ボランティアリーダーと語る地域社会
1.
2017年12月21日(木) 10時25分ー11時55分

受講生 全学部1年 30名
地域社会で活躍するリーダーの人生観などの話が多い
2. 大学の狙い
ボランティアリーダーと語る地域社会」という授業テーマがどんな狙いが隠されているのか?

しかも、関心が「
地域社会で活躍するリーダーの人生観」というのだが なぜそんな人生観などの関心を持つのか?

今一歩、学生が何を求めているのか ピンとこない。

そこで、まず 学生が何を求めてやってきたのか・・そこから探ってみよう。

総合科学部の学長の挨拶にそれがあるようだ。

徳島大学総合科学部は平成28年(2016)4月より,「国際教養コース」「心身健康コース」「公共政策コース」「地域創生コース」の4コースからなる社会総合科学科(1学科)として再発足しました。  

現代社会においては,グローバル化,健康社会づくり,行財政改革,地域活性化などに関わる多様で複雑な諸課題を解決するための社会的取組が強く求められています。

これらの課題を発見し,分析し,対応策を考案し実施するためには
,まず外国語運用能力,コミュニケーション能力,マネジメント能力,情報活用・配信能力,科学的思考,論理的思考といった社会的な汎用性を持った能力が必要とされます。

加えて,人文科学・人間科学・社会科学・地域科学・情報メディア等の専門分野を相互に関連させながら活用する能力が必要とされます。

その場合,特定の分野を深く学ぶと同時に,他の分野へも視野を広げていくことになります。
総合科学部では,社会的に見て汎用性の高い諸能力の獲得を重視する部分,専門分野の基盤的・専門的知識の修得を重視する部分,総合性・融合性の達成を重視する部分からなるカリキュラムを編成しています。

自分独自の視点から,特定の課題の解決に取り組む中で,これらのカリキュラムを十分に活用してもらえればと思います。 21世紀の新たな社会の創生に向けて貢献すること,こうしたことを皆さんに期待しています


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総合科学を4つに分類したのがおもしろい。

そこに目的意識を持つかということであるから、「海外理解」「心身健康」「公共政策」「地域創生」
そのための方法技術が「外国語」「コミュニケーション」「経営力」「情報活用」「科学的論理的思考」
その知識として 「人文科学」「人間科学」「社会科学」「地域科学」「情報メディア」
これをただ知識として学ぶのではなく、
それぞれ学生独自の観点関心から 発展させて 全体を学ぶ。

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つまり 地域社会で活躍するリーダーの人生観」とは 「社会人の人生観」であり、とくに「ボランティア社会人の人生観」 それは「今の私の人生観」から、世界、健康、政治、地域創生への関心と理解へと広げていこうというものだろう。

とくに、私のボランティアによる地域創生から話せばいいということだろう。

つまり 今のフリマ笹塚の仕事をするまでの経験談から入ればよい。

3. 自己紹介
私の人生観を総合科学部 学長の視点を意識しながら 話そうと思う。

世界の広さは・・・



これを総合科学の視点に合わせると





現在の生活と仕事


現在、私は国民年金受給者の67歳であり、国民年金月6万と国民年金基金4万の合わせて月10万円を65歳からうけとっている。
その他の収入は
親からの遺産相続で 9坪の築50年の木造アパートを二件、自分で改築して 月合計20万、
東京の37坪を家を壊して、奥をコンテナ前を駐車場として 倉庫付駐車場として5つに分け、月24万5千円
これも自分で作った。
親が生涯経営していた洋服の生地の端切れを打っていた3.5坪の月10万円の借り店を引き継ぎ、
フリーマーケットの会場としての店の日貸し店舗として、渋谷の笹塚で 現地のスタッフとともにやっている。
スタッフのアルバイト料を払いだけで、自分の収入ゼロのボランッティアとして、ネットビジネスで、毎日の出店者をうけつけている。

これらの合計はいわば売り上げであって、そこから経費を差し引いた純利益は半分くらい。

住いは 山梨市で、300坪のうち250坪は畑、50坪が家と庭である。
畑では主に、古代小麦を作り成功しているが、陸稲(畑で作る稲)も6年挑戦しているが まだ失敗続きである。

家族は 両親は20年前に他界して、27年前に西サモア人と結婚して、二人の娘をもうけた。
今、姉は26歳で 甲府市で 栄養士の仕事をし、妹は24歳で 東京で 人材派遣業の会社の企業人材募集ウエブの営業販売をしている。

現在、一人暮らしである。娘たちは 盆と正月には帰ってくる感じである。



の徳島大の縁は


老後で一番のテーマは健康で、「健康であること」が私の仕事である。
そのテーマが高校の大阪医師の友人の目的である「健康と自然」に合致し、
徳島の古民家を買って、そこで 合宿つきの学習会をするということで 参加していたところからである。


経歴

1950年生まれ (戦後5年)
もう二度と戦争をしないという国民のムードが強く感じられた。

渋谷区立の小中学校で 受験地獄の日々、
都立新宿高校に入ったが、受験勉強に疑問をもち、いわば登校拒否
「なぜ勉強するのか」の疑問は「なぜ生きるのか」という疑問に発展し、それを追及しすぎて
2年になって、心の病である ノイローゼ(神経衰弱)になり、入院通院あわせて 卒業までの 2年

薬漬けの医者の方針に疑問もち、独自の治療法をしながら 完治といえるまで20年くらいかかっている

アルバイト生活するが 病気のため 首になること多し。。
人材バンクというボランティア団体に登録して、当初、視力障害の補助はおもしろかったが、なんかの
宗教団体みたいな古着のリサイクル奉仕がたくさんいる中で、一人でつまらなく、ボランティア活動に意義に疑問を感じた。
結局、日本放浪、途中、知り合った人と一緒のアルバイトをしながら 放浪するが 
一番おもしろく ガッポリ儲けたのが、万博で 当時の額で、25万円ほど。

運転免許が欲しくなり、自動車教習所の整備士で就職したが、友人の多くが大学にいったので、
勉強したいというより、大学というものがどういうところかを知りたかった。
ちょうど万博の金があり、それで入れそうな 私立の大正大学に 「だめで元々」のつもりで受験したら
合格してしまった。中学までの勉強しかしていないのに、予想外な結果に唖然としたが、整備工を3か月でやめて入学してしまった。

