ベーシック・インカム

1.働かざる者は食うべからず ?

 昔から、
働く者に貧乏なし」「働けば回る」という諺がある。
 その一方に、啄木は
働けど働けどわが暮しらくにならざりじっと手を見る
 と詠ずる。
一体どちらが真実なのであろうか?

 前者は「・・・すべき」「・・と信じる」という理想と信念の言葉であり、後者は「・・・である」という現実をそのまま忠実に描写している。

 故に、真実の姿は事実も基づいたものである後者である。そして、この事実は逆も真実であることも教えている。

働かざるも 楽に暮らせたり

 これは理想でもなく現実の一方にある事実である。それをどんな国民にも実現させようとすう狙いが「ベーシック・インカム」である。


 

2.働くって何だ?

◆働くってのはね。はたをらくにしてやることさ。
 
 この老人は、いつも何か仕事をしていた。年をとっているのに、じつにまめな人で、ほとんど手をやすめているということがなかった。そんなふうだから、だいぶお金がたまったのだそうだが、二、三年前の不景気のとき、銀行がつぶれて、預けておいたものを、すっかりなくしてしまったのだという。遊び好きの職工たちは、「あんなに働いたって、何になる。バカなおやじだ。」といって、軽蔑しているが、当人はなんといっても、昔どおりこつこつ働いていた。

 「働くってのはね、はたをらくにしてやることさ。」

 ほかの人が言ったら、だじゃれに聞こえそうなことばが、このじいやの入れ歯のあいだから出てくると、なんかしみじみとした響きがあった。

 「あゝ、そうなんだよ。働くと、はたの人をらくにしてやると、自分もきっとらくになるんだよ。ひとりでに、金がたまってくるからね。」

山本有三『路傍の石』


 「働く」という漢字は日本独自の文字で、中国でも韓国でも、働く言葉を「労動」として「労働ではなく労動」である。英語のworkの語源は、

古代ギリシャよりもさらに古い時代に、仕事、はたらきを表すことばとして uergon (ウエルゴン)という語のあったことが想定されている。それがギリシア語としては ergon になり、古代ゲルマン語としては werc , werah となった

 いわば、エネルギーという意味だったので、日本語の人偏がついて、人が動くのが働くという意味合いが少ない。人が働くという場合は、人は助け合い、また競い合って働く意味合いが大きくなると、機械が動いて生産することを働くとはいわなくなる。

 しかし、機械で生産された商品はすべて「労働+資源」となり、それが金銭で取引されると、その金銭の利率や売買によって、その商品の価格が決められてくる。そのため、機械と貨幣システムにより、人の手で生産された商品価値という意味合いは薄くなる。

 そのため、「働いてお金を得る人」と「働かないでお金を得る人」の両者がでることになる。また、「働いてお金を得る人」と「働かせてお金を得る人」の両者もでることになる。

 もし、働いてお金を得る人だけを働く人という定義をするなら、国民の1割くらいしかいなくなるのではなかろうか?

 しかも、「働かざる者は食うべからず」という原則をしたら、病人や子供や老人は食べてはならないということになる。そのため、働くことを金銭と結びつけることは大きな矛盾をうむことになり、それは不適切ということになる。

 働くことと金銭を同一視してはならない

 働くということは、金銭とは区別して、人が動くこと、人の活動という広い意味合いでとらえることが大切である。そのため、人の活動そのものを働くというならば、人がともに生きることを働くという定義ができることにある。

 働くとは人がともに生きることである



3.ともに生きるとは?

