自叙伝1 
1.前置き 
   僕の命は両親先祖の平均寿命は75歳である。
今年の10月4日で、満70歳を迎える。
残るは5年の命として、三つの目標を立てた。

・健康な体のリズム
・平和は心のハーモニー
・自然な生活のメロディー

今年からの生活習慣として

・朝の7時半から10時までの散歩と尺八
・昼の1時から3時までのプール

この二つはここ2か月で習慣化できてきたが・・
空いた時間の多くは録画したテレビ番組(映画が多い)を観ることが多いが
満足できる番組は三分の一くらいである。

その時間に、自叙伝を描き、充実感を持たせたい。

資産の遺言書はすでに書き終わっており、娘が引き継がない店の方は廃業する方向に進めている。

遺産でもっとも重要なのが、

・生き抜くための知恵・希望のような魂の力である。

この魂の遺産を我が子だけでなく、次の世代・未来の人たちへ伝え残しておく必要があると思える。

そのためには、自叙伝を残る5年間で少しずつ描いていくのがいいだろう。
だが、通常の自叙伝では、よほどの著名人でなければ 残らないし、伝わりもしない。
まったく新しい形の自叙伝として、
その構成を、僕の過去の出来事を過去世とし、来世を未来世とし、現世との三世でのコミュニケーションにする。

伝える相手は、来世の自分自身であり、彼が読者でもある。

さらに、小説のような文章ではなく、映画やドラマのシナリオのような、役者が演じられるような脚本形式にする。
どうして映画やドラマが自分が好きなのか、それで納得させられる。

その時代の背景や音楽、写真なども入れ込んでいき、総合的に創り上げる、

じっくり、ゆるりと楽しみながら描いていけば、いいだろう。


2.康平のあらすじ

 
 
  1.
  赤い目玉のさそり
  広げたお鷲のつばさ

  青い目玉の小犬
  光のお蛇のとぐろ 

  オリオンは高く唄い
  露と霜とを落とす

2.
  アンドロメダの雲は
  魚のお口の形

  大熊のお足を北に
  五つ伸ばしたところ

  小熊のひたいの上は
  空の巡りの目当て

1.
北極星が目当て
自転公転に合わせ

半時計に廻り
星座の四季を巡る

星は爆発生まれ
ブラックホールに消える

2.
南の星座の目当て
南十字の縦を

四つ半下に
時計回りに廻る

星も命と同じ
生まれ代わりを巡る


 大き戦争終わり
 5年後康平生まれ
 
 びくつきながら育ち
 なぜ生きるのか悩む

 心の病にかかり
 学も恋も破れる

 苦しみ悩み旅し
 日本世界と巡り
 
 サラリーマンしたが
 合わず便利屋起こす

 サモアの娘もらい
 離婚し娘二人

   今は1人で、のんびり余生を山梨の山間に暮らす
3、12年前の最後の伝達 
  過去に子供に最後の伝達として、2008年(12年前)、今と同じようにホームページに残そうと思った。
その文章がこれだ。
 
  最後の伝達


     2008年8月27日(水)

 当年、仕事と家庭と身体において、最後の仕上げをしていこうと思う。
仕事はお店とアパートと駐車場でなんとか軌道に乗って食べていける。たとえ、赤字になったとしても、貯金があるので、私の生きている間とおまえ達二人の大学卒業までの学費と生活費までは出すことができるので安心している。

 そして、残された人生の時間はどのくらいあるかはわからないが、予測できるのは私の両親が二人とも75歳で亡くなっているので、同じくらい生きられるなら、あと、17年間ある。

 でも、死とはいつくるかは予測できないものである。明日あるかもしれないし、長生きして100歳以上生きられるかもしれないが、それも不確定なものだ。そこで、いつ私があの世にいくようになっても、おまえたちが困らないように、準備すると同時に、私が今まで生きてきて、次の時代の人々に伝えたいことをやっていきたいと思う。

 そのためには、まず私自身が病気や事故災害に逢わないようにして、いくらかでも長生きできる時間をかせぐことが必須だろう。そのため、ダイエットなどをして、健康と安全対策をしながら、この準備と伝達をすすめたいと思う。

 これを伝えるのはおまえたち二人だけだが、単に言葉だけでなく、それを映像と作品としてそれを伝えたいと思う。私は長年ホームページ作りをしてきたので、「娘二人に遺す」というタイトルでそれを作り、そして、実際に遺す故郷を作ってみたいと思う。

