タイムトラベル

1,時間とは 
  時間は一直線に進むと思い込まれているが、
もし、それが真実ならば、人間の意識もその一直線に支配されていることになる。
ならば、意識は過去も未来も知ることができなくなる。
過去と未来が人間の脳の記憶野の幻想にすぎないとしたら、
その記憶野も時間に支配されていることが真実ならば、記憶に過去も未来も その痕跡や原因となるものさえも消えてしまうことになる。

2000年前の人にとって、地面はまっ平で、どこまでも地平線が続くと思い込まれていた。
だが、それと反する現象や事実を観察すると、今では当たり前となった円い地球が地面となった。

時間は天地の姿とは遅れて、その真実の姿が把握されてきたともいえる。

一日は地球の自転一回転であり、一月は月の地球を巡る一回転であり、一年は地球が太陽をまわる一回転である。
そして、
その太陽さえも、銀河をめぐり、銀河も宇宙を巡るという流れが時間を把握させてきている。

光が粒子であり、波であると確認されてきている。

時間は、一直線に動く粒子のようであり、回りながら何層にも回る波のようだと考えることもできる。

巻貝のような渦を巻くようにめぐっていき、
最終的には、円い地球のように、最初にもどる無限ループのようではないか?

時間が一直線に進むのでなく、渦巻くように元の時間に戻るという宇宙時間と仮定した方がより現実味がする。
 
     
 
     
   
2.時間・意識・命  
  世界のすべてを数字に置き換えることはできない。
1+1=2 という数学も、命をもつ男1人と女1人と結婚し子が産まれるとしたら、1+1=1また0また2また3また4・・と確定しない。
数学や科学の知識範囲は世界全体からすれば実に狭い領域に過ぎない。

こうした学者の見解は「群盲象を語る」ような笑い草のようなものとなる。

私がなぜ時間が一直線に進むのではなく、意識のように、時空間を超せる姿ではないか?

今の自分を形成するのは過去の原因だけではなく、
未来の目的が原因となって、今を形成していくといった方が自分の姿により近くなる。

今の自分は常に新陳代謝して、常に新しい自分に変わってきている。
過去の自分とはまるで正反対の生き方をする他人のようになっていることも感じる。

それに、
死ぬという一方向性では自分をとらえきれない。
また、生まれ変わる、他人のように生まれ変わるとした方が現実的である。
植物を観察すると、生まれ変わる方が自然であり、一生一死であり、かつ多生多死であるといえる。
生まれ変わるのが自分ではなく他人だとしたら、現実どこでもいつでも起きていることだ。
しかも、自分という存在は、せめて一日の自分だけであり、過去未来にわたって 新陳代謝した他人であるというのが科学的である。

自分という存在は単にこだわりから生まれた想念・一時の観念にすぎないように思える。 

生きていく方向が常に死の世界だとしたら、まったく命の存在を否定することになる。
生きていく方向が生死を何度もめぐっていく無限回廊のように進む生きる方向に向かうともいえそうである。


地球も太陽が爆発して、消え去る日がいつかくるかもしれないが、
太陽だって、まら新星として生まれ変わるように、命ある人間も、新しい人類として生まれ変わると考えた方がより自然である。


時間と意識と命はひょっとして、まったく同じ同格であり、同じ本質をもり、似た姿をしていると仮定した方が一直線の進む時間という無意識よりは真実味がありそうだ。

健康・平和・自由が生きる目的だとしたら、一生で終わる死が目的になるという見解は妄想であり、無限に生まれ変わり、健康・平和・自由を求めていくという方が自然である。

3.タイムトラベル  
  意識は時間を超えて、過去を反省し、未来を予測する。
過去を反省できないと、今のよりよく改善できず、いつも同じ失敗を繰り返すことになり、けして成功しないで、自滅、破滅していく人類になってしまう。
だが、二度と同じ過ちを繰り返さないように、生き抜く姿から、人類は生き残ることができるようになる。
反省と目的意識が持てないと、生きていく指針が失われ、自分という存在が確かめたれなくなり、自信喪失、迷信の世界はまり込んでしまう。

人類はタイムトラベルができるとした方がより現実的である。

それは、
目的をもって生きる人は未来から来た人であり、
過去の出来事に囚われて生きる人は過去からきた人であるともいえそうだ。

つまり、
人は時間を意識的に、タイムトラベルしているというのがより真実に近いといえそうだ。
 
4.時間とはま逆に動く 
  過去から今が創られるのが一般常識であり、過去の原因から今の結果になるというものである。
だが、
人の意識は時間とは逆に働き、
未来の目標が生きがいになり、今の生活を変革していく。
前向きの生き方とはまさに未来の目標が原因となって、今の新しい生き方を結果として築きあげていく。

