お金とは何か・・その2

1.お金が麦だったらけして貸し借りはできない

お金とはモノやサービスと交換できる数字が書いてある道具(金属・紙・電子など)である。

だが、
そのお金の貸し借りははたして正当にできるものであろうか?
貸し借りに利息が付く付かないとは別にして、貸し借りそのものができるという法律(設定)そのものが科学的ではなく、
盲信迷信のたぐいではないだろうか?
そこで、減価する貨幣の発案者であるゲゼルのロビンクルーソの物語から、それを検証してみようではないか。
ロビン一人で暮らす島にメンサナが漂流した
ロビンの小麦の種を分けてほしいとメンサナが言うと

あらゆるモノとサービスと物々交換することを容易にするための道具としてお金が流通した。

その場合、人が最も必要なモノとサービスである主食のコメや麦・トウモロコシの価値基準を中心に比較され、その他のモノ・サービスの値段が決まる。
もし、主食の穀物の出来具合で、その価格が増減した場合、その増減に合わせて他のモノ・サービスの価値は増減する。

この主食であるロビンの麦種がお金として、充分通用できる。

麦種がお金だとしたら、それは貸し借りできるだろうか?
麦種
お金
麦種は貯蔵すれば腐り、食べれば無くなり、
土に播けば新しい麦種が増えるという確証はない
お金(数字付)は金などのようにけして腐らず、紙が破損したら再発行でき、お金の単位と数字は不変である(明治1円も平成1円も同じ)
麦は腐り お金は不変
麦はモノ・サービスの代表で主人 お金はモノ・サービスの道具で従者
変わりゆくものは人の命と同じ 不変なものは神と同じ絶対権威を持つ
麦は腐るか、食べられるか、
土に播かれてもその麦種は消えるので、
麦種を貸し借りすることはけしてできない
お金とその数字は不変であり、政府が法律であらゆるモノ・サービス
と交換できる権力を与えるため、貸し借り(利息付でも)はできる

麦種がお金だとしたら、けして貸し借りできない!

つまり
主人である麦種が従者であるお金が権力が逆転し、
お金が主人になり、麦種代表であるモノ・サービスが従者になってしまった。
そこからお金の貸し借りができるようになり、
お金は神として、利息をつけて、あらゆるモノ・サービス・人を支配するようになっている。


これは主人と従者、目的と手段が逆転した状態を依存症であるから、現在のお金のシステムはお金依存症の病巣社会なのである。
それはよりお金を持ったものが、世界中の国々とその国民と、そこで生産されるモノ・サービスを支配するという現実を産みだしているのである。

現在のお金は迷信で貸し借りができるとしたために、
すべてのお金は債券(借用書)となり、その債券は株券、外国通貨、ビットコインなどに変貌して、
不変であったお金(数字付)がその返済信用度によって、毎日毎時変貌している。
中央銀行から発行されるお金が主人で、債券が従者であったが、
貸し借りが主流な金融の中心になったため、
債券が主人に、お金がその従者になって逆転してしまい、
貸し借りできるという嘘の上塗りをするように、強度なお金依存症が蔓延してしまった。


国が借金を市中銀行からして、その利息も元金も返済できなくなると、中央銀行はその国債の返済保証をするために、お金を増刷して、どんどん買い占める。

これも国債(債権)を信用させるための、お金(中央銀行券)が発行されることは
債券が主人で、お金は従者になっている。

また、株価が暴落しはじめると、中央銀行の日銀がお金をまた増刷して、信用度の高い優良株券を大量に買い占め、株価をあげるというのも、また株式という債券が主人で、お金が従者になっている。

基軸通貨アメリカドル(米国債を信用度をあげるお金)が信用度が低くなり、暴落すると、日銀はまた円と増刷して、米ドルを買い占め、米ドル国債の信用度をあげる。なぜなら、日本は米国債を大量に持っているからである。

また、ドル安円高になった場合、日本の輸出企業の利潤が大幅にへるために、為替操作をする。
こういう株価、為替操作を中央銀行の任意でできること自体、違法でないのだから、まずもって、嘘も嘘も嘘がまかり通れば合法になるようなものである。