 限られた地球資源の中で、ともに生きるには、2種類の生産活動が必要である。ともに助け合うことと競い合うことである。両者は相矛盾する人間活動ではあるが、結果的により生産を増減させることができる。

 人はパンのみで生きるにあらず。

 人の欲望は衣食住以外にもあり、それが発展して、権力増大にもなってくる。この欲望の中心になるのが独立した自我の欲求である。それが一人一人みな自分が神様のような存在であることが、人の自然な欲求になってくる。

 人がそれぞれ神様のように独自の活動と欲望を持っていながら、ともに地球上に生きていくためには協力と競争は欠かせないものである。その協力と競争を経済活動の中で平和的に行うために必要な最低限のルールがある。

 協力にとっては平等であり、競争にあっては相手を殺してはならない、共存である。しかし、経済活動する上で、このルールが常に適応されることはありえないことであり、それに逆らうような活動がされる。競争自体、勝負であり、その上下関係ができる。また、協力にして、ともに活動する場合は、その総責任者である頭を決定しないと協力はできないので、上下関係ができるので、平等ではありえないことになる。例えば、二人行動をともにするときに、二人の意見が違った場合は協力はされないでばらばらな活動になるが、もし、二人の意見が違った場合は片方のAの人の意見をBよりも優先するという約束がないと協力は成立できなくなる。

 つまり、ともに生きるということはその間では平等関係は崩れ、上下関係や優劣関係が生じるということである。

 私たちは親やその環境の影響を考慮せずに、比較するならば、裸で生まれ、その裸の肉体も捨てて去っていく。その点では平等な立場にある。でも、その肉体以外のモノを入れると必ず不平等になってくる。そのため、不平等をいっさい認めない政策は自然の理に合わないことになる。

 そのため、何を平等にし、何を不平等にするかという点が大事になってくる。

 ともに生きるとは何を平等にし、何を不平等にするかをその中で取り決めることである。
 

4.ベーシック・インカムとは?

 京都府大の小沢修司氏によると、ベーシック・インカム構想は資本主義の成立初期に確認できるという。
 18世紀末のT・スペンスやT・ペイン
 イギリスにおける1795年のスピーナムランド制(実行された最初の試み)
 世界大戦後
 D.ミルナーの国家ボーナス構想
 C.H.ダグラスの社会クレジット提案
 ノーベル経済学を受賞したJ.ミードの社会配当論
 J.リーズ・ウイリアムズの新社会契約構想
 M.フリードマンの負の所得税提案
 イギリスにおけるタックスクレジット案
1980年以降
 ベーシック・インカムの呼び名で統一され、議論されている。
 その契機になったのが、
 1984年 イギリスにおけるベーシック・インカム・リサーチ・グループ(BIRG)
 1986年 ベルギーに本部があるベーシック・インカム・ヨーロピアン・ネットワーク(BIEN)の結成
 2004年 バルセロナ会議でBIENの組織名称をベーシック・インカム・アース・ネットワークに変更した。
 2006年
 全ヨーロッパで展開するドラッグストアチェーンであるデーエムのオーナーであるヴェルナーが精力的にベーシック・インカム導入をすすめている。(日本ではこの運動が一番知られている)

 ベーシック・インカムの要旨は「生活に最低限必要な所得をすべて個人に無条件で支給することによって万人の真の自由と無条件な生存権を保証しようとする構想」である。

 それによって、現行の社会保障の現金給付(年金・生活保護・失業保険など)が廃止され、税制と社会保障制度が統合され、社会保険料の徴収や記録・福祉給付にともなう経費はみな不要となる。

 さらに、その財源を所得税か支出税(消費税)、または両者か、その他、環境税、法人税強化など意見が分かれるところである。ヴェルナーは消費税1つに統一することを主張しており、シュトラウプハール氏と小沢修司氏は所得税、ロバートソンは自然環境から「人間が引き出した価値」に課税するなどさまざまである。

 私はゲゼルの減価する貨幣から配分する(税金ではなく、年ごとに貨幣更新する差額)ことを主張している


5.税とはそもそも何か?