つまり、
無意識は時間とともに動くが、
意識は時間とは逆か、別に働いていく。

それは自分の身体の内臓が無意識で動くが、その内臓なども意識的に薬や手術などでも動かせることもできる。

未来から今を創り上げる場合、
それが自然なものか、不自然なものかで、それが可能かどうかの分かれ道である。

目標が今の生活を変えることが難しい場合、その目標がその人にとって不自然なものかどうかを検討し、自然にあった目標に変更して、今の自分を変えていくと、すんなりとうまくいく。
 
5.社会は仲介者 
  個人の集まりは社会であり、その社会は個人と個人を結ぶ仲介者である。
また、
個人内の個人、自分自身の成長や変革や更新にとっての仲介者、それは他人でも同じである。
それに気付かされたのは、
家賃保証会社には免責があり、滞納報告から40日までの保証である。そのため、4か月の滞納者の二か月分しか保証してくれなかった。
結局、家主が借り人に直接請求しないとならなく、家賃保証会社が滞納を管理してくれるのではないということだ。
家賃保証会社はここ数十年でたくさんできたが、みな金儲けのためのものであり、本当に、借主と貸主の事情を考慮して対処するのではない。
病気になって病院の医師に治してもらうとするとき、
患者自身が治すのであって、医師も病院も、患者が健康への仲介、また手助け、またアドバイスするだけである。
もし、病気は医師が治すとして全面的に依存するならば、それは社会病巣の兆候である。

自分の命も、生活も、自分で守るというのが基本的な生きぬく条件である。
他人も、社会も、みな仲介であり、媒体であり、それらは自分の生き方に参考にしても、全依存は危険であり、自分自身が必要とするものだけを助けてもらうだけの方が健全な社会であろう。
 
6.時間は過去と未来の波 
  時間が永遠に続くように感じるのは、時間が伸縮する筋肉やオンオフする電気のように波であるからではないか?
空間と時間は似ている、どちらもエネルギーとして変換できる。
エネルギーが炎だとしたら、その炎の揺らぎが時間ではないか?
空間が膨張しつづけ、時間が永遠に進み続けると感じるのは
人間の細胞のように新陳代謝して、古いものは消え、新しいものが産まれる。
その新しさが常にいくらか違っており、今までもないものとように、時間と空間も常に新しく新陳代謝するからではないか?
 
   
7.今が新奇跡の瞬間 
  今の瞬間が、過去と未来が行き交い 新星が誕生するように今の瞬間に時間のエネルギーが集中し爆発して閃光をはなす
まったく新しい世界の誕生であり、それは予測不可能であり、未だかってなかったことであり、それは不連続であり、確率を超える奇跡中の奇跡である。
人間の生死の波があり、そこに誕生する自我もまた、一瞬一瞬新陳代謝している奇跡中の奇跡が起きている。
自我は似ても非なるものであり、広大な宇宙に人類が産まれるように、自我と人類は奇跡中の奇跡の存在であろう。
 
8.失敗は成功には必要 
  ダイエットの挑戦を7年しているが、
7年目に、リバウンドして、体がムクミ、そこを押すと戻らず、痛みを感じるくらいだった。
体重を一年ぶりに測ったら、なんと68キロになっていた。
健康と体重は関係ないという見解で、体重を図ることをやめていたのだ。
あわてて、
ムクミを解消するために、毎日体重をはかり、一日一食におとし、自己流の30年前にかった腹巻のようなブルブル振動する電動マッサージ機を使って、体操と風呂と合わせて、一日1キロ落としていき、12日後には、66キロになった 
体を異常に浮腫むという病気がなければ、健康なダイエットへの意気込みも方法も、解らなかっただろう。
70年の自分の過去の失敗をふりかえってみると、
90%は失敗をして、それらの失敗を反省して、今の幸せな老後生活を得られている、

人類の身体には、過去サルのような尻尾があった残っている。
失敗とは進化とともに必要がなくなったものも含まれる。

赤子が、まだ火が熱いことを知らないとき、一度火に近づき火傷した失敗をして、二度と火に素手で触らないようにする。
そうした失敗を経験しないと、安全な生き方ができない。

