お金って何だ?⑫
血液としての貨幣



1.税金は払いたくないものだ