失敗なくして成功なし


1.悪なくして善なし 
   どんなドラマ映画でも、悪役なしに展開成立できない。
悪役はドラマでは必須条件なのである。
ドラマだけではなく、この現実でも悪人なしに、善人は育たない。
少年のころ、
世界を創造した神がどうして悪魔をも創造して、自分と闘わせるか?
矛盾していると思われた。
老人になってやっとその疑問が解けてきた。
悪魔なくして、神はその役割なく、存在価値もなく、存在もできない。
それは
仏の世界でも
凡夫なくして、悟る人はなし
そういえる。

特に
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
(善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる)
歎異抄3章
往生する先は、真実報土であり、
そこに導くのは、阿弥陀仏である。
善人は真実報土に近いが、悪人は真実報土に遠い
遠くにいる悪人ほど、救うのは難しいが、救われないことはなく、
阿弥陀仏はより力を入れて救おうとするという意味であろう。

相対的なものの必要度は
平等である。
必要と不必要というその言葉の価値だって、
平等でなければ、その論理は成り立たない。


2.行いを罰しても、人を罰するな 
  人間の行いを罰しても、人間そのものの命を殺すような罰を与えるな。
相対的な理念の双方はその古今東西の状況によって、その重要度は違ってくる。
そうして、世界はバランスを保ってきた。
だが、
根本的な人の命が他の理念よりも優先されるという真実は古今東西変わっていない。
その命を最優先しない行為をしてしまう失敗を重ね、その失敗を活かさざるをえない新しい時代を迎えてきた。
それは、核戦争が可能になり、人類全体が破滅する危機がやってきたからである。
それは核戦争だけでなく、生物兵器でも、化学兵器でも、そうである。
今ウクライナ戦争が、たった一人の専制者プーチンの理念によって、ウクライナ全土に進攻しており、
プーチンが悪人になってしまい、戦争犯罪人になっている。
その戦争犯罪行為は罰して、止めても、プーチンの命を死刑にして罰してはいけないということである。
それをしてしまうと、命の最優先の真実を無視したことになり、戦争の命軽視の歴史は繰り返すからである。

それは
戦争する兵士同士の殺し合いもまた命最優先の真実が優先されるということを
世界中の人が意識できるような戦争解決策が必要になってきた時代でもある。

人の命を最優先するということは、
命を生み出す力である恋愛のありかた。
結婚生活、家族、子育て
また、
避妊や産む子の人数なども、関係してくる。

命は、一生涯のことであり、肉体だけでなく、心も入っているからである。




3.悪に悪を返すとやはり罪 
  正当防衛で「殺そうとする相手を先制攻撃して殺す行為」は
殺そうとする行為は国が命じたとしても、悪であり、罪である。
それは、、
行為を罰しても、人を罰してはいけないという意味でもある。

4,行いを罰せず、人を罰せず 
   ウクライナ戦争で
国連で、非難する相手をロシアと指定せず行為を非難する国が40%もあった
これは実に賢明な判断である。

ここにこそ、
将来、平和と健全な世界を築く上で大事な視点になる。

一人の失敗を全員の失敗として、レッテルをはることは
ラベル化レベル化する心理学における偏見の原因になるからだ。


これはまだ
失敗を成功に導くコツでもある

今第三次世界大戦に入る危険性があるが、
それはまた逆に
三度目の正直として、
この大危険を反省して、大きな世界平和への礎ができるといえる。

第三次大戦の危険から、
これからの戦争の防止法をさぐり、
世界全体の平和への道を築く一歩にできる

5.命の数などない 
 
命の数などない、一つだけである。
犠牲者の数というのも、怪我の大小であり、感情的な大小であって、
命の数など数えることは幻である。

人はどうして嘘をつき、またどうして信じるのか?
それは
人は自我があり、その自我の欲望があるからだ。
その自分の欲望から、他人に騙されたり、他人を騙したりする。
また、自分の欲望は、真実をみようとせず、
欲するものを幻でみる。欲した幻を信じて、その幻に自分を依存させる。
そのため、
人は真実を認めようとせず、自分の欲する人の幻を信じる。そして、その幻に自分の一生を捧げてしまう。
それはとくに神仏を信じる人に顕著にあらわれる。
だが、
人の自我の欲求は生存欲求であり、愛欲であり、知欲である。
そのため、自我を超えた他人への欲求から、真実を超えて、幻の自由、国、社会、平和、戦争 神仏をみて信じ込んでしまう。
 