だが、私の「なぜ勉強するのか?という病」は完治してなく、なんせ 試験となると そこに足が進まない。
単位がとれることなく 、牛乳配達するアルバイトしながらだったが、学費も払えず、中途退学した。

大学3年であったが、事務局に、いつ退学しますか? という問いにびっくりした。
2年退学ということですと、1年分の学費を払ってください。1年の退学ですと、そのままOKです。

そこでわかったのは大学の学位はお金で買うものだということが もっとも衝撃だった。

試験には拒否反応があるので単位はとれないが、ただ総論を自分ながら しあげて 自分ながらの大学卒業をしようとした。

そのテーマはすぐ決まっていた、

「労働と職業論」である。

それは「なぜ勉強するの?」が発展して「なぜ生きるのか?」になったように、
大学では 卒業して 「なぜ働くの?」という疑問を解決するのが 私の心の病でもあり、
自分の社会生活への最初のステップにしたかったからである。

当時は高校。大学紛争が激しく、私も巻き込まれてしまっていた。
ただ、一流大学、一流企業という学問と仕事の流れで、経済発展のバブル時期に入っていたのである。

大気汚染公害、受験戦争、交通戦争、企業戦争の中で、会社の奴隷となって働くのは嫌だという社会ムードが流れており、若者はヒッピーとホークソングにあけくれ、既存の就職を嫌って、いつもフリーで働きたいという願いが、フリーターという自由の労働者みたいなところがあった。

そこで学生が作ったアルバイトニュースという雑誌が生まれたのもそのころである。アルバイトという言葉さえ、新語だったのである。
ボランティアと言う言葉も、昔はなく、ただ奉仕または労働奉仕というような言葉だったのである。

海外では 隣国のベトナム戦争は激しく、連日のように テレビニュースに戦闘の様子が映し出された。
日本におけるベトナム平和連合を作った者が書いた「なんでもみてやろう」という本はベストセラーになるくらいで、海外旅行をする者は珍しく、若者が無銭旅行をして世界を回るなどということはなおさらあこがれたことだった。

その影響もあり、2年かけて、国会図書館にアルバイトしながら、卒論と海外の旅費を準備した。

卒論は「働くというのは会社に勤めて隷属的に働くのではなく、専門職をえて、どの会社でも自由に働けることこそ、真の労働である」というような結論になった。

そして、神田の古本屋で、「海外のアルバイトニュース」を見つけ、それが古いので、その発行元に 海外のアルバイト先を紹介してもらった。
そこで、フランスのリンゴ園のアルバイトと、オランダのワークキャンプをメインに、西ヨーロッパを旅した。途中パリに入ったとき、そこで 自転車に28ccのエンジンをのせた 「ソレックス」というバイク自転車を8万円で購入し、それで全部旅をしたので交通費が安くすんだ。そのソレックスも 帰国の際、半値で 日本人旅行の若者に売った。

三か月弱で帰国後、いろいろなところに就職しようとしたが とにかく落ちまくり、あるとき、どうしてダメかと言われたときに、大学中途退学がひっかかり、むしろ 学歴を高卒というようにした方がいいとアドバイスされもした。
とにかく、中度半端なまた 放浪したような ものは企業は嫌うというのがわかった。

結局、造園士になろうとして、就職が決まったが、一番就職したかった 科学新聞社という専門誌の会社からの連絡が遅く、造園の仕事が決まってから 合格通知があり、給与も そちらの方がいいので 科学新聞社に就職した。

入ってびっくりしたのは 私の上司になって仕事を教えてもらう人は 病気でほとんど こない。
いわば、購読係の部署で、購読者は数千人いるのだが、一人の購読者は名詞にかき、それを名刺入れにいれて管理している。名詞の購読料の支払いとチェックして 請求と配布を 自分で宛名をガリ版刷りのような手回しの回転機ですって 新聞とともに郵送する。

その前近代的な作業にあぜんとした。そこで とにかく 名刺をB6に変更し、すぐ取り出せるよう分類整理し、たくさんの新聞を タクシーで運ぶというのをやめ、バイクで新聞配達に切り替えなど、改革に改革した。

当時、パソコンは数千万円であったが、社長になんとか買ってくれと要望していたが、10人ほどの小企業では無理であった。

自分がやりたいのは新聞記者であったが、それを社長はさせてくれたが、とにかく 科学記事が難解なので、それを理解できるほどの知識もなく、それを学ぼうとするにも 範囲が広すぎて、無理だとわかり、新聞記者の道は自分には向かないと思い、むしろ、与えらえた購読係を専門職にしようと必死になった。
さらに 会社全体を改革しようとして、4年たったときに、自分ができる改革はすべてやりおえたと思ったときに、退社して、親の生地屋を継ごうと その勉強と生地問屋に天職した。営業マンであった。

だが、2年務めたときに、会社は倒産ではなく、社長自ら廃業して、自社ビルの貸しビル業にして、退社した。

そのとき、29歳 生地やを継ごうとしたが、生地屋は時代遅れで、顧客はわずかで 売り上げものばせるほどなく、
やむなく、団地などへ 車で露天商して 売り歩くが その団地自治会に追い出され、路上では警察に追い出され、商店街では 地元テキヤに追い出され、天候には左右され、もう露天商ができる場などほとんどなくなっていた。

少し前、テレビで「俺たちの旅」というドラマで、大学生たちが近所の要望を「なんでも引き受けます」というノボリを自転車にかかげて、商売していくという、仲間は一流会社に就職するが、自分たちは自由に自分の仕事を作り出すといものだった。

その自由な働き方にあこがれ、私もそれをやってみることにした。おりしも、私と同じように 元祖便利屋という右近さんがでてきて、マスコミのとりあげられていた。そうとう儲かることをいっていたが、実際やってみると、それはほとんど 作り話9割、本当が1割ということで、おもしろおかしな記事であることがわかってきた。