辞典には

・治者が権力によって被治者からとりたてる米、布、金銭など。
・国費や公費にあてるため、国家や地方公共団体が国民から強制的に取り立てる金銭。租税。税金。

 となっており、今は民主政治なので、後者の私的財産の一部を公的財産に納入させることである。

税の文字はのぎへんで、米などの穀物を総称する漢字の由来からくる。そこで、公私について、注意深い記載があった。

  
「私と公いう文字について」

漢字の中で自分を表す文字は色々ありますが、この私という字は、他の我や吾・己・余などとは若干意味合いが違うように思われます。

というのは、「私」の扁(のぎへん)は、以前にも述べたように穀物の総称ですが、旁のムは(図示する事が難しいので言葉で表現します)、簡単に言えばUターンのような象形で、自分のものを取り囲んでいる、或いは相手に差し出したものを、再度自分の側へ取り戻している、というような意味合いを表しています。

つまり採り入れた穀物の所有を表すのが「私」という字なのですが、他の自分を表す字(我や吾・己・余など)と比べるとき、この「私」という字だけが、「わたくしする」という動詞に使われています。
そしてその使い方には、かすかに「公平さに欠ける」という非難の意味が込められています。おそらく現代と比べて、はるかに共同生活を重んじた時代が生んだ字なのでしょう。

そして更には、公平さに欠けるということで1番気に掛かっていたものが、食料であったことも意味深と言えます。(つまり、武士は食わねど高楊枝という美学も大事でしょうが、人間の基本はまず食べるということだ、ということも一方では素直に認めなければならないのではないでしょうか。

貧すれば貪(ドン)するとも、衣食足りて礼節を知るとも言うのですから・・・)

話を戻しましょう。

前の「公平さに欠ける」という一節で勘の良い人はお気付きになったでしょうが、「公」という字にも「ム」が使われています。

 この「ム」は「私」に使われている「ム」と同じ意味で、「わたくしする」という意味に使われているのですが、上の「ハ」が、そむく・わかれるの意味を持っているので、その字との組み合わせで「私」の反対の「公共・共有」を意味するようになった文字です
税という言葉は中国からきていて、その中でも、唐の時代の租・庸・調の税法に貨幣が発達する前の形を知ることができる。国語辞典には下記のように記されている。

・ 中国、唐代の均田制下の税法。

 その内容は、年ごとに、租は粟2石、庸は平年20日の労役または代納、調は絹2丈と綿3両など穀物以外の現物税で、給田を受けた丁男(21〜59歳)に課した。のち均田制の崩壊とともに両税法に代わる。
 日本の大化改新以降、律令体制のもとで行われた税法。班田収授法を背景に唐制を日本の実情に合わせ改変した
 

 均田制とは土地を国有とし、これを耕作者に均等に分与する制度である。そして、そこから生産される衣食の一部を徴税し、大人には労役を課した。

 しかし、こうした制度は私有財産の発達と貨幣経済の発達とともに廃止されることになった。

→税の歴史や種類について

→消費税について


現在は上記のような税制になっている。


税金は基本的に自己申告であり、毎年、その申告が大変な作業になっている。それは企業でも個人でも国や地方自治体でも同じである。

しかも、税金のしくみは複雑であり、それにたいする知識や計算技術さえも必要なくらいである。
ベーシック・インカムの財源を消費税一本にしようとするヴェルナーは、その申告が公正にされるというが、当方の経験からいくと、所得税や法人税の申告とほとんどかわりがないように思える。

 とくに、消費税は売上税ではなく、そこから仕入れの価格を差し引いた金額なので、基本的に、売り上げから経費を差し引いた所得税や法人税とかわりがないと思える。

 ベーシック・インカムの財源をどちらにしようと、それを支払うのは事業者である。消費者が直接払うのではないからだ。そして、その税金がどちらにしても商品に上乗せされて、その価格が決定されることはおなじことである。

 ただ、その計算のわずらわしさをのがれるためにはすべて一本化した方がいいことは確かである。


 ともあれ、税金とは私的財産の一部を公的財産に提供することである

 そして、ベーシック・インカムとは、公的財産の一部を私的財産に配分することである。


6.公私とは何か?