どんな人間も、頭だけで、理解できても、「わかっちゃいるけどやめられない」ということになるのは、
失敗という痛い経験をしないと、人は本当には理解できないことである。

そのために、
戦争はよくないと解っているのに、戦争をしてしまう。
それも、戦争の残酷さ、悲惨さを経験しないと解らないからである。

時間は命なきものにとっては、宇宙空間を物体力を加えると、その方向に永遠に動きつづける。
だが、
自我のある命を持つ者にとっては、なんども同じような失敗を繰り返して、次の突然変異のような成功へ導かされる。
それが時間と意識はまさに命あるものにとっては、生き抜くための両輪なのである。

意識の成功は無意識の失敗を成功へと導くなんども挑戦する刺激のようなものによって、実現する。
無意識の失敗は人類としてはなんどもくりかえし、そして、徐々に成功への意識を無意識化にしていく。

意識はタイムトラベルすることで、時間を調整していくのである。
時間が命のすべて操るのではなく、命が時間を操ることもできるのである。

命にとって、時間が宝ではない、生き続けることができる「健康・平和・自由」が宝である。

9.自分にとって他はすべて一時の刺激 
  教育、治療、生活力は、自分自身の意志と努力が基本である。
他人も社会も、その個々人の意志と情熱に、刺激を与えるだけである。
それは
脳が意識して、心身の無意識に対し、神経で、電子信号を送ることで 徐々に変化させてくる。
刺激とか化学における触媒のようなものが他人である。
もし、
他人がくじけそうになったときに、自分が助けられる方法は、その他人はなんらかの刺激を与えることで、
その本人が無意識に、立ち直ろうとさせることも可能である。

助けるとか、共に生きるということは、そういうほんの小さな刺激で充分であり、
直接に強制したり、嘘をついたらり、お節介したりすることはその本人が助ける人の全依存症になってしまう。

この小さな親切小さな刺激であり、それがもっとも効果的な共に生きる方法であろう。

刺激とはボールを確実に早くその場に投げる要領のようなものである。
腕や手の力を抜いて、一瞬だけちょこっと集中的に力を入れてなげる、そしてすぐに力を抜く
また、長いムチをうつようなものである。
長く、無理に力むと、まともなところにボールはいかないだけでなく、すぐに手や肩を痛めてしまう。

電子信号を送るような脳の神経伝達のような感じにすると、他への刺激はより確実に効果的に伝えわっていく。
教育することが疲れるというときは、無理した状態で力身過ぎであるので、力を抜いて、何気ない言葉をかけるようなリラックス状態での刺激が最も効果が高くなる。

他への刺激だけでなく、自分の無意識に対する意識も脳の神経伝達要領が効果的である。

集中力は一瞬に力を入れ、すぐに力を抜くことが最も効果ある
集中力を長くすると持続ができなく、あきてしまうし、苦痛というストレスもかかる
一生涯に力まず、今日一日に集中して生きた方がよりストレスもなく、楽しく、効果もあがる



 
10.人類の本性は変わらない 
  人類が大きく変化したのはイエスや仏陀やギリシャ哲学がでたときだろう
民族にこだわる考え方から、民族を超えて人間性を強くうちだしたことからだろう。
だが、
2500年たった今でも、民族や宗教や思想で殺しあいをしている。
変ったのは科学を主体にした生活スタイルだけで、平和を望む人間性のある世界にはなっていない。

ネアンデルタール人が絶滅し、現代のクロマニオン人がそのまま生き残る確証は少ない。
最近、遺伝子組み換えやゲノム編集をして、現代人が急激に進化しようとしているが、
それが進化ではなく、退化というよりも、絶滅への道を歩むかもしれない
それがどうなるかはわからないが、
ここ2500年間で人間の本性が変わっていないので、肉体や生活スタイルが変わっても、
本性自体がより生き残れる新人類へと向かわないかぎり、生き残れる確率が低くなるようにも思える

人類の本性をもっと
ヒューマニズムに合わせた方向へと進化させること
新人類として、地球に生存できる道を選んだ方がより生き残れる感じがする。

その方法は、過去の人類の失敗を反省して、何度も改め挑戦し続けることからだろう。
 
11.時間と意識はコインの裏表 
  時間は無生物のような物質であり、宇宙空間をただよい、星に近づくとその引力でその周りをまわりつづけるようなもの、
意識は命とともに生まれ、命は無生物である大地と空と水に支えられている。
命は命あるものの同志、意識あるもの同士で、無生物の時間のように、意識しあいながら新しき命を支えている。