同じ方法では無理で、自分ながらの 便利屋をつくった、当時は便利屋という言葉も、職業もないので、私は「なんでもや」という、あの「なんでも観てやろう」と世界を旅したのにもじって 「なんでもやってやろう」の「なんでもや」とした。
一番 難しかったのは 料金設定である。いろんな仕事があるから、その料金を決めるには、アルバイトのように、時間給で 設定するしかない。そこで、そのころ、アルバイト料は自給600円くらいだったが、なんでもやでは「自給3000円」と、出張料3000円で 売り出した。そうしないと、自立経営で生活できなかったのである。ちらし広告や手間、また電話、道具、車など経費がかかり、それが最低線の値段設定としかできなかった。

それから30年間 便利屋/なんでもや をやってきた。

便利屋は一人ではしにくい、依頼の庇、大きな荷物運ぶのには最低でも二人は必要だからである。
仕事を受ける方とやる方もやはり二人必要である。

一番の問題は 仕事が入ってこないことである。それは社会に便利屋という業種が認識されておらず、これは便利やさんに頼もうというのが把握されていなかったことであるが、時代のニーズが専門業者を求めており、逆に専門業者が便利屋業もかねるというようになってきたのである。

便利屋だけでは生活がなりたたず、専門職がないと 存続できなくなっていた。

あまりに暇で、テレビばかりみていた時、そこにアメリカでゴリラメッセンジャーとユニークな商売が紹介されていた。
そこで、私はすぐに 真似をして、日本で初めてのゴリラメセンジャーをやった。当時、宅配便が、いろいろな動物の名前をつけていたので、 うちは特殊な宅配便ということで、 ザ・ゴリラ便というゴリラメッセンジャーの名にした。

すると、テレビ雑誌などの取材が多くなり、便利屋業とともに紹介されてきた。
だが、実際の仕事はほとんどなく、テレビ受けするだけで、注文者はすくなかったのである。

でも、、それは ザ・ゴリラ便&なんでもや から 有限会社 ザ・ゴリラ便 そして ただの株式会社 ゴリラ便になった。

ゴリラ便で働く大学生や専門学生がけっこういたが、それはアルバイトとか給与とかいうものではなく、仕事の売り上げの6割近くで、自給2000円と出張料2000円というようにしていた。
人数が必要なときは アルバイトの友人知人に連絡してもらうことにした。

大体、入ってくる仕事を待って 事務所にしていた木造4畳半のコタツでごろごろして、たむろしていた。
大学のクラブみたいなものである。

とにかく、自由な働き空間というものを作り出そうとしていたので、いかに社長業が大変で 儲からないものであるかを体験してもらおうと、 フリー社長制度を作った。女の子が一番適していて、売り上げから経費差し引いたすべてが社長の給与だったが、それは月2万円くらいしかならない。男の社長は文句はいわないが、女の社長はそうないかない。日給を要求した。それを受け入れた。みな一か月くらいで交代していったが、そのうち、社長は一番のベテランに落ち着いた。

私はフリーとなって、海外に嫁を見つけたり、ゴリラを見に行ったり、自由にやっていた、

ベテランの社長がベテランのスタッフごと、お得意先の会社に吸収されてしまい、その後を引きついだ新米の社長がなんと、ゴリラ便の会社をのっとろうとしたのである。

会社をのっとってもいいが、その会社の方針が 自由な職場空間ではなく どこにもありがちは 下請け作業の便利屋で、しかも給与制度であった。

そういう方針だったので、即追い出して、自分がまた社長になって ベテランのスタッフがもどってきたので、その人とやりだした。だが、二人だけで しかも老々介護のスタッフと、二人の娘のシングルファーザーではとても仕事はできない。
のっとろうとした社長に働き手すべてがついていったので、たった二人では限界であり、株式会社 ゴリラ便を解散することにした。

そして、お店も事務所やリサイクルショップをやめ、今のフリーマーケットの店のフリマ笹塚として、事務所があった家もとりこわし、倉庫付駐車場にして整備したのである。

社長を辞めていた時、そこに働きにきていた者が青山圭秀がかいた「理性のゆらぎ」でインドの宗教家「サイババ:を紹介していた。

長年封印してきた「なんのために生きるのか?」の問いの、箱を開けてしまい、何度もインドのサイババのアシュラムにいくくらいに夢中になってしまった。

数年後、サイババのトリックを観てしまってから、その信仰をやめ、ありがとうおじさんを信奉したが、それもそのスキャンダルを知って、やめてしまった。
宗教というものが ほとんど 盲信の姿をした思い込みのように感じて、それから一切宗教は「触らぬ神にたたりなし」という方針で生きていって、楽に生きられるようになった。

そして、無理な生き方でなく、 自分の自然な生き方を追求してきて、現在の先の予定はほとんどないという自由な遊んでばかりの 余生を暮らしている。


4 ボランティアとNPOとNGO

これらの言葉の意味はウイキペディアで・・

ボランティア・・( volunteer
 自らの意志により参加した志願兵のこと。
長じて、自主的に社会活動などに参加し、奉仕活動をする人のこと。
また、奉仕活動そのものを指すこともある。

NPO
・・非営利団体・社会貢献活動や慈善活動市民団体
 「Nonprofit Organization」又は「Not-for-Profit Organization」


NGO
・・非政府組織  non-governmental organizations


この三者の違いはみなお金目的ではない非営利であるが、その行為が 個人か 地域団体か  国際団体かである。

ここで、最も注目すべきは

  • 語源・原義

    原語である英語の volunteer の語の原義は志願兵であり、徴集兵を意味する drafts とは対義の関係にある。

    この語は、歴史的には騎士団や十字軍などの宗教的意味を持つ団体にまで遡ることができる。十字軍の際には「神の意思」(voluntas) に従うひとを意味した。

    語源は英語の will の語源ともなったラテン語の volo で、意思や志願を意味した。

    英語圏では、現在も本来の語義どおり志願兵あるいは義勇兵の意味で、この語が使われている。

    なお voluntary とは、自発的であるさまのことである


  • 労働力としてのボランティアの特徴

    ここでは無償ボランティアについて述べる。
    無償ボランティアは被雇用者のように組織から強い拘束を受けず、また自発性に基づく行動である為、組織が強制してボランティアを動かすことは難しい。