 税の社会保障を考える基盤が公私とは何かということをはっきりとらえておく必要があります。

 どんな意識(欲求)も、私的なものから出発し、最後もまた私的なものになります。それは私的というのは個人の肉体だと判断していいからです。人は一人で生まれ、一人で死んでいくからです。

 それに対して、公的なものというのは、私的なもののつながり・・・家族・会社・地域・国・連合国という・・・を表したもので、実際の肉体があるものではなく、いわば、バーチャルな肉体(法人のような)を想定したものです。

 生物でいえば、ゴリラの群れ、広葉樹の森みたいなものを公的な存在だといえるでしょう。

 しかも、生物であることの宿命は、その中で、弱肉強食として生きていかねばならないことと、また、同類が群れをなして、強い生存を維持せざるをえないことです。

 そのため、人類も生物としての競争(戦い)と協力(平和)をもって、私的な自分の肉体を維持しなければならない運命を担っています。

 経済活動もまたその生物のおきてにあった政策がとられてはじめて有効な形が生まれることになります。

 世界はつい数十年前は自由主義と共産主義で冷たい戦争で二分されてしまいました。その結果共産主義の代表であるソ連は崩壊し、自由主義が残りましたが、今はその自由主義の代表であるアメリカもまた崩壊の危機にあります。

 自由は競争原理がもとであり共産は協力原理が元になっています。そして、その片方だけを実現しようとすると、まったく逆の自由は協力を必要とし、共産は競争を必要としてきます。

 そのため、生物界の宿命をそのままうけとめた相対する政策自由競争と共産協力の両方を進めるしか方法はなさそうです。

 そこで、この自由競争と共産和平の経済モデルを模索検討したいと思います。

 

7,マージャン経済モデル

世界人権宣言
第 1条
 すべて人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利とにおいて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、同胞の精神をもって互いに行動し合わなければならない。

日本国憲法
第14条

 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。


4人自由競争政府設定内容
上記の4人でマージャンを楽しむ図が、今の世界を集約して理解できるように思える。

1.ABCDの4人のメンバー =世界の65億人

2.りんごの実が4000個実っている木 = 世界の地球資源・総生産GNP

3、りんご1個=1$ (貨幣法 1871年 金1,5g=1円=1$)

4.点数棒総額=4000$ (世界の貨幣発行総額=総生産GNP)
  りんご4000個交換貨幣4000$ の木 

5.貨幣に貸借と売買による信用証券のりんご4000$の木
   (利息制限法 2倍 その上限を貨幣総額の同一額 4000$に設定)

ゲーム開始の状態
金融・経済資産
総合計
信用証券
(貸借・売買総額)
国民総生産
(貨幣発行総額)
地球・人的資源
(世界総生産) 
将来の労働
 未来の生産保証
A +1000$ りんご1000個
B +1000$ りんご1000個
C +1000$ りんご1000個
D +1000$ りんご1000個

 自由競争経済は上記の憲法によって、国民ABCD(4人と想定)は等しく1000$を与えられ、その私有財産を認め、それと同価値である食材りんごと交換できることを保証するものとする。

 これがまたベーシック・インカムの最低所得保障になってくる。
自由経済ゲームスタート

1,国民ABCDは各1000$(国民総生産4000$)を等しく当分されマージャン自由競争配分が始まる。

2.Aが2000$ Bが1000$ Cが1000$ Dが 0(箱点)になった。

 ここで、道は二つに分かれる。

 ・Dは資金0なので、経済ゲームには参加できない
 ・一番勝っているAがDに1000$を無利子で貸して、ゲームを続行する。

3、さらにゲームをしたが、Dは負け続け、借りた1000$も失い、Aはさらに勝ち、1000$儲かった。

 その結果、Aは3000$ Bは1000$ Cは1000$ Dはマイナス1000$となった。(金融総資産5000$)