年取りて
他国の戦争見て
学ぶこと多く、
それまでの疑問の多くが解けてきた。
それは
年取って、死がま近いと欲望が弱くなってきた。
その欲望の少なさが、幻を消し、真実に光をあてることができたように思える。

真実の命の姿に、
数も、障害も、社会も、国も、宗教も、権力も、自他の区別も、敵味方も、
およそ、相対する事象はみなない。

命は一つであり、
その命の自我の欲求は幻の相対なる自他を観させる。

今のウクライナの戦争は
喧嘩両成敗がもっとも幻をけしさる政策であろう。

なぜなら、
両者 異なる幻をみて殺し合ったからである。
ロシアとウクライナの国の境など真実の地球にはない。
また、殺し合う、ロシア兵とウクライナ兵とも差もない、
兵士と民間人また、政府と民衆の差もない。

みな一つの自我をもった命である。
自他の区別は幻である。
個人と国の違いも幻である。

そして、自我をもち、自由を求める命の姿から、
このウクライナ戦争をながめると、
シンプルな構図が描ける。

この戦争はプーチンとゼレンスキーの二人の幻の国の取り合いである。

そして、
その幻への感情が落ち着きはじめると、
いくらか真実がみえてくる。

プーチンの信頼は落ち、ゼレンスキーの信頼が上がる。
それは
両者の国がどういう変化になろうとも、両国以外の国からすれば、さほど問題がない。

喧嘩両成敗は
ともに、兵士と民間人の犠牲者をだしたので、
その反省をさせるために有効な手段であろう。
二人は大統領の職と辞させ、二度とその職につけないようにさせるのが
犠牲者への追悼となるからだ。

これは国際的ルールを守らせるというのではなく、、
命をもっとも重視させる世界への方向転換として、
世界に示すことになると思える。

6. 交渉術
   
プーチンの嘘によって、世界中が翻弄されている。
いわば、詐欺師のように外交また内政している。

そういう詐欺師に対して、その言葉を信じても、また、約束して行動したら、
詐欺師の思惑・欲望のままコントロールされ、痛い目にあう。
しかも、
そこに愛や忠義や感謝などの感情が入りこむと、
詐欺師に騙されていることに気が付かない。
いいように解釈してしまい、さらに、詐欺師を深く信じ込んでしまう。

では、そうした詐欺師に対してどう対応したらいいか?


武力に武力で対抗したら、さらに傷が深くなるように、
嘘には嘘で対応してしまえば、追及合戦して、お互いに嘘の上塗り、
嘘が嘘を重ね、大きくなって収集がつかなくなってしまう。

詐欺師が政治家や宗教家や大金持ちだったら、その被害は大きくなってしまう。

今、ウクライナとロシアの停戦交渉がされているが、
たとえ、民間人を無事に非難させることを合意しても、
詐欺師にとっては嘘の約束ごとだから、守られることはないので、
延々と続く守った破った結果になる停戦交渉になる。

詐欺師の特徴は言うことと為すことが真逆だということである。
詐欺師には善い詐欺師と、悪い詐欺師がいる。
善い詐欺師は相手ににとってよい結果をもたらす、自分にとっては悪い結果をもたらす。、
悪い詐欺師は相手にとって悪く、自分にとって良い喧嘩をもたらす。



初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神である
すべてのものは、言葉よってできる
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはない
この言葉に命があり、。そしてこの命は人の光である
光は闇の中に輝き、闇はこれに勝てず

ここに一人の人がありて、神から遣わされた
その名をヨハネと言った。
ヨハネは証しのためにきた。光について証し、
イエスによってすべての人が神(キリスト)を信じるためである

ヨハネによる福音書 第1章1-7


これは
言葉によって、人間も社会も世界も造られているというわけである。

矛盾するのが
ヨハネによって、すべての人がイエスが明かすキリストを信じるためである。

最初に、すべては言葉からできていると言うなら、
ヨハネも、イエスも、神なるキリストも、みな言葉である。
言葉が言葉で証し、言葉を信じさせるということになる。
それは恋を恋せよ 知るを知れ、神は神ということになり、
単なる同じ言葉の繰り返し唱えているにすぎない。

それは矛盾する論理である。
だが、唯一矛盾しない一部の論理がある。

「すべては言葉によってできている」
このすべてというのは人間社会のみである。


言葉を持たない、他の生物は、けして人の社会のようにはならないし、
人のように、信じたり、騙したり、嘘真をいって争ったり、約束したりしないからである。

「人間社会はその使う言葉によって人間らしくできている」

このように、限定した論理(概念)から、どう人間社会を形作るかも見えてくる。

詐欺師プーチンの嘘をどう暴くかは
彼が言行一致しているかどうかを検証することである。

彼が約束した言葉を実際に実行しているかで、その言葉が嘘か誠かがわかる。

詐欺師プーチンが言行不一致であったら、次に、彼が善い詐欺師か、悪い詐欺師かを見抜くには
彼の言葉(言い訳)は一切無視して、
彼の行為そのものだけに限定して善悪人がどうかを判断できる。