    また無償ボランティア活動に参加する者は、通常、職場や家庭などで緊急の用件が発生した際はそちらを優先する。

    無償ボランティアにはこれらの特徴がある為、会社組織とは異なるマネジメント手法が必要となる。

    なお、2012年に日本の厚生労働省が日本国内のボランティア活動者を対象として実施した調べでは、

    最大のボランティア人材源となっているのは

    主婦層 および
    高齢者層

    である。

  • プロフェッショナル・ボランティア

    ボランティアには「素人集団」というステレオタイプもあるが、

    医師、弁護士、看護師、臨床心理士、教師をはじめ、各分野の専門家が

    それぞれの高度な技能を生かしてボランティア活動を行うこともある。

    こうした専門家によるボランティア活動をプロフェッショナル・ボランティア(プロボラ)と呼ぶ。

    特定非営利活動法人のなかには、専門性を必要とする具体的な活動内容を明記して左記のような専門家たちを募集していることもある。

    偽ボランティア

    災害などが起こった時にボランティアと称して被災地に入り窃盗行為を行い、被災者などから金品を得た上で救援活動を行う偽ボランティアと呼ばれる者が存在する。

    災害被災者や戦争難民などが生まれると、支援といって駅頭などや各家を回って募金を集める偽ボランティアもいる。

    宗教においては布教活動を社会への貢献活動であるとの観点からボランティアと称して布教活動をする場合もあるが、望まない者からは偽ボランティアと捉えられる。


  • 世界各国のボランティア

    米国

    超高齢社会に向かいつつある社会背景の中でアメリカでは
    定年退職者や高齢者の社会参加の一環として、
    若者の開発途上国でのボランティアを平和部隊として組織した先例に倣って、
    高齢者が学校や障害者、引きこもりの児童などに社会的なボランティアを展開するのを

    アメリコー(AmeriCorps、アメリカ部隊)と名づけて、連邦政府から経済支援を与えることにした。

    アメリカでは、州によって高校生、大学生の時期に5000時間ほどボランティアに従事するとキャリア形成につながるというシステムがある。

    ボランティアを募集する機関とボランティアをしたことを認定する機関や認定資格者が制度的に確立していて、一定の活動条件を満たした場合に本人にボランティア認定証が発行される

    日本

    日本独自の意味合い


    「ボランティア」ということばは自発的な無償の奉仕(利他)行為をする人を指して言うことばであるが、

    それ以外にその「自発的無償行為」自体を指して「ボランティア」と呼ぶこともある。

    日本では、「ボランティア」ということばの意味は以上であるが、

    例えば英語圏では「志願兵」、「義勇兵」という意味合いが大きい。

    ところが日本では、幸いなことに憲法第九条の制約でここ70年ほど戦争がなかった。

    それによって、私たちが現在使っている日本語では「ボランティア」ということばに「義勇兵」、「志願兵」という意味はない。

    したがって、日本語の「ボランティア」は日常生活や大災害時における自発的な無償の利他行為をする人、あるいはその行為を指すだけのことばとなっている。

    日本では参加の動機が自由意志であるか否かに関わらず無償の奉仕活動の同義語として用いる場合もある。


    歴史

    日本では古くより五人組・町内会・自治会・消防団など地縁・血縁によって強固に結びついた相互扶助の慣習があったため、外部からのボランティアを広く呼びかけ受け入れる仕組みや必要性は少なかった。

    また地域では民生委員など無給で社会奉仕活動を行う制度が構築されてきた。

    しかし財政の悪化から行政コストの一層の低減が叫ばれ、一方では都市化・核家族化による人口の隔たり・流動化が起きているため、有事の対応が迅速かつ的確に行える仕組みを維持することが困難になってきた。

    ボランティアは上記の状況を改善する新たな相互扶助の仕組みとしても注目されている。

    1995年の阪神・淡路大震災では全国から大勢のボランティアが被災地に駆けつけたことから、「ボランティア元年」とも呼ばれる。

    当該震災の日(1月17日)を「防災とボランティアの日」としている。その後の地震や水害などにおいても、ボランティアが活躍している。


災害ボランティアの概数

災害 人数 集計期間
阪神淡路大震災 138万人 1995年1月~1996年1月
新潟県中越地震 8万人 2004年10月23日~2005年3月31日
新潟県中越沖地震 3万人 2007年7月~12月
東日本大震災 102万人 2011年3月~12年3月

広島土砂災害

4万人 2014年8月~12月

  • 一方で、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震において、
    阪神・淡路大震災等において駆けつけたボランティアが現地の迷惑であったとの意見がインターネット上のつぶやきサイトで見られ反響を呼んだ。

    ボランティアに高い技能と倫理性が必要であると一方的に定義し、これに満たないボランティアを攻撃していること等が特徴的である。

    乙武洋匡は阪神大震災でのボランティアについて「

    助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。

    一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。

    こちらが必要とする事はできず、逆に残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末」

    と述べた。

    兵庫県西宮市市議会議員(当時。2014年から同市市長)の今村岳司は、阪神・淡路大震災での被災体験を振り返り

    「ボランティアは、被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、被災者が寝るべきところで寝た」

    と述べ、当時のボランティアのことを
    「観光気分で来た自分探し」
    「ただの野次馬観光客」
    「人から感謝されることを楽しみにやってきただけ」等とし、
    「要はプロに任せること」
    「被災地に必要なのは、プロだけで」あり、
    「部隊の指揮下で日本のために自分を犠牲にできる人だけが、「ボランティア=義勇兵」として現地入りすべき」
    だと述べた。
    迷惑ボランティアの行動についての記事を再掲したメディアもある。



    学校におけるボランティア

    日本では高校受験などに際してボランティア活動を行ったことでその経験が調査書に記載されていると評価点を高くする学校がある。

    高等学校の場合、上級学校への進学や就職における自己アピールの材料として使われるなど、卒業後の進路内定という「対価」を得るための手段とされる傾向がある。

    大学など高等教育の課程においても、ボランティアが就職活動でのアピールや単位取得の手段として使われることもある。

    また、福祉活動を課程の中に組み込むなどして義務化している学校もある。

    例えば東京都では2007年度から都立の高校で「奉仕の時間」が義務化されることとなった。このケースでは全員1単位以上の履修が卒業するための要件とされているため、自発性に基づく活動ではない。