4.ここでゲームを終了するか、続行するかを決めなければならない。

 経済ゲームには終わりはない。そのため、また二つの道が用意される。

 ・Aはさらに、Dにお金を貸して続行する
 ・Dは返済が困難だと判断して、残り3人ABCだけで経済ゲームを続行する

5.さらにゲームを続けると、
 Aは6000$ Bは1000$ Cは1000$ Dはマイナス5000$
  (実体りんご=4000個 貨幣=4000$ 金融債権 4000$計金融資産8000$)

6.だれがみてもDは返済無理と判断し、ゲーム終了する。

 この結果により、地球資源(りんご4000個)と人類(ABCD4人)の運命と貨幣総額4000$と債権4000$の処理をどうするかを4人で合議しなければならない。

 その場合、
 Dがりんご0個の場合は、食料がなくなるので、死を意味するものとする。

 また、自由経済ゲームはすぐにでも再開しなくてはならないとする



借金総額額限界4000$でゲームを終了

金融・経済資産
総合計
信用証券
(貸借・売買総額)
国民総生産
(貨幣発行総額)
地球・人的資源
(世界総生産) 
将来の労働
 未来の生産保証
A +6000$ +4000$ +2000$ りんご2000個 不労益  りんご4000個
B +1000$ +1000$ りんご1000個 労役 なし
C +1000$ +1000$ りんご1000個 労役 なし
D ー4000$ ー4000$ 0$ りんご   0個 労働役  りんご4000個
 ▼もし、日銀が貨幣を2倍に増刷したらどうなるか?


 失業者や生活困窮者はいわば競争で負けたDさんです。そのDさんの命を守ろうとするには、最低限の保証(生活保護)金が1000$必要です。これを実現しようとするのが目的です。今の国会に緊急課題であること同じ状態です。
 
 ここで、マージャンの点数棒は常に一定の4000$で、社会がどんなにデフレであれ、インフレであれ、変わりがありません。

 貨幣は印刷すれば多くなるし、燃やせば少なくなりますが、そういう政策をしないかぎり、貨幣の量は増減しません。

 勝ったA=2000$ BとC=1000$ 負けたD=0$

 ここで、貨幣の量を2倍に増やしたら、どうなるでしょうか?

 勝ったA=4000$ BとC=2000$ 負けたD=0$

 つまり、どんなに貨幣を増刷しても、Dには0$で、死ななくてはなりません。

 Dを生かすには、勝ったAが負けたDに1000$贈与するしか道がありません。

 勝負のさい生じた貸し借り4000$(バーチャル貨幣=幻想マネー・信用証券)は、Dの生死に関してはどうでもいい問題です。それは過去と将来の問題であって、人の心と知性の問題です。

 この貸借の関係でその金利とか元金とかをどうのこうのという議論しあっても、Dの命とはまったく無関係です。つまり、金融の量的緩和はDの命にとって、まったく無関係なことなのです。

 ここで政府は4人全員です。4人仲良くゲームを楽しく再開し、生きていくには、過去はすべてリセットして、また、4人に等しく1000$づつ配分して、ゲーム再開するだけです。

 過去をすべてリセットすることは将来もリセットすることです。マネーの貸し借りはすべてなかったことにするということになります。

新たに点数棒4000$増やした場合


金融・経済資産
総合計
信用証券
(貸借・売買総額)
国民総生産
(貨幣発行総額)
地球・人的資源
(世界総生産) 
将来の労働
 未来の生産保証
A +12000$ +8000$ +4000$ りんご2000個 不労益  りんご4000個
B +2000$ +2000$ りんご1000個 労役 なし
C +2000$ +2000$ りんご1000個 労役 なし
D ー8000$ ー8000$ 0$ りんご   0個 労働役  りんご4000個

 ▼では、過去も未来のリセットしないで、全員に1$の定額給付金を出したらどうなるでしょうか?