2.なぜお金が貸し借りできると幻想(迷信)したのか

自分の麦種を貸すことも、他の人の麦種を借りることもできない。
なぜなら、その麦種は人の命と同じで、命の貸し借りができないようなものであるからだ。
麦種は貸し借りはできないが、あげもらう授受はできる。
貰った麦の一部を食べずに、畑に播いて、それを万倍の麦種を生産できる可能性だってある。
もらった麦種は死んで消えてしまうかもしれないが、その肺胞から芽が出て、新しい麦種が実るかもしれない。
それは100%ではなく、100%未満の確率であり、いろいろな要因で、その結果で確率が確定する。
最初からはっきりとした確率などない。

この麦種が万倍に増えるかもしれないということ、また、
麦種を借りたものは万倍に増やし、
麦種を貸したものは新しい麦種にして倍くらい返してほしい
という願望が両者の約束になり、それが常識化して法制化なってしまった


だが、借りたお金を利息また元金さえも、返済できるかどうかは、100%ではなく、あいまいな確率であり、それが信用度でしか推測できない。
債券が株式に、また外国通貨にも発展し、それは期待度と信用度で、その価格があがりさがりする。
そうした差額でギャンブルして、金儲けすることが、あたりまえに慣習化してしまった。

そうした人々の願望から法制化した、お金の貸し借りが、基本となって、また、債券の売買、外国通貨の売買が常識化してしまい、
本来、お金の貸し借りはできないのはないかと、いう疑問さえも起きなくなってしまった


自然界で、人に近い動物々で、お金でモノ・サービス・人が支配されているような哺乳類が人以外に発見できるだろうか?

お金の貸し借りがただの願望から生まれたため、それは絵に描いた餅のような幻想でしかない。自然界の事実に基づかないし、それは科学的ではない、いずれその虚像がくずれおちる運命にある。

そうした兆しが金融恐慌である。

3.自然に即したお金にするには
お金がなかった時代の初心に帰ってみよう。
いろいろな問題が噴出してきたとき、その問題解決法はその原点にもどってみることである。
それは一度リセットして、白紙の状態からもう一度構成しなおしてみようとすることでもある。
お金は物々交換から始まったといわれるが、
上記のロビンとメンドサの場合、
ロビンはなんでも持っているが、メンドサはなんにも持っていない。
この場合、物々交換は成立しえない。
こうした設定は世界中のあちらこちらの現実で見られる。
A持てる者から持たざる者へ

お金のなかった時代に、もし飢えた人がそこにいたら、余った食料を与えるだろうし、
余りはしなくても、自分が生きられる最低限の食糧を残して、その飢えた者に与えるだろう。
これは人間だけではない。まれに他の動物でもみられることである。

この助け合いの心、持てる者から持たざる者へ与える行為が、ともに生きていくという本能がある。
とくに、動物の同種の間で自然に生まれ、人類はとくに共に生きるための助け合いが強く、
それがこの地球上にたくさん繁栄できた理由でもある。

目の前に飢えた者が死にかけていたとき、
食べ物を与えるが、その食べ物をあとで返してくれというだろうか?
無償で食べ物をあたえて、その代金も、恩義も要求しはしない。

この世界の現実で、お金のマイナス面があるため、さまざまなボランティアが生まれ、それは、無償の行為である。
親が子にたいする行為、伴侶に対する行為、そこに無償の愛があれば、円満な家庭が生まれるが、
愛してあげるから、その分の愛を返せというような家族だったら、実にさむざむしたものになるだろう。

物々交換は、与える貰うという授受ではなく、交換であって、5対5の関係で、無償の行為ではなく、
同価値の分の交換ビジネス行為である。

そういう等価交換のような物々交換から発展したお金であるから、問題が山積みしてしまったのである。

自然界における助け合いは
無償の愛と行為によって、行われており、
最初から、等価交換のような行為は存在しないが、
最終的に、いつのまにか、等価交換のように姿になっている。


例えば、
親は子を無償の愛と行為で育てると、老人になった親は子の無償の愛によって、に看護される。
これは
自然界がいろいろなバランスで成り立っているからだともいえよう。

現在の金儲け幻想は与えた以上のモノとサービスの何倍、何万倍まで要求できる投資主義が常識になっている。
それは地球の自然を破壊し、経済優先しようとする政治にも表れている。

B反面教師
「お金の貸し借りはできない」
ということを証明するには、
「お金の貸し借りをすると多くの矛盾が起きる」
ということを証明すればいい。
まず、
お金の貸し借りにおいての利息計算である。
何千年とプラスの利息がつくのが当たり前であったが、ここ数年前からマイナスの利息が先進国あたりから起こりはじめた。