時間が意識を作り、意識がまた時間を作るという上下関係のない
動き続ける車の二輪のようである。

意識がなければ時間はなく、時間がなければ意識はない
同等関係と密接な関係になっている。

意識は時空間に影響されながらも、時空間を超えて動きつづける。

タイムトラベルという意識は命あるものの時間である。
無限に動きつづける時間は命きものの世界である。
 
12.作用反作用は意識無意識にもあり 
  作物を育てていて、感じるのは、作物は土地と人を選んでいる。
人間が作物を育てるというより、植物が人間を育てている。
そう感じることがしばしばある。
物体に作用すると、必ずその反作用がある。
そのエネルギー量は同じである。
意識においても、
蚊をたたこうとすると、蚊は殺気を察知し、叩かれる瞬間目に見えなくくらいの速さで瞬間移動し隠れる。
命あるもの同士には意識を種を超えて感じ合えることが解る。

戦争においても、激しく攻撃すると、激しく復讐される。
命なきものの作用反作用は、
命あるものの意識反意識、意識無意識 意識するもの意識されるものとの間の熱情は同等となるようだ
 
13.無限を一瞬に閉じ込める 
  筋肉がもっとも有効に働く方法は
力を抜き、チョンと力を入れ、力を抜くとよい
これは集中力がもっとも発揮する方法でもある。
タイムトリップもまた、無限の時間・・未来と過去を旅するのだが、その最も旅力を発揮するのが
無限の未来と過去を今の一種運に閉じ込めると、もっとも生きる充実感と生き抜く力を発揮する。
これは
今ここに私は生きる
という意識を今日一日に集中することで、無限の時空間把握することができそうだ。

 
14.無限の時間と空間は無生物の世界 
  数学の世界は無生物の世界であり、我々が無限の時間と空間も同じ無生物の世界である。
意識をもつ命ある世界の時間空間はタイムトリップできる世界である。
物体は変態しても、そのエネルギーは不変である。
命ある生物は健康・平和・自由を求める意識は不変である。

意識によって、無限の時空間を一瞬の一点に押し込めることも可能なのが命ある世界である。
無生物の数学の世界では確かな計算と知識は認められるが、
生物の意識ある世界では、不可思議と、不可知と奇跡は認められるが、絶対的真善美は確認できない。

無生物においては価値無価値は存在しないが、生物においてのみ価値無価値が存在するが、変動しつづけるものである。

実験・検証・計算できる世界は無生物の世界だけで、命ある生物の世界においては、100確実な検証はできず、狭い領域での確率論だけが可能である。
そのため、絶対的な神仏や知識や真善美などはなく、つね流転していうものである。


15.真実不悟 
  宗教は神仏がすべてを知る、悟ることを前提としてスタートする。
だが、この世界に絶対的な存在が無いように、絶対的な真善美もないし、絶対的権力も無いといえる。
科学が発見した知識が絶対的に正しいとは限らない。それは狭い領域での確率的に高い知識といえよう。
そのため、絶対的な知恵知識というのも科学には存在しない。
それはどんな知識も知恵も、確実に正しいとは限らない。
それはどんな意見も、確実に間違いとはいえないことである。
しかしながら、
すべてが不悟、不確定であるとすると、現実の問題が常に混沌として歯切れのない行為になってしまう。

この問題をさらに進めるために、来月の7月のテーマにしてみたい。
宗教とは逆の真実の不知不悟を前提として、物事を探求学んでいくというところに、
生きる価値がもっとも高くなるということ。

そして、その前提をもとに細分化していくと、
ものごとを「こうだと断定できないし、決めつけない」ことが最初の出発点になる。

だが、
イエスかノーで動かざるをえないときは、どうするか?