 ちなみに、2006年 国債670兆円 実質GDP 550兆円 であり、日本国内の貯蓄額は1500兆円、借金が約1000兆円である。

 景気対策に定額給付金2兆円を国債を増やし、すべての国民に給付した場合、この4人政府では約2/600の比率なので、1000$÷300=約3・3$(切り上げ4$)を4人ABCDに1$づつ配布することになる。

 国の経済規模の安全な国内GDPと国債発行額の比率は100%である。ここで、設定したGDP4000$と債権4000$も比率100%に設定し、返済可能な額とした。

 今話題の定額給付金2兆円を埋蔵金(実質国債)から、ゲーム終了(不景気)し、そのゲーム再開(景気回復)させようとし、給付したとします。ここのゲームでは計算しやすく1人1$で全員4人で合計4$に設定します。

 
金融・経済資産
総合計
信用証券
(貸借・売買総額)
国民総生産
(貨幣発行総額)
地球・人的資源
(世界総生産) 
将来の労働
 未来の生産保証
A +600 +400 1997 りんご1997 不労益  りんご4007
B +999 ー1 100 りんご100 労働役  りんご   
C +999$ ー1 100 りんご100 労働役  りんご   
D ー400 ー400 りんご    労働役  りんご400

 ゲーム再開はたった一回のチャンスです。これは単に景気刺激策で、負けているDが命をつなげる1日分で、勝負がかけられます。もし、Dがその1回の勝負で大賞すれば、ゲームはまた続けることができます。それが景気回復になります。

 この確率はこのゲームでは1/1000です。実際は1人12000円ですから、健常者であれば、それで、新聞配達などの寮付きの就職口を1日で探すことで、生き延びるチャンスが生まれます。でも、就職口が見つからなければ、死を覚悟しなければなりません。

 一方、他の人であるABC3人は、一日 レストランでちょっと贅沢に食事して、12000円を使います。

 りんご1個1$=12000円とするならば、

 Aは債権者・・48000円(りんご4$)であり、債務者・・12000円(りんご1$)なので、合計36000円の貸し金が増えたことになります。
 一方、BCDは債務者なので、各自12000円(りんご1$)分の借金が増えることになります。

 つまり、

 現実では、派遣の失業労働者への支給額12000円に、すべての景気対策費として投資家から、2兆円の借金をして、
景気回復の勝負をすることになります。その2兆円は消費税をあげて、国債の債権者Aに利息付きで返すことになります。

 これほど危険な賭はありませんし、実に不合理な対策ではありませんか。

 緊急でもっとも効果的な景気対策は一つしかありません。

 勝ち組Aが負け組Dに1000$寄付するしかありません!


 最も健全な景気対策はその原因を除去し、回復させるには一つしかありません

 勝ち組Aが1000$の債権を負け組Dに1000$譲渡すること。

 
金融・経済資産
総合計
信用証券
(貸借・売買総額)
国民総生産
(貨幣発行総額)
地球・人的資源
(世界総生産) 
将来の労働
 未来の生産保証
A +5000$ +4000$ +1000 りんご1000個 不労益  りんご4000個
B +1000$ +1000$ りんご1000個 労役 なし
C +1000$ +1000$ りんご1000個 労役 なし
D ー3000$ ー4000$ +1000$ りんご1000個 労働役  りんご4000個



 景気対策2兆円をそれに当てるならば、その対策は一つ、

 国債の債権者である投資銀行や投資家に、2兆円の債権を国に譲渡寄付してもらい、その寄付金を失業者の生活保護費と社会保障として、現金を給付するしか方法はありません。

 でも、国はまず議論でうろうろしていますから、それをあてにせず、

 派遣失業者中心の景気回復NPO団体を設立(起業)し、この景気回復NPO団体に、直接国債の債権を寄付してほしい運動を展開します。

 そして、その寄付をしてくれた投資銀行や投資家の名前を世間に大きく宣伝活動をして、寄付者にも大きなメリットがでるような運動(労働)をします。

 そうすれば、国も、多くの企業も、助かることになります。お金は必要な人に与えてこそ、お金は回るからです。
 

8.サンクコスト

昨夜、NHKの出社が楽しい経済学の番組で、「サンクコスト」をドラマで説明していた。

このサンクコスト(Sunk Cost)とは、一度投資したが、もう二度と返ってこない費用のこと

 *sunk sinkの過去・過去分詞形 すっかりだめな 救いようのない 沈没した 落ち込んだの意

サンクコストの呪縛

 「投資した分を取り戻したい」という思いに加え、「自分たちの過ちを認めたくない」という見栄やメンツが、人をサンクコストに縛り付け、合理的な判断を見失わせ場合に使われる。