4.プラスの金利とマイナスの金利

元金 100円で、プラスの年利50%とマイナスの年利50%の場合の図式
金利計算法

元金で、年利(n)プラス0.5(50%) とマイナス0.5(50%)
の両者を比較(1円以下は四捨五入)

マイナスの利息
元利合計額 (y)
貸借行為
年数(x)
プラスの利息による
元利合計額(y)
単利(円) 複利(円) 期間(年)  複利(円) 単利(円)
100 100 100 100
50 50 150 150
25 225 200
13 338 250
506 300
759 350
1,139 400
1,709 450
2,563 500
3845 550
10 5767 600

法実務役立ち計算機集
 上記でいろいろケースを計算できる

72の法則:

(複利のとき、何年(ヶ月)で預けた(借りた)金額がもとの2倍になるか
というもので、72を利息(%)で割ると出てきた数字がその年数になる。
例:年利3%の銀行に100万円を預けたとする。何年で2倍になるか考える。
→ 72÷3=24(年)となる。
上記の年利50%の場合は
72÷50=1.44年(1年と5ヶ月)


     



ここで、大きな疑問になるのが
プラスの金利線とマイナスの金利線が相対的にならないことである。

お金はモノ・サービスとの交換券であるから、

元金100円
 例えばそれが交換できるボールペン1本と仮定すると、

借りたボールペンを失くしてしまったので、新しく買った同じボールペンを弁償する
これで貸し借りは決着するのが通例である。

ところが、ボールペンを売買する道具であるお金で貸し借りした場合は、
マイナスの利息は元金100円までであるが、
プラスの利息は元金100円が数倍、そして無限大に大きくなって、返金できる金額にはならない。

もし、ボールペンの貸し借りで問題が起きた場合の最終決着のようにお金の利息計算は

マイナスの利息線の相似形であるプラスの利息線でなければおかしくなる。



現在の幻影お金システムでは・・マイナス利息はプラス線の相対形になり、借りた人は貸した人から永遠にお金を搾り取ることができてしまう。
また、お金の貸し借りは単利福利とも、プラスの利息であればその返済は永遠無限に跳ね上がり続けていく。
マイナスの利息であれば、その返済は永遠にゼロに近づくが、けしてゼロになることはない。

プラスの利息が永遠に増え続ける貸し借りは、債券が無限に発行でき、またされている現状になり、それは現金発行総額の何十倍にもなり、それで、地球がいくつも買えてしまうような矛盾がでてきている。

マイナスの利息がお金ではなく、ボールペンのようなモノであれば、
それは長く借りれば返済しなくてもよくなるから、そのボールペンはもらったことになる。
そのため、マイナス利息とはそのお金を与える、もらうという授受関係になり、貸し借りは成立しない。

お金の貸し借りをすると
モノ・サービスの貸し借りをした場合と矛盾するので、

「お金の貸し借りは成立できない」
と証明できる。


今のお金の現状は
人間界を支配するまで逆転した病巣世界になっている。
主従逆転、目的手段逆転のお金依存症の世界になっている。

5.自然事象に合わせたお金「ドウカ

持つものから持たざるものへ

モノとサービスがスムーズに流れるようにする道具としてのお金を造ればいい。

お金というと、貸し借りできるお金や腐らない金みたいになってしまうので、別の名前を付けるとすれば、
金貨ではなく銅貨にして、「ドウカ」にすれば、プリーズみたいに与える感じになる。

貸借できない「新貨幣」の名を「ドウカ」にして話すことにする。

1.ドウカ規定 1

受領書としてのドウカ発行し、その発行総額は現存在するモノ・サービスと交換できる総額以下とする

(発行は日銀で行う)
ロビンからメンサナにあげる麦種と交換できる道具としての「ドウカ」を発行するとしたら、

メンサナはロビンからもらった麦種の受領書を発行して、ロビンに「確かに麦種100g頂きました」と証明するとすると、
その受領書が、100ドウカになる。

モノ・サービスの受領書の意味あいがあることは、ドウカ発行できる総額はその国全体のモノとサービスと交換できる総数ドウカになる。

ドウカが貸借できないとすれば、現在存在するモノとサービスと交換できる総額であり、将来生産消費されるだろうモノとサービスと交換できるドウカは必要がない。

現在のお金は、未来に生産されるモノ・サービスまで売買できる債券(借金)を大量に発行流通してしまっているので、商品価値を表す数字としてのお金が、債券化また金融商品化してしまい、毎日毎時お金そのものの価格が変動してしまうという矛盾(商品の値段のその値段の値段と、ダブってしまう)がうまれている。