彼が、どんな善き理由を言っても、それを信ぜず、彼の一時の行為ではなく、長年の行為全体を観察して信じられるかどうかが判断できる。

但し、
彼の行為検証ができない場合には、
彼の言葉がどのくらい信用できるかが対話する。

この対話が嘘を見抜き、真かどうか、その対話方法が、
ソクラテスの問答法である。


ソクラテスが行った問答法は、
相手が「わかっている」と思っていることに対して、
質問を繰り返すことで、
考えの矛盾に気付かせるというもの

このサイトにある一例

金持ちとソクラテスの対話

お金持ち
「世の中お金がすべてだよ。お金があればなんでもできる」

ソクラテス
ほう、なんでも…というと?」

お金持ち
「お金がないと欲しいものは買えないだろう。お金がたくさんあれば、欲しいものはいくらでも買うことができる」

ソクラテス
「なるほど…つまり物を買えるということが、なんでもできるということですか?」

お金持ち
「物だけじゃないさ。旅行にだって行けるし、家政婦を雇うことだってできる」

ソクラテス
「なるほど…では、値段を付けて売られていないものはどうでしょう。友達や恋人は、お金で作ることはできますか?」

お金持ち
「お金に寄ってくる友達や恋人もいるだろうな」

ソクラテス
「その人たちは、本当にあなたのことを大切だと想っているでしょうか?」

お金持ち
「…そうとはいえないな」

ソクラテス
「その人たちを、友達や恋人と呼べるでしょうか?」

お金持ち
「…本当の意味で、そう呼ぶことはできないな」

ソクラテス
「お金さえあれば、なんでもできるんですよね?」

お金持ち
「…なるほど、お金で手に入らないものもあるな」



この問答を停戦交渉に応用すると、

プーチン
「今のウクライナは我がロシアが安心して発展し存在することができないので、攻撃する」
ゼレンスキー
「今のウクライナがロシアにとって脅威だから、その政権を武力で打倒するということですか?」
プーチン
「政権を倒すつもりはない。ただウクライナの非軍事化、非ナチス化、中立化を要求しているだけだ」
ゼレンスキー
「今の政権が非軍事化、非ナチス化、中立を約束すれば攻撃しないでも、ロシアが安心して発展できるということですか?」
プーチン
「約束だけじゃなく、それらを実行するか確かめないと安心できないな」
ゼレンスキー
「今のウクライナ政権でそれを約束実行できると思いますか?」
プーチン
「無理だな、今のウクライナ政権にそんな力はない」
ゼレンスキー
「だから、今のウクライナ政権を武力で転覆させ、新しい非軍事化、非ナチス化、中立を実現する
新政権の樹立をねらっているのですか?」
プーチン
「いや、今の政権を倒すつもりはない」
ゼレンスキー
「今の政権を倒さないとロシアが安心して発展できないということでしょう?」
プーチン
「今の政権が非軍事化、非ナチス化、中立化が実現できれば倒さない」
ゼレンスキー
「でも、今お政権ではそれは実現できないと思っているとおっしゃったではないですか?」
プーチン
「・・・・・・」

また、

プーチンの嘘とその狙いは
ウクライナ進攻の前日に、ドイツの首相と電話会談したときに、
「ウクライナには軍事侵攻しない」と話したし、
その前から、海外メディナにも そう報道していた。
だが、プーチンは
翌日ウクライナに軍事侵攻した。
その言行不一致からも、
また、その武力による他国への軍事侵攻という行為からも、
彼の嘘と狙いと残虐さが明確に把握できる。

彼の嘘を信じるロシアの参謀も、兵士も、国民も、
その真実のプーチンの姿を見ようとも、確かめようともしないで、その命までも預けてしまう。
また、ちょっとでも、プーチンを疑うような行為をすれば、牢獄行きか、命さえも脅かされる。

嘘を信じたり、信じ込まされたり、強要されたりすると、
人間社会は自由も。身の安全も、失い、
悪い詐欺師プーチン政権においては
プーチンが思い描く
「安心して発展できるロシア」とは逆光して進んでしまう。
その嘘を失敗を隠そうと嘘をつき、
自国民にも他国民すべてに嘘をついて
自分で自分の首をしめてしまうことになる。