それが「比較法」であり、自分の目標にとって、「より効果あり、より近い」ということで決定する。
科学の確率論が自分の人生にとってのより楽しさになるかに論法になり、
さらに、目標が違う自他にとって、より両方に効果、良きという論法へにもつながってくるだろう。


 
16.生死も新陳代謝 
 
身体の細胞が適切なサイクルで生まれ変わり、便や汗で老廃物を体外に排出する、これが新陳代謝です。生まれ変わりのサイクルは、肌の細胞は28日、心臓は22日、胃腸は3日~7日、骨は2年など各部位によって決まっています。
 

身体全体は現在日本では80歳くらいで新陳代謝して生まれ変わると考えれば、物事がすんなりと受け入れられる。
そして、
執着しやすいのは自我はこの80年の一生の身体のことである。
人の自我も一つの細胞とすれば、時間の差こそあれ、新陳代謝して、生まれ変わるというのが自然の理であろう。

17.命あるものは繋がりがある 
   
うちのアパートで孤独死があった。
亡きお本人にとっては関係ないが、孤独死の場合、遺体や財産や家財などの引き取りが問題となる。
孤独死というのは命の繋がりがほとんどない状態のことで、死後はまわりが世話をせざるをえなくなる。
行政では遺体の共同墓地まではできるが、それ以外の財産や家財、ゴミ 清掃などは相続人や家主がやらないとできなくなる。
特に、賃貸アパートの場合は、ゴミ捨て、清掃、事故物件として、賃料が安くなったりして負担が大きい。
だが、それまでの賃料はいわば不労所得のようなものであるから、こうした孤独死にも対応して負担は当然のことだろう。
だが、あまりにも、法的整備がされていないのが現状である。
私の三歳上の兄は孤独死の可能性が大であり、独身で兄弟とも疎遠で、かかわりたくない人物であるが、もしそうなった場合
私が弟として遺体の引き取りやら相続をせざるをえなくなるだろう。
もちろん、みな拒否することも可能であるが、相続の放棄、財産や家財ゴミ清掃までの管理の責任はとらされることになる。
賃貸契約解除の責任もとることが必要になる。
つまり、
どうあがいても、親戚が見つかれば、その縁で、なんらかの責任があるということになり、繋がりに責任がついてくる。
親戚がまったくない孤独死の場合は、
遺体と金融財産は国や自治体が引き取り、家財やゴミや清掃は家主がやることになる。

それはつまり
命あるものは他者・社会とつながりがあるということである。

植物の場合はどうだろう。
種を残し、新しい植物に生まれ変わり、その子孫を繁栄させようとする。
その一粒の種と一生が孤独死したとしたら、
その枯れ、腐敗して植物は他の虫などの食べ物と栄養になっていく。

それは動植物生きとし生けるもの同士は食べ物としても、生死としても、循環するかのようにつながっている。

この繋がりを認識すると、
人類は一つ、命は一つというような意識が目覚めてくる。

孤独死というのは人の縁がうすかった死に方というだけのことで、まったくの孤独はありえないともいえそうだ。

18.自由と孤独は意識の表裏 
 
自由は自分の領域で思うままに生きられる状況であり、他人に対してのお節介や、他人からの世話を受けない状態であり、裏返せば孤独状態ともいえる。

自由は孤独を楽しむことで、 孤独は自由を悲しむことである。

自由と孤独は意識のとりようでどちらにも表裏した生活心情になる。


 
19.無限は無 
 
無限は限り無いということである。
限りとは有(存在)を示す。
無限の力という場合、形に見える力は無いが、無になっても、その形のない力エネルギーは存在するという意味にもなる。
有無とはエネルギー(情熱・欲望・探求)が五感に感じられるのを有とし、五感に感じられないのを無とする。

時間が無限に続くという場合、時間は無いという意味であり、時間が有ると感じられるのは有限の世界である。
すなわち、時間はエネルギーとして存在するときは無く、直線として感じられる場合は有る。

0次元はエネルギーの世界であり、1次元は時間の世界である。
時間は始まりと終わりの限りを設定することで有ると確かに感じられる。


 
20.目標は限りを創る 
   
目標は時間的には終点であり、空間的には到達点である。
目標を設定することから、始まりと終わり、出発と終点、失敗と成功が生まれる。

無限の自由などは無いと同じである。
限りあって初めて自由が生まれ、感じられる。
命に限りを設定すると、生死の境が生じる。死は生の終わりであり始まりでもある。
生は死の終わりであり、始まりでもある。

命の限りを一個の身体ではなく、他の生物と比べての人類とした場合、個々人の一回性の生死の限りは消え、人類としての生死の限りが生じる。

このように、限りをつけることは物事に名前をつけることもそうである。生まれた子供に名前を付けないと他との区別が難しくなるようなものである。

意識は命のエネルギー(情熱、欲望。探求など)を方向性の限りをつけて感じられるものである。
その方向性の限りから、さまざまな限りが創られて、生死や身体、精神、物体などが感じられるようになる。



21.まとめ 
  ⇒タイムトラベル