仕事をして何度も請求したが、その代金を払ってくれなかった業者がいた。その額が20万円くらいだったが、それを請求することだけでも、その経費や労力がかかった。そのため、5年をすぎた時点で、あきらめて、その経費と労力で、20万円分稼いだ方が得策だと判断したことがある。
 その方が気分的に大変楽なことになる。

 放送でも言っていたが、とくにギャンブルの場合は、せめて、つぎ込んだお金を取り返そうとして、さらに負けて、その損害がどんどんふくれあがってしまうが、その悔しさとなんとか回収できると信じる強さで、そのギャンブルにはまりこんでしまう。

 公共事業なんかは計画から実行まで長いので、それが時代おくれになるが、それまでつきこんだ金額が莫大なため、あきらめきれないことで、損害を大きくしてしまう。フランスとイギリスの共同事業であるコンコルドもまたそうだったようである。赤字が拡大することは計画の途中段階から解っていたが、それを国のメンツ故に中断できなかったために、赤字がさらにふくれあがってしまった。

 事業にとって、「けしてあきらめないこと」は常に得策ではなく、「先を読み、それが現状よりひどくなることが予想できたら、早くあきらめることが肝心である」

 先の章の自由経済ゲームにもこのサンクコストに対する英断も必要になるのである。

 前向きに生きるということは過去にとらわれないで、京今日から新しく生きていくという意味である。

借金にも時効がある

 時効には、一定期間、権利を行使しなければ、その権利を失ってしまう消滅時効と、他人のものを、一定期間、所有していると、そのものの所有権を取得できる取得時効の2種類に分けることができます

 民法において、債権の消滅時効は10年間とされていますが、借入先が、銀行や消費者金融等の法人で
あると、商事債権としての時効が摘要されるため、債務者の借金は5年間で時効にかかります。

 借主の借金が消え権利が行使できなくならないよう、債権者には、債務者の時効の進行を食い
止めるための方法というものがあります。(時効の中断)

 債権者からの請求(内容証明必要)・差押え、仮差押え、仮処分・債務の承認があった場合は時効の中断が行われる。


 賭マージャンの精算について

  賭マージャンそのものが違法なので、そこで生じた負けた金額は法的には支払わなくてもかまわない。
その関連刑法について

 第17条 科料は、千円以上一万円未満とする。
 第18条 @罰金を完納することができない者は、一日以上二年以下の期間、労役場に留置する。
      A科料を完納することができない者は、一日以上三十日以下の期間、労役場に留置する。
      B〜G省略
 第185条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。
      ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りではない。
 第186条 @常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
        A賭博場を開帳し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
 第222条 @生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、
        二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
       A親族の生命、身体、自由、名誉、又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、 前項と同様とする。



 30兆円業界のパチンコも実質賭博であるが、法的解釈で合法になっている。

 
 株とギャンブルの違いは

 違いはあれが、両者ともその一部に賭博性があることは間違いのないことである。

 そう考えると事業そのものさえその一部は賭博性はあるともいえる。

 労働と収入

 ベーシック・インカムにおいて、「労働と収入」の区別が必要であり貨幣システムにおいても、「商品交換する実体経済とその商品がともなわない金融経済」との区別が必要である。

 しかし、その区分けははっきりとすることは難しい。そのため、区分けするというよりは、相反する性質の調整する技術のようなものが必要といえるのではなかろうか。それは心と体の区別をして、両者の調和をはかるようなものではないだろうか。