ドウカ規定2

.ドウカを毎月大人1人10万ドウカ子供(18才以下)1人5万ドウカを電子マネーとして、
その銀行口座(マイナンバー活用)へ、ベイシックインカム(国民基本生活保障ドウカ)として給付する。

(会社団体などへはドウカは一切支給されない。国民個々人だけとする)

ドウカ規定3

ドウカは電子マネーであり、電子マネーとしか使えない。
ドウカの授受はできるが、貸借はできない。



ドウカ規定4

ドウカは国民のすべてのモノとサービスと交換できるが、お金、債券、株券、外貨など金融商品とは交換できない。
ドウカは貸借できないため、債券から派生した金融商品との交換売買はできない。


ドウカ規定5

ドウカによるモノ・サービスとの交換にはすべて10%の交換税が銀行から差し引かれ、発行元の中央銀行に自動徴収される、
自動徴収された交換税はすべてベイシックインカムの財源に充てられる。
(そのため、ドウゾによる税金申告は一切不要なる)


*現在のお金システムはそのまま活用し、それと併行貨幣としてドウカを発行すればよい。
この財源は電子マネーであり、しかも、100%回収可能な貨幣であり、
また、日銀が発行するからるから、その財源は必要がない。

それに、現貨幣制度を何も改革しなくていいので、何の問題も起きない。
お金とドウカを併用することで、自然にどちらも影響しあって、改良されていくと思われる。


6.因果と縁起

どうしてまたお金の貸し借りができると幻想してしまったか?
それは一種の勘違いが直接原因で大きく膨れ上がった欲望と夢である。
こうした欲望と夢が多くの幻想を産みだすが、それは歴史を振り返っても、幻想文化分明を作り出している。
それは人間の喜怒哀楽を大いに刺激し、そこに生きがいを、また逆に失意を産みだす。
それらがは、一切無駄のようだが、振り返ってみれば、それがあったからこそ、楽しい人生のひと時が過ごせたともいえる、
真実や現実とはかなりかけ離れたドラマ・映画・歌などの芸術・スポーツ・ギャンブルなど、そこに人は夢中になって生きる力をえることができる。
一体人はどうして幻想をこんなにも楽しむことができ、それを求めるのだろうか?
それは
真実と幻想は相対し、また相似形をしている。馬鹿と天才は紙一重であり、自分と鏡にうつる自分の姿のようなものである。
しいては神様と悪魔、善と悪、自殺と他殺、生と死という根源的な相対は相似などせず、正反対の姿になる。

一粒の麦

一粒の麦が土に播かれて、その麦種の姿は消えてしまうが、そこから芽と根が出て、草となり、実れば万粒の相似した麦粒が産まれる。

だが、その一粒の麦が人によって、土に播かれる確率は少なく、その多くは人に食べられ、倉庫で腐る方が多いだろうから、萬に一つの割合である。

また、100円のボールペンで、たくさんの文字を描いて、それは萬の仕事に役立っている。
だが、その100円のボールペンが生産されるためには、その材料、機械、労働力、知恵と芸術力など萬の人に働きで産まれる。

一粒の麦も、一本のボールペンも、一個の人間の命にも譬えることができる、

男性の精子数億個が競争して、その一個が卵子一個と受精して、一個の人間が産まれる。
一個の人間の命を支えてくれる力は親、家族、社会の全体である。

また、一個の人間の命で、多くの精子と卵子が産まれ、また 一個の人間の働きで家族や社会が支えられている。

つまり、
命あるもあるモノそして、命あるモノから生産された物も、みな

1 for all, all for 1 の姿として繋がっている。

一粒の麦は萬粒の麦のために生き、萬粒の麦は一粒の麦のために死す

一本のボールペンは萬人の仕事に役立ち、一本のボールペンは萬人の仕事によって作られる。

一人の人間は萬人のために生き、一人の人間は萬人のために死す


人間の萬の筋肉は一件バラバラに見えるが、みな張力統合体一つと繋がって働いている。

1 for all, all for 1

一人はみんなの為に、みんなは一人のために

この言葉の由来は、あるラグビーチームの結束力を高め、強いチームに成長させるモットーから生まれた。

一員がそのチーム全体のために頑張れば、またチーム全体が一員のために頑張れば最強のチームが産まれる
一人一人が、それぞれ、最高の役目を果たし、チーム全体が一人の役目が最高に高まるよう助けていくと最高のチームができる。