    宗教団体によるボランティア

    ボランティアは歴史的に宗教団体に遡ることができるが、現在の日本でも(欧米ほどではないにせよ)宗教団体によるボランティア活動は活発である。

    慣習的には(専従の聖職者ではない)信者による無償の奉仕活動が一般にボランティアとされる。

    たとえば軍隊を模した組織を取って活動するキリスト教(プロテスタント)の教派団体である救世軍は非常に活発な社会奉仕活動で知られているが、
    他の教派団体の牧師に相当する士官の階級の者は法人の専従職員でありボランティアではないものの、
    一般信徒である下士官・兵士の階級の者の活動は原則的に無償のボランティアである。


    ボランティア休暇

    企業ボランティアの元年(フィランソロピー元年)と言われた1990年に

    富士ゼロックスが「ソーシャル・サービス・リーブ」として開始した休暇制度が
    「ボランティア休暇」「活動休暇」などの名称で、

    主に大企業を中心に普及した。単発的に取得する場合を「ボランティア休暇」と呼ぶのに対し、

    一定期間連続して休暇を取得する場合は「ボランティア休職」と呼ぶ場合が多く、「ボランティア休暇」が有給休暇扱いであるのに対し「ボランティア休職」の場合は雇用保障だけで無給対応となる場合が多い。

    阪神・淡路大震災におけるボランティアの役割が広く認知されたことから、国家公務員にも「ボランティア休暇」が導入されることになり、

    その後、自治体の多くも「ボランティア休暇」を設けるようになってきた。
    しかし職員が休暇を取得することで業務進行や業績に影響するような場合、制度があっても取得しにくいという課題がある。

    業務の特性から、年次有給休暇ですら取得しにくい企業・自治体もあり、ボランティアは有意義な活動としながらも、ボランティア休暇はあまり取得されていない。

    商標登録
    「ボランティア」、「NPO」は2002年1月18日に株式会社角川グループホールディングス(当時は、株式会社角川書店)が商標登録出願、2003年4月25日に登録されたが、2005年5月10日に商標登録を取消されている。


    中国

    中国でも近年ボランティア活動が強調されている。
    軍人として撫順・長沙など各地で様々なボランティア活動に献身的に携わったという雷鋒を記念して「雷鋒に学ぶ日」(3月5日)が制定されており、

    この日におもに若者たちが公園や街路の掃除をしたり、老人ホームを慰問するなどのボランティア活動が展開される。

    「ボランティア」という言葉には「志願者」が充てられている。(台湾では「志願工作者」の略である「志工」が好んで使われる。)

    ボランティア活動は人民の無料奉仕の義務であるという意味で「義務」という言葉が使われる場合もある(例:「義務労働」=勤労奉仕、「義務演出」=チャリティー・コンサート、「義工」=「義務工作者」=ボランティアなど)。


    ウェブ上のボランティア

    World Comitmuny Grid、Open Directory Project、ウィキペディア、the Virtual Library、青空文庫、MylingualといったWorld Wide Web上のボランティアも存在する。
5. インドとありがとう

参考URL

ありがとうをヒンディー語で言おう!超便利15フレーズ!

ヒンディー語 ダイニャワード の語源

シュクリヤー の語源

インドの人がありがとうを言わない理由

インドに「ありがとう」という言葉はない!?

ありがとう」「ごめんさい」を言わないインド人! その理由を聞いてみた

タブー、マナー、エチケット:タイ―マナーとタブー

カースト絡む優遇策で「逆差別」訴え、暴動で16人死亡 インド

うざい国には、ワケがある!?バクシーシの意味・ザカートとは?

イスラム教

乞食とバクシーシ

バクシーシとは

ザカート



6. 自信ってなんだ

「自信をもって生きてほしい」
と、前回 2017年6月21日の水曜学舎で、冒頭に話した。
それは どうしても 老人から若者への 命のバトンとして 伝えたかったことである。

それは 10代の時の尺八を2年ばかり学んでいたとき、自分の才能に限界を感じ、師匠に聞いた。
「尺八は才能でしょうか?」
「そりゃあ、君 そうだよ。才能、音楽というものは 才能だよ」
「・・・・・」

なぜそう聞いたかというと、
自分が生まれながらにして音痴であることを痛感していたが
尺八の音が好きで好きでたまらないので、尺八を習ったが、
どうしても 上手くなれない その努力する限界で 思い悩んでいた。
そして、
尺八が才能であるというのを 教えてもらってから
一切、やめてしまった。

だが
50年後

放り出され、乾燥して、割れてしまった尺八をやり始めた。
尺八の才能より、尺八が好きだっていう事、その方が大切であると反省したからである。
尺八を人の為に吹くのなら、それは才能が必要だ。才能は他人が決めるからである。
だが、尺八を自分のために吹くのなら、それは自分へのご褒美であり、癒しである。
そして、どんなに下手でも、好きな尺八を楽しめるなら、その尺八を続けて生きること。

自信とはすぐには身に付かないものである。
一日一日、ちょっとでも 自分の思い通りの尺八が吹けていくごとに、
自信が深まってくるものである。

尺八を半世紀ぶりに始め、
その六か月後の今
ふと 気付いたことがある。

自信を持って生きることと
尺八に自信を持つということはリンクしている。
それで
尺八を好きなように吹けば吹く程、
ちょっとずつでも、尺八を自分の思い通りに鳴らすことができてくるようになる。
そのように
自分の思い通りにちょっとずつ生きられるように、自信がついてくる。
尺八を思い通りに吹けていくと、尺八への自信もついてくる。
その自信がついてくると、好きになる。
でも、思い通りに尺八が吹けないと嫌になり、自信がなくなる。
つまり
尺八を思い通りに吹けるときに その自信がつき、それがもっと好きになる。
だが、
尺八を思い通りに吹けないときに、その自信を失い、それが嫌で嫌でたまらなくなる。

