に強い作物を作り出すことができたりします。


 品種改良と遺伝子組換えの違いは何か?

 遺伝子を変えるという意味では品種改良も遺伝子組換えも同じです。

 遺伝子組換え技術を応用することで、生物の種類に関係なく品種改良の材料にすることができるようになりました。 従来の交配による品種改良でも自然に遺伝子の組換えは起きており、人工的に起こした遺伝子の突然変異を利用することもあります。

 遺伝子組換え技術が従来の品種改良と異なる点は、人工的に遺伝子を組み換えるため、種の壁を越えて他の生物に遺伝子を導入することができ、農作物等の改良の範囲を大幅に拡大できたり、改良の期間が短縮できたりすることです。

 しかも変わる遺伝子は従来の品種改良と違って、安全で正確な遺伝子の改変方法が確立しています。(ジーンターゲット法など)

小麦アレルギーを発症し難い

現代の小麦を食べると体調が悪くなってしまう人におすすめなのが、品種改良をされていない古代小麦。
古代小麦は現代の小麦に比べ、全般的に消化が良く栄養豊富。
また、小麦アレルギーやグルテン不耐症、セリアック病の症状も出にくいと言われています。

ただし、100%症状が出ないわけではないので特に小麦アレルギーとセリアック病の方は充分注意してくださいね。

古代小麦は硬い皮殻を持つため病気や害虫に強く、無農薬でも栽培しやすいというメリットがあります。
実際、古代小麦を使った製品を見てみると、有機認定されたものや無農薬のものがとても多いです。

グルテンに含まれるグリアジンによる影響
その1
様々なアレルギー症状の原因にも 
  その2
気づけばあなたもグルテン中毒?! 麻薬並みの中毒性とは 
 
昔の小麦ではこのグリアジンの含有量はとても少ないことが分かっています。

実際に小麦アレルギーの人であってもスペルト小麦などの古代小麦であればアレルギーの症状が出ないという方も多いのだそうです。

また、デンプンの分解も現代の小麦に比べてゆっくりなので血糖値の上昇も比較的穏やかである点もポイント。 
非腹腔内グルテン感受性:全ての小麦の攻撃はセリアックではない 
 
新たな治療戦略として、古代の二倍体小麦種(
例えば、Triticum monococcum ssp。)を、一般的な小麦と比較して使用することは、根づいている[  ]。Gianfraniら[  ]。インビトロ胃腸消化後のセリアック病患者におけるこれら小麦タンパク質の低毒性を実証した。より新しい研究では、これらの古い小麦変種と近代小麦との区別が示されている[  ]。古い小麦変異体は、近代小麦と比較して低い生物活性および低いATI濃度を示すことが示されている[  ]。機構的に、現代の小麦は、腸のタンパク質分解に対して高度に抵抗性であるTLR-4活性化ATISの高いレベルを有することが観察された[ ]。NCGS集団における古代コムギ変種の使用を促進するためのこれらの研究の適用は、この疾患における治療戦略の進歩の主要な一歩となるだろう