それは
ウクライナに要求する
非軍事化、非ナチス化、中立化は
自国ロシアに対する要求として
鏡のように返ってくる。

それに、プーチンは気が付いていない。
たとえ気付いても、認めようとはしないのは、
自分の幻だけを信じ、真実の姿を受け入れない、
妄想患者であるためだ。


真の愛国者は自国のみならず他国をも愛する者である。
愛に国境などないからだ。

他人を言葉で批難攻撃するときは
その言葉は鏡のように
自分に対して同じ非難攻撃すると
反省し真実がみえてくる。

私がプーチンを非難するように、
自分に同じ言葉で批難すると 
自分が何を反省し、何を次にしたらいいか
解ってくる。

自分の昔また今も、
プーチンのような妄想患者であったかどうかを反省し
生まれ変われる

人に対してする言行を
自分に対してする言行に
置き換えて反省すると、
他人の振り見て我が振り直せ

これが、
言葉による幸福法であろう。
また、
失敗を成功へと導く魔法であろう。

プーチンがウクライナの非軍事化、非ナチス化、中立化を武力要求する言行をそのまま
プーチン自身が、自国ロシアに反要求すれば、真実も解決策も、その実現も近づいてくる。

この他人への批判をそのまま自分に批判してみると
あてはまることが多くあるのに気付かされることが多い、

それは第三者であっても、

「プーチン、それは自分自身に言っているんじゃない?」
と、
気付かせることもできる。

もし、
プーチンがおかしな言行要求をするなら、

やさしく
「どうもあなたの言うこと理解できない。ひょっとして、プーチン自分のことを言っているんじゃないの?」

そういう気付かせ方も
交渉術には有効な切り替え方だろう。

7、いかに戦争をおさめ平和へと進めるか 
  2月24日のロシアのウクライナ進攻から40日もすぎて
すっかり平和の道を探る横道にそれて、
生活もかなり朝昼逆転はするし、ダイエットもリバウンドするし、ブルブル体操も休みがちになった
そろそろ、
自分本来の道にもどって、また一から整理しなくてたまらなくなった、
そのためには、
この平和への筋をきりんと自分なりに整理しておかないと、
自分の本道にすすめなくなってきた。
とはいえ、
新ウイルス騒動、戦争騒動が
これからの余生の整理にはかなり役立ってきている。
余生の花道が
まさに「失敗は反省して成功となる」
幸福感に満たされている。

権力や有名が少しだけの方がいかに自由を味わえるか実感している。
どんなことをSNSで発信しても、
それを読んでくれる人がほとんどいないことが
批判がなく心が痛まない。それは逆に、イイねなどの賞賛もないので、浮かれない。
それこそが、他を気にしなくて、自分の自由な道をいける幸せである。
世間では孤独老人のような扱いになるかもしれないが、
当の本人にとっては、一人暮らしの自由さを満喫できる幸せは、
結婚しないで、独身で一人暮らしであることの贅沢さを味わうことと同じである。


8.非合理の智 
  「面倒くさい」と思って、その行動を辞めたり、しなかったりして、そのまま放置していたり、
もっと簡単で合理的な方法でその目的を達成しようとする。
ここに、

合理の愚がある。
例えば、
旅行にいくとき、
目的地に行くのに、飛行機で行く場合と、歩いていく場合がある。
旅を楽しむとしたら、どちらの方がより楽しいかといえば、歩いていく場合である。
でも、
時間と予算と目的という見地からの合理性だったら、飛行機を選んだ方がよいと判断できるが、
旅行を楽しむことができるかというと、歩いて時間をかけ、予算内で旅した方がよいだろう。
目的地に早く達成するのはビジネスには有効だが、旅を楽しむには一時的にすぎない。

戦争を始めたり、終わらせるのに、
早くやるのは、武器は有効だが、
平和への道をながく構築するには、ゆっくりと構築していった方がより有効である。
それは、戦争を予防することも可能になる。

国際問題がからむゴルディアスの結び目ができたとき、
それをほどくのが面倒だというので、斬ってしまうとき、
一時はうまくいくが、さらに、ゴルディアスの結び目は複雑に固くなり、斬るのも難しくなる。
だが、
面倒くさくても、一歩一歩ほといて、平和への道を有るんでいくことが
再び、ゴルディアスの結び目ができた場合、小さな結び目をほどくことが簡単にできるようになる。
諺にも、
急がば回れ
は、
面倒くさいと思ったら、
その面倒に真の喜びと目的があり、