このチーム・社会・種の団結力(絆)は命の本質の姿をしている。

歌にもなったオンリーワンとナンバーワンは一見矛盾している姿をしているが・・・・・・・



一個の人間がそのチームにとっての、ナンバーワンはいわば幻想であり、
一個の人間はそのチームにとっての、オンリーワンであるのが真実である。

つまり
ナンバーワンとオンリーワンは相対しているが、相似している。

ナンバーワンはみんなが一人のために働き造られ、
オンリーワンは一人がみんなのために働き創られる。

ナンバーワンとオンリーワンは みんなの助け合いからうまれでた双子なのである。

この広い宇宙の中で、地球のある生命体を探すのは容易ではない。
萬にある惑星の一つに生命が創られる環境がやっと見つかるくらいである。

生命は宇宙にとって、萬に一つの奇跡で生死を繰り返す形で、存在している。
それは
命そのものが、

1つの生命は萬の宇宙によって真実として創造され、
萬の宇宙の姿は1つの生命によって幻想として想像される。

人の現実の生活
 その過去は因果によって、
 その未来は縁起によって
 生起する。

命は時間空間存在ともに一つの宇宙に繋がっている。

お金の姿も、

  貸し借りから幻想なるナンバーワンが願われ
  譲り受けから真実なるオンリーワンが望まれる

 その両者は双子の命の姿をしている。
 そのため、現在のお金の貸借システムと、未来のドウカの授受システムを
 併用してこそ、社会の助け合い・絆が最高に発揮できるようになるだろう。

 
 一粒の麦は萬の因果で産まれ、萬の麦は一粒の麦の縁起で生まれる。
 一本のボールペンは萬の因果で産まれ、萬本のボールペンは一本のボールペンの縁起で生まれる。
 
 一人は萬人の因果で産まれ、萬人は一人の縁起で生まれる。

 

7.なぜ貨幣はまずベイシックインカムなのか?


ドウカは食料配給券
お金がモノ・サービスのみ交換でき、お金の貸し借りができないかは、
新貨幣ドウカはアメリカにおける生活困窮者にフードスタンプのようなものだからである。
それは食料配給券であり、それで、食料と交換できる。でも、その食糧配給券を貸し借りはできないが、譲り受けはできるだろう。

もし、フードスタンプを売買するようになると犯罪社会問題になってしまう。
これはフードスタンプをドウカとすれば、ドウカと現通貨と交換するようなものだからである。
お金と債券の売買は違法でなくても、その幻想から金融危機などの経済社会問題が多く発生している。

ドウカは国民全員に配給する

現通貨は、中央銀行が発行したら、まず市中銀行に極小金利で、預金の100倍まで貸出し、市中銀行はより高金利で、主に国や企業にそして、個人に貸し出す。
企業は借りたお金で、設備を買い、材料を仕入れ、人を雇い、モノとサービスを生産する。

給与をもらった人は生活に必要なものを企業から買う。
そうして、銀行→企業→国民→企業→銀行 へとお金は循環する。
最初にお金が貸し出されるのは金貸しの銀行である。銀行は返済できそうにない貧乏国民や小さい会社には貸出しない。
この最初に大量に貸し出されるところが、金貸しの銀行であるため、金で金を働かずにうみだす仕組み金融経済が主流になってしまい、その経済格差は万倍の差が生じるのは必然である。

そして、お金と債権の発行額で、地球をいくつも買える矛盾ができてしまっている。

これを是正するには、貸し借りできないドウカを発行したら、
まず、富める者も、貧しき者も、平等に、国民に働くことができる衣食住が得られるようなドウカを毎月の給与のように与えることから始めることが重要である。

麻雀をするなら、まずメンバー全員に、平等に15000点棒を与えてからでないと、そのゲームは始めることはできないということと同じである。

今の銀行なら、富めるメンバーにだけ点棒を与え、貧しきメンバーには点棒を与えないで、ゲームを始めるようなものである。それだと、富める者はさらに富み、権力をもつが、貧しき者はさらに貧しきなって死んでしまえというものである。

人は経済的に生まれながらにして平等ではない。だが、生きる権利は憲法によって平等に与えられている。
生きる権利を平等に貧富関係なく、すべての国民に与えてこと、その国は自由に学び、働けることができる。