 ホームページというのはサーバー上で、実際にはない世界なので、本当の意味では全部それが伝わらない。ホームページというのはいわば言葉の信号の世界みたいなもので、物質の世界ではない。そのため、人は言葉と肉体を必要とするように、ホームページと現実の物資の両方があって始めて意味を持つことができる。

 現実には故郷を作ろうと思う。その場所を丹波山の鴨沢の場所に決めている。そこにすべて二人に遺すものを納めてみたいと思う。ホームページと合わせて受け止めてほしい。

                   父  康平
 
  なんと、12年間で、故郷が丹波山村鴨沢から、山梨市の富士山が見える場所に移った。
娘は自立して、長女は地元の人と結婚し、次女は東京で人材派遣企業の営業で働いている。
私は1人のんびり暮らしている。
便利屋の仕事は解散して、唯一店経営と、アパートと駐車場経営が残っている。
健康のダイエットは食事を減らすよりも、運動を多くすることに切り替え、砂糖摂取を少なくしたおやつ抜きの方法に切り替え、体重を減らすことをやめ、体調の良さだけを目安にしている。

12年前の自分と今の自分とは環境も心境も、身体も大きく変わってきている。
大きく自分を変化させたのは、長年の便利屋をやめたことと、自然農法による畑づくりである。
また、娘二人が自立したことも大きい。

振り返れば
時がjけしてもどらないように、
過去の自分にはけして戻らないということであり、
とにかく、過去を土台にして前に進むことだけがあるようだ。

それは毎日の細胞の新陳代謝のように。毎年生まれ変わり生きている感じである。

それにしても、
過去の自分と対話することがはたして未来の人に役にたつかどうか?
ふと、
今の自分の楽しむ尺八は
過去の自分つまり、尺八をあきらめた自分を振り返り、それを反省して再びやりだした。
しかも、その尺八を公園で毎朝やることで新しい人間関係を生まれている。
過去を振り返ることではなく、過去の反省が今と未来を創り出すことだということになる、
それは自分の未来だけでなく、来世の新しき世の人に影響を与え、コミュニケーションするには最適なことである。

映画を作るように
フィクションを描くのはそういう事業化、アーテストにまかせておき、
私しかできないことは、フィクションではなく、真実を描くことだけである。
正直に書いておけば、話の矛盾がでないし、その選択で、どうなったかもハッキリしている。
もしもの話ではなく、真実の話である。
フィクションはいっときはおもしろいかもしれないが、夢の話で、そのときはおもしろいが、後ではおもしろくは感じなくなるものでもある。
真実は一時の面白さではなく、心の底にある遺伝情報のように、子孫や命あるものに伝わり、面白さ以上の感動がある、

私はアーティストでも、思想家でもない、単なる無名な老人にすぎない。
それこそが、余計な飾りやフィクションや金儲けなどしないで、自分自身を楽しむことで、周りが未来が楽しんでくれればよい。

どんな構成であろうと、過去を振り返り反省して、今と未来をより楽しもうではないか!

尺八を自分のためだけに吹くように、過去の真実を反省して新しき知恵や発見を自分だけ楽しもう。

老人にとって
健康であることが第一の仕事ではあり、
第二の仕事は過去を振り返り、記述し、過去との対話をすることだ。

それは自分が健康であることが他人に迷惑をかけないだけないだけでなく、幸せにすることであるように、
自分の過去を語ることもそうであり、他人にとっても、迷惑をかけることでもなく、なにかしら参考になり、役立つものである、
それは新陳代謝のような健康と同じく、過去の反省から今と未来を創り出すように大切な仕事である。
健康だって、過去の悪しき生活習慣を反省して、良き生活習慣を創ることなのだから。
生まれ変わりには過去の反省は必要不可欠な仕事である。

この自分の反省が他人にとって役に立つかどうかなんて、どうでもよいことであり、それは他人が決めることで、私自身が想像したり、決めることではない。

尺八と同じで、自分の楽しみだけで、書くようにしよう。


4、前世・先祖の話 
 
自叙伝を来世のために書くにあたって、
先祖とか、前世についての僕の考え方を示しておく。

先祖は日本の場合、長男がその家系を継ぐことになり、分家した人は新たに先祖を作れば、先祖が生まれる。
僕の両親は岡部家と下條家であるが、どちらも分家である。
長男は結婚はしていない。二男の私はサモア人と結婚離婚して、娘二人いる。
新たに先祖を創るとしたら、養子をとる必要があるが、そのつもりもない。