急がば面倒くさき道歩め

足るを知れ
小食に真の満足あり

不知と智
もまた、そうで、

真実を知ることはけしてないかもしれないが、
真実を求め、小智を積み重ねて、けしてあきらめないところに生きる意義がある。

真実を知ったとか、悟りを得たとかいうのは、
思い込みで自分を神仏にしたり、他を神仏にして服従してしまうことである。

常に自由に平等に楽しく生きるには
何度も生まれ変わっても、真実を求めていくことが必要である。
悟ったり、他を悟った人とか、神だと信じてしまうと、
それは思い込みであり、妄信であると検知したほうが無難である。
常に完成、真実探求、恒久平和を求めても、その終わりがなく、そこに向かうのが
人間らしく生きることであり、幸せな人生を歩むことができる。




 
9.罪を罰しても人を罰するなの応用 
 
独裁者プーチンの命令で、それに従えなければ殺されるもしくは牢に入れられる場合、
その罪の大きさは
独裁者のプーチンにあり、
洗脳され、従わされた兵士の罪は命令者より軽くすべきであろう。
弱き者の罪は軽く抜歯、強き者の罪は重く罰するのが基本であろう。
だが、どちらも、その命を奪うことは奪うことを命じた者が最も罪が多く、それに従わざるをえない場合は命令者よりも軽くなる。その方がバランスをとれる更生の基本となるだろう。


独裁者の悪意に従わなくてすむように、
常に、生活は自給自足できるくらいまでの経済力、
また、意志も、自由に決定できるような自立心をもてるように、
しつけ、教育、また、自立心や自分の経済も、意志も自由に最低限持てるようにする訓練が
平和を築く上で重要になるように思える。

 
10.命を最も優先する意識にすると 
   
もし、侵略の兵士が国民の女性をレイプして、
子をはらませた場合、その夫や近所はどういう風に彼女と子を扱うか?
昔だったら、
夫は離婚して去るか、その妻は追い出されるか?
近所では白い目でみられるかになる。
そして、被害者である女性は自殺に追い込まれることが多いあった。
また、
その女性がレイプされる際、抵抗すれば、殺されてしまう場合も多くあった。

だが、
これからは、もっとも命を優先するならば、
レイプされた妻をより大事にし、
その子を大事に二人で育てることで、
戦争後、
レイプ犯罪を犯した者は
その反省をよぎなくされると思われる。
自分がレイプした子が大事に育てられたら、
そのレイプする行為がどれほどの犯罪であり、
けして忘れられない罪として、その謝罪を一生かけてつぐなおうとするだろう、
どんなに憎しみあう両者であっても、
片方が憎しみよりも命を優先するならば、
殺すのではなく、生かすこと、育てることが大事になるだろう。
そして、
殺したり、暴力で相手の自由と意志を奪った場合は、
一生涯の反省と罪をおって、自殺や死刑や、束縛されることを
子孫末代まで負うことになると、反省することができるようになるだろう。

日本が韓国人の女性に対して
軍人の性的はけ口としてあつかった罪を訴える彫刻が
日本や世界の道路に置かれることに対する反感が
不思議に、まったく関係のない日本人の私にも嫌な気分にさせられる。
もし、
その徴用婦像が戦争中の日本人の犯罪を訴えるとしたら、それは
戦争時における犯罪を訴えるべきで、それは戦争記念館だったら、
それを反省するのには有効だけど、
平和な日本や他国にその昔の日本人の戦争犯罪を訴えることは
逆効果のように思える。
また、
そうしう人たちがその昔の日本人の罪に対して訴訟し、
賠償請求することは、当然だし、それに支払うとは当然であろう。
でも、それがお金だけで解決することができるだろうか?
むしろ、
戦争における犯罪を反省し、二度と戦争を起こさないような
戦争反省館を設立し、韓国の犠牲者だった人に対して、
謝罪のための言葉とお金を添えられる場にして、
先祖が犯した罪を二度としないように、
その反省館に入館した子孫による、手紙と寄付をえた方が、
国として訴え、賠償金を求めることより有効に思える。

反省することができるような時と場を設けることが
未来にむかって、二度と同じ過ちを犯さないようにすることだと思える。

また、
過去をリセットして、
新しく生きることも必要であろう。
それは
今の現実を大事にすることが優先され、
昔にこだわらず、未来を恐れず、
気分爽快に生きていけるような
道路や施設が多く必要であろう。

過去と未来
今とこの三つの時間は
命の三要素であり、そして、その優先度は
今、未来、過去という順番になるだろう。



  ⇒まとめ