銀行はお金をいくらでも中銀からもらえるが、
国民は必要最低限の生活ができるドウカだけ与えらえる。

この違いはダイエットして健康になるための方法と似ている。
銀行は食べたいだけいくらでも食べ過ぎてしまうので肥満病に侵される。
国民は必要最低限の食べ物しか食べらえないのでダイエットで健康回復していlく。
ドウカは持てるモノから持たざるモノへ流れる

お金はより持てるものに流れる、より持てないものには流れないが、
ドウカはより持てるものからより持てないものへ流れる

なぜなら、
ドウカはモノ・サービスだけ交換でき、その分しか発行されないため、
その人に余分なモノ・サービスは不足して人に譲るしか方法がなくなるからである。
また、

ベイシックインカムによって、

何事か災害が起きたときのために貯蓄しなくても、生きていける。

消費者も生産者も、生きていくためによけいな金儲け競争をしなくてすむ。

だが、
人はパンのみで生きるのにもあらず

というように、精神的なもの、より快適なもの、より便利なものを欲する。
その役目は現在のお金をさらに発展させて、モノ・サービスを向上っせればよい。

お金とドウカの併用システムは
自由主義が身体のアクセルの交感神経として、
社会主義の身体のとブレーキの副交感神経として

両者ばバランスをとりながら社会個人を健康に保つことができる。



8.ドウカは死んでは生まれるを繰り返す
ロビンから譲られたその麦種100gのその受領証100ドウカは、
その麦種100gは食べても、播いても消えてなくなるが、
その受領証は一回限りではなく、何回も使えので、死んでは再生をする姿をもつ
ロビンが新しく作った麦種100gにも、メンサナが新しく作った麦種100gにも、同じ100ドウカが使える。
だが、
島の人口が増えて、ドウカ利用者も増えた場合、
全人口のモノ・サービスと交換できる分だけのドウカの発行額を同じにしないと、
お金のような問題が多く発生する。
また、
最初に持てる者のロビンが持たざる者メンサナに麦種100gを与えたように、
何も持たざる者も最低限生きていけるだけのモノとサービスを与えていくシステムとして
ベイシックインカムがあり、
そして、
発行流通したドウカが全島民のモノ・サービス分だけと交換できるように、
何回か使ったら、ドウカを全回収して、生きる権利としてベイシックインカムを実施し、
病人や被災者など、よりモノ・サービスを必要とする島民にドウカを与え、
それで必要なモノ・サービスを得られるような助け合い機構が必要である。
そうしたドウカ管理をする仕事を今の銀行が請け負うことは可能である。

徳島大 ボランティアの授業の学生の質問へのゲストレポート

2017.6.26 岡部 康平

9.複利の落語

 曽呂利新左エ門へのご褒美

豊臣秀吉が曽呂利新左衛門の功績に報いるため、何でも欲しいものをあげようと言った時、新左衛門は

「1日目は米1粒、2日目は2粒、3日目は4粒、次の日は8粒・・と前の日の2倍の米粒を次の日にというようにして51日間だけください」
と言った。

秀吉はせいぜい米俵一俵か二俵くらいだと思い、にこにこしながら「欲がないやつだ」と承知した。

ところがあとで勘定方の家来に計算させたところ、








1週目は64粒 2週目は4096粒、3週目は524288粒、4週目67108864粒.,
5週目には8589934592t粒、51日目にはなんと

1,125兆8999億0684万2620粒になり、
重さ(10キロ5万粒)にして、1兆1258億9990万6842トンなることがわかりました。

これは、これまで人間が作った米全てを集めてもまだ足りないくらいの量です。
(平成22年度の日本の米の総生産量は、8,483,000トン)

秀吉は青くなり、新左衛門に謝ってほうびを別のものに替えてもらったそうです

→参考URL


10.現金と借金の違い

4人で麻雀するときに、最初に均等に15000点ずつ配り、ゲーム終了後にその全点棒60000点を回収する
それが日銀が発行する現金である。

ゲームは半荘(一回転)ごとの回数を繰り返し続け、その日の勝敗表のプラスマイナスの表を作る。
この勝敗の点数表が借金・債券に当たる。

11. 日銀キッズ

日銀で、中央銀行とお金って何?を解りやすく説明してある


12.マイナス金利
この動画が一番解りやすい
なお、
計算式は





である、
曽呂利新左エ門の米粒でいけば1日目以降0粒であり、
マイナス金利という意味は消え、御米をあげるという授受の関係になる。