自由と自信と好き は三位一体のようにリンクしている。



「尺八を吹けるようになる」ということは
尺八を学ぶということであり、
学ぶということは

大学で
 総合科学やボランティアなどを 学ぶというのと同じ意味また行為である。

尺八を再開するにあたって、
どこかに尺八教室に習いにいこうとは思わなかった。
師匠や先生をもたずに 自分でいろいろ研究し、練習と体験をして 学んでいる。
不足な知識は今ネットで ほとんど得ることができる。
だが、10代のときに、尺八教室に2年ほど通って、基本技術を学んだから、
自分で研究して、もっと自遊に吹けるようになれてきて、自信もちょっとずつついてきたといえる。

総合科学・ボランティアも 尺八教室のように 大学で 基本の技術・知識を覚えていくようなもので、
本当に学ぶというのは、大学を卒業して、
その後、さらに 総合科学・ボランティアを学ぶ
ということを一生涯楽しむことである。
そうして、総合科学・ボランティアについての自信がついくいくというものである。
だが、
総合科学・ボランティアでも、尺八でも、その学びに終着駅はない。
仏教でいう、学びの最高境地である悟りもない。

そもそも「学ぶ」ということは、「生きる」ということであり、
死ぬまで生きるように、死ぬまで学ぶということであるが、
生きることは死んでしまえばそれで終わりだが、
学ぶということは死んでしまっても それで終わりではない。
学んだことは、他の人に引き継がれて なお学ばれていく。
それが遺伝子であり、文献であれ、科学技術・知識であれ、引き継がれていく。

学ぶということは 自信をもつということ
自信を持つことは 好きになるということ

好きになるということ
 それは生きるということ

死ぬということ
 それは生きていくということのバトン
 命のバトンであるということ
 また
 自信のバトンであり、好きのバトンでもある。

だが、

教師が 尺八は才能だという間違った教え、誤信。盲信、洗脳をするように
総合科学・ボランティアも才能だという教える人がいたら、それは誤信、盲信、洗脳である。

もし、
自信を失いそうになったら、
あの
逆を思い出してみよう、



他人の評価など、自分の才能など

「そんなの関係ねえ!そんなの関係ねえ!」

自分が楽しむこと 自分に自信をもつことだ
ハイ
「オッパッピー」




なお、ピ~や とは peer  とは 

peea learning (仲間と学ぶ)という意味であり、それが 学び舎(まなびや)という名称になった。

大橋先生の学術論文のテーマでもある。

このピ~ア 仲間という語源は

「人が誰から多くの影響を受け、その人生が決定づけられてしまうか?」
という問いから出発した。

「親からの職業、経済力、家族環境、才能 などが 子のもっとも大きな影響力・決定力をもっている
という常識に対して、 ジュディス・リッチ・ハリス は異論をとなえた。

同年代の友達 仲間たち からの影響が 親や家族環境よりも 大きいと言い始めたのが 最初の

このピ~ア である。


今回の授業では 
自信を持っていくということの大切なこと、
生きていく上で、もっとも大きな支えになるということを
別な観点から 伝えたいと思う、

神様・仏様って何だ?

今、イスラム国は崩壊したが、その過激な宗教を信奉するテロ集団や自爆テロが世界各国で起こっている。
イスラム国はイスラム教から分裂したある一派ともいえよう。
日本は法的には信教の自由であるが、その政治にしても、伝統的な神道、公明党の創価学会も仏教で、宗教とは無縁ではない。
宗教と政治は世界中で、切り離すことができないものだというのが解る、
共産主義国家は宗教を意識的に切り離しているが、実際は、共産党の党首が教祖となって、北朝鮮のように、「将軍様」というような信奉集団の国家になっており、共産主義教とかいえる。
そうした一つの偏った思想によって政治を行うのも、思想的宗教ともいえるだろう。

世界三大宗教といわれるものは

キリスト教・イスラム教・仏教であるが、キリスト教とイスラム教はもともと同じ神である。仏教、ヒンズー教も同じ仏(悟りの意)である。
同じ神、同じ仏であるのに、その解釈によって思想的に分裂している。

神と仏と どう違うのかというと、

仏は悟りであるが、何を悟るかというと、神我と個我が一つであることを悟るもので、「神我一如」と言われるものである。
つまり
神と人の間で、
創造主が個人に降りてくる思想方向から見える主を神といい、
個人が創造主に上がっていく思想方向に主が見えるのが仏である。

簡単にいえば、

命が天地から宿るこの世の支配者は神で、命を天地に返すあの世の支配者が仏である、

日本文化では、死ねばみんな仏様、お客様はみんな神様 というような使い分けができるようなものである。

宗教と政治と思想によって、世界は平和にも戦争にもなってしまう。
そして、毎日の生活とくに、儀式には宗教、儀礼的には政治、慣習には思想がいつも絡んできて、
それが楽しみになったり、苦しみになったりする。

神仏が何か? 解らなくても、神仏とともに暮らす生活ができている。
お金が何か? 解らなくても、 お金とともに暮らす生活ができている。
テレビがどうして映るのか? 知っていなくても、テレビと同じ生活ができている。

テレビが壊れてしまって困るとき、
それを治すには、テレビがどうして映るのか知っている人に頼むか、自分でそれを知って治すことができる。

そのように、
お金が世界の金融恐慌と起こしたときには、お金が何かを知っている政治家が治すことができる。

神仏で 戦争が起きたら、神仏が何かを知っている人が 平和へと導ける。

人が病気になったら、その病気の原因を知って、健康にもどすことができる。
だが、病気の原因を間違えれば、逆にもっと病気を悪化させてしまう危険がある、

病気の原因を間違えて、悪化するように、
貧乏の原因を間違えても 
神仏の解釈を間違えても、自分も、社会も 混乱してしまうといえる。

こうした
病気や社会的混乱の原因を 追及するのが 「学び」である。
学校で教えることが常に正しいとは限らない。
例えば、原発が平和的利用として教えられたが、それははたしてそうではなかったという結果もでている。
科学的常識も、とくにダイエット知識も、服の流行のようにころころ変わってくる。
専門科学で導き出した答えが絶対に正しいとはほとんどいえない。
そのために、総合科学の必要性がうまれ、専門科学での知識を修正して より正しい知識を探る「学び」が必要になってくる。

その宗教が、その政治が、その思想が
絶対正しいとか、真理であるとか、
その宗教の教祖が、その政治の首相が、その思想(科学も含む)の第一人者が
絶対正しいとか、真理であるとか
それはいえない。

では、どんな宗教を、どんな政治を、そんな思想を
 またどんな人を 信じたらいいのだろうか?