つまり一世一代限りの家で終わることになる。

先祖を持つ家系は先祖を持たない家系の方が圧倒的に多いだろう。

というのは、

両親は二人、そのまた両親も二人として、二の累乗で、何代前の先祖の数が計算できる。

日本の現在の人口は約1億人である。
私の先祖の数が1億人になるのは何代前かを計算ができる。

1代前
2代前
3代前
4代前
5代前
6代前
7代前
8代前
9代前
10代前 
1
2
4
8
16
32
64
128
256
512人
11代前
12代前
13代前
14代前
15代前
16代前
17代前
18代前
19代前
20代前 
1024
2048
4096
8192
16384
32768
65536
131072
262144
524288人
21代前
22代前
23代前
24代前
25代前
26代前
27代前
28代前
29代前
30代前
1048576
2097152
4194304
8388608
16777216
33554432
67108864
134217728
268435456
536870912人
31代前
32代前
33代前
34代前
35代前
36代前
37代前
38代前
39代前
40代前
1073741824
2147483648
4294967276

8589934592人






28代前(平均結婚年齢を約30歳で子を産むと)840年前
 日本人の現人口1億人以上の先祖の数である1億3千万人生存した
31代前(平均結婚年齢を約30歳で子を産むと)930年前
 世界の現人口70億人以上の先祖の数である85億9千万人生存した

  天皇家のように男系列を追いかけたとしても、血縁の先祖を決定するには政治的な権力で創られることになる。
それは真実の血縁の姿とはかけ離れた幻想先祖に過ぎない。
この真実の数字から導き出されるのは
僕たちがこの世に生まれ出たことは星の数ほどの先祖の中から引き継がれた命であり、
今地球上に生きている人はみな共通の祖先であるとした方が先祖の家系よりも大事な真実である。

そして、
先祖の数は子孫の数にもいえる。

平均、二人の子を産むとして、子孫の数を計算すれば、
28代目の840年後は1億3千万人、31代目の930年後の子孫は85億9千万人できることになる。

この計算は
自分の前世にも通じて、
今地球に生きている人にみな前世(過去生きていた人)があり、それを何代もたどると、
70億人の前世は共通の1人の人間(神のような人)であるとした方が真実に近い、
また、
自分の来世の姿を何代もさぐっていくと、新しい時代に生きている人全員だということになる。

端的に言えば

僕も他の人もみな共通の先祖と前世である神のような人であり、
僕の子孫も来世も未来の人類すべての姿であると真実計算できる。

それゆえ、古今東西の人の心は自分の姿を感じて通じるといえるだろう。

さらに、
自分とは何者か?
という疑問である。

はたして 心のような魂なのか?

移り変わる肉体なのか?

この自分という正体がはっきりしない以上
その自分の遺言はどこに伝えていいのかわからない。

子供たちに残す遺言の内容は
ほとんど物的資産のことであり、本人の魂や夢ではない。

自分自身がもっとも伝えたい内容というのが生き抜く心・魂・知恵である。
それらは子供や親せきだけではなく、次の時代の人類全体に伝えたいものであり、
伝えられるものでもある。

つまり、
来世に生まれ変わる自分の正体は
次の時代を生きていくすべての人類しいては生き物すべてに伝わる
小さな波・刺激のような内在する遺伝子の中に生まれてくることになる。
それが環境に合わせた生命進化とも関係するのかもしれない。

神は唯一にして、偏在というのが、それぞれの自分自身の正体として表現できる。

記憶に残る残らないというのでもなく、
確実に一個の自我の一生に為したことは、神・仏・魂・無我として、遺伝子の構造を変化させていき
進化また退化して、次の新しい環境を生き抜く知恵・情報・信条として伝えられていく。
それは伝えようとしなくても、伝わるということでもある。

それが生命の自然伝達の知恵・魂であろう。

一寸の虫にも魂というのは
虫が次の時代も生き抜くだけの進化退化をして生まれ変わっていく
その自然力こそが魂というものであろう。


自我は今世の肉体の姿であり、

自我の心魂は

前世神
すべての人が
来世仏

これが自然の命の生まれ変わりである。 

今世の一個の肉体を自我
今世のすべての人の肉体の総称が一つの神仏なる魂の一時の姿である。