その信じる相手が間違ったら、自分の人生はえらく狂ってしまう。

それは結婚相手が良いか、悪いかで
その暮らしが良くも悪くもなるようなものである。

そもそも、どんな宗教も、どんな政治も、どんな思想も、どんな人も 絶対正しいとはいえないのだから、
それを信じて生きるには、まるで その信心が 当たるも八卦、当たらぬも八卦 の占いのように、不確実な寄りて・信頼者なのである。

信じた相手のいう通りに生きたら、偉い目にあったときに、信じた相手の過失を糾弾するだろう。
だが、
信じた自分の過失を反省する人はわずかである。

「だますより だまされる方がいい」
という日本文化もあるが、
「だまされる方が悪い」という文化のある国もある。

残虐な犯罪を犯した罪人が、
「無知の涙」という声をあげたことがある。

「知らないということの悲しさ」をいったものだが、
「知らないということの楽しさ」もあるのも確かなことである。

もっとひどいのは
「無知は罪」だというのも、えらく偏った危険思想である。

人種差別や凶悪犯罪、恐怖政治のような、偏見と迷信、盲信で、人は平気で、残忍に、人殺しを何人、何百万人も殺すことができてしまう。

それは そういう人を信じてしまう人は それを手助けをしてしまう。
とくに、政治では 軍隊が、宗教では信徒が、思想では集団がそうなってしまうのは古今東西あったことである。


そういう混乱に巻き込まれないようにするにはいったいどうしたらいいのだろうか?


それが
「自分を信じること、自信を持つということ」である。


知らずに殺してしまった
知って殺してしまったのも

罪の重さは違うが、罪は罪である。

悪いと知って殺すのは犯罪であるが、
良いと知って殺すのは戦争では勇者である。
だが、悪い良いを抜きにしたら、同じ結果の殺人者である。

何が良いことか 何が悪いことなのかを 知るか知らないかでも 
自分の人生が大きく変ってくる。

何が良い事か、何が悪いことか 
それを「学ぶ」ことは自分でしかできない。
他人が教えた善悪が間違っていることもあるからだ。

真実は教えられて得られるものではなく、探求して得られるものである。
それが学びである。
学校で教えられることは いわば 参考知識であって、それを信じて生きる必要はない。
自分が学ぶときの参考資料のようにすれば、どんなに間違った教師も、反面教師のようにとらえれば、
参考になるものである。

このみずから物事を学びながら真実をつかんでいく それが自信をもって生きることであり、

自分の「学ぶ」生き方を信じて、物事を判断していくことが、どんな病気、どんな神仏、どんな政治、どんな災害にも対処できるようになることであろう。

自信をもつということは 一生涯学んでいくということである。
その学びで一つ一つ悟った  小さな幸せが 自信を一枚一万積み重ねて、自分を守っていく。
古代麦のように、
実をとりまく皮と殻があつく、どんな虫、病気、天候にも まけずに、6000年も この地球を生き抜いていける。
人も 自信という皮と殻をもって、どんな病気、どんな災害にも まけずに 100年もの天寿をまっとうできるといえよう。

仏教に
「お釈迦様が亡くなる時、弟子が 先生がいなくなったら、何を頼りに生きていけばいいですか?と聞かれたとき、
お釈迦様は
「仏法と自分自身を頼りに生きていきなさい」と答えた。

だが、
2500年前の仏法は 今の科学時代ではあまり頼りにならないので、

「何を頼りに生きていったらいいか?」
というなら、

「学び」と「自分自身」を頼りに生きよと言う方が より確かな生き方であろう。

これをもっと解りやすくいうと、

「自ら学び、そこから少しずつ湧き出た自らの悟りを 信じて生きよ」
それを端的にいうと

「学び」と「自信」をもって生きよ。

という方がいいだろう。


また、自信を持つということの
三つ目の視点もある。

三つの願い

フランスに古くから伝わる昔話、「三つの願い」

学生に
3つの願いを 折り紙に書いてもらう。

神様がきこりに3つの願いをかなえるという約束をするところで。
ブデオをストップし、
みんなも、きこりと同じように 3つの願いを書いてもらう。

その後の物語を書きながらみてもらう。

そして、書いた後、折り紙の

兜をつくってもらう

神様がなんでも願いを叶えるというとき、
三つも、五つも 沢山もいらない 一つのお願いがある。

願いの絵馬を書くのは ちょうど葉っぱに願いをかけて、クリスマスならモミの枝に、
七夕なら、笹の枝ににぶら下げる。

願いは「~したい」というとき、そこに問題がでてくる。

もし、「~したくない」というとき、そこから問題はなくなる。
それを「足るを知る」というものである。

だが、足ると知って満足するのは一時の平和みたいなもので、
「~したい」という願いはでてくるのが常である。

いろいろな願いは葉っぱのように、数ほどたくさんでてくるが、
それらは枝、幹の一本の願いの木にまとまるものである。

もし、無数にある願いは1つの願いを叶えるだけで、他の願いはすべて叶えられる。

病気でも、いろいろな症状があらわれても、その根本原因をとってしまえば、、その諸症状も、合併症も、みな消えてしまうようなものである。

諸願望には、根本願望が一つだけある。

それが、「すべての望みを叶えられる神様、仏様になることである。

私の母も、「死んだら神様になりたいなあ」とふと本音をもらしたことを 私は不思議そうに聞いていたものである。

もし、神様になったら、自分の願いも、人の願いも みな叶えることができる。
つまり
神様に願いを叶えてもらうとしたら、一つだけ、「神様にならしてください」といえばいいだろう。

でも、殺されては困るので、

「生きて神様、死んで仏様にならしてください」
と正確に神様にお願いを一つすれば、一石万鳥である。



子供が産める年齢

三つの願いやアラジンのランプなどによって、
人は神になることで
自分の望みのすべてを叶えることができる。

自分が神になるのが 自信をもつということ
自分が神にならず、他人や幻の神に頼るのが 他人まかせ 神まかせ 政治まかせ

自分が神になるということは・・
他人も神になるということでもある。

つまり 神様どうしのお付き合いというのが
人の本当の絆ってことになる。

その際、特に大事なのは
命の姿がどうなっているのか 学ぶ必要がある。

神様になるには「学び」が最低限の条件である。
いわば、 神様になるには「学び」がその道具・技術である。
悟りという仏様になるには 修行が必要であるように。

神様になると
一番の仕事は 人の生死を司ることである。
善い人は救い、悪い人はリセットする。

20歳の大人になるころ、
一番の悩みと、喜怒最落は 恋愛である。

恋愛には性愛が つき、
恋愛と性愛には、
生活力というものがついてくる。

生活力には
結婚 子育て 仕事(労働と職業) 組織 がついてくる。

そして、
定年、余生 寿命となってくる。

人は神様のように、
自分の子を産むことも、産まないこともできる。

世界の人口爆発の問題も、

自分の子をどのくらい産み、どのように育て、どのような環境にして、子孫を絶やすことなく繁栄さえることができる。

神様物語は、みな どのくらい子を産み、どんな子に育て、どんな家族・社会環境をつくっていくかの物語であるのはそういう意味あいがあるのだろう。

まず、

女性が子が産める年齢を調べてみよう。

結局いくつまで子供は産む事ができるのですか?

本当のところ何歳まで産めるの?

気になる「閉経」の平均年齢は? 40代から知っておきたい更年期

排卵日はいつ?計算方法は?生理周期で排卵時期が予測できる?

避妊しちゃいけない宗教があると聞いたんです


人は神様のように、

命の生死を管理することができる。

これは
世界の人口爆発、少子高齢化 などの問題もみな解決できる能力をもっているということである、

世界を戦争させるのも、平和にさせるのも、人間は自由自在にできるということでもある。


叶わない願いはない
叶わない願いがあるとしたら、願わないことだけである。

叶えられるから 願うともいえる。

大事なことは

何を願うか というのが 叶いのすべてを決めてしまう。


学ぶということ

主流の経済学 - 隠喩的な時間の無駄

「あ〜、ママ!パパがぼくの本をぶっ叩いてる」

不明瞭な、不明瞭な
知識の進歩と思考の自由を妨げる者

豊かな人の間違いのために貧者を罰する
- Mo(Montclair)による

ダルハンク/フリッカー
7 あなたの先祖の数と複利計算

バブルなビットコイン




過去有名なバブルの価格上昇と下落

参考: ヨーロッパ三大バブル(青、茶、緑のライン


日本の不動産バブル(Japan Real Estate 1980-2003)も 金バブルの6位の次の7位にある

ビットコインは チューリップ マニアのバブル1位の次の2位の上昇である。

ビットコインが恐らく下落するだろうという理由は

チューリップバブルと同じ理由であるように
あまりに高騰すると高値の花で買い手がいなくなってしまう。
また 南海バブルのように 大株主があまりの高値に不安を感じて売る出したというものでしょう。

参考:チューリップ・バブル
  • オランダ「チューリップ・バブル」

    チューリップ・バブルは、1637年に世界で初めて起こったバブルでした。オランダではチューリップの球根が人気になり、異常な高値になりました。

    背景

    1610年代、チューリップの球根はなかなか入手しにくく、愛好家たちの間で高値がついていました。チューリップそのものには興味のない投機家たちが1637年に現れ、球根1個に家が交換されるようになりました。やがて、そういった話が一般の農家や職人にも伝わるようになりました。元手がないこの人たちは、入手しやすい球根から転売を始め、利益を上げていきました。これが先物取引制度の始まりでもありました。しかし、あまりに高くなりすぎると普通の人は買えなくなるものです。チューリップ愛好家の人たちも手が出せなくなってしまいました。

    急落

    1637年2月になると、誰も買い手がつかず価格が暴落、混乱を巻き起こしました。議会のチューリップの取引を保留するという決定によって落ち着きを取り戻したのですが、なぜ一般の人が投機に走ったのか、いくつかの説がありますが、はっきりとした原因は解明されていません。

あなたの先祖の株が現在の地球の70億人になるには何代前でしょうか?




34代前は 何年前とするなら、
人が子供を産む平均年齢としたら、
20歳~30歳としたら、

34代前は 680年前~1020年前と言えるだろう。

つまり大体 1000年前には先祖は70億人いたことになる。
しかし、
1000年前には同時期に70億人なんか生きていない。
それは 自分に命のバトンをして 死んでいった70億人の先祖であることは確実である。
それは
今の自分を産み育て、死んでいった先祖の数は当時生きていた人の数百倍もの人たちであったということであろう。
それは
一人の命を支えるために
どれほどの命が犠牲になってきたか・・

それは人が受精する確率、生物が生まれ、生き残る確率と同じ奇跡のような出来事である。



画像と歌の出典先:「しあわせにな~れ」 



いのちの軌跡(奇跡)にありがとう


お父さん お母さん
おじいちゃん おばあちゃん
ひいじんちゃんに ひいばあちゃん

そのまた上に
ひいひいひいひいひい・・・
ひいじんちゃん

ご先祖様を数えてみよう
どんな時代も生き抜いて
つながってきた命は

今70億の地球人より
(原典は 100万人より)
たくさんのご先祖様の物語

満天の星が歌うように
いつも僕たちを守ってくれてい










エクセルで計算

8


グラフ化すると




これは

借金の元金の2倍の利息の複利計算と同じになる。



[曽呂利新左エ門が豊臣秀吉に、米1粒を 毎日前日の倍の粒数だけ、51日間ください]

とお願いしたら、なんとその米粒数は 

現在の日本の米の生産高の848万トンよりも1328万倍も多い

1兆1258億9990万トンになったという笑い話である。

これらの ビットコインのバブルのような値上がりは
借金の利息100%の返金総額の双曲線と似ている。
それはまた

人類が誕生以来の 爆発的な世界人口数 にも 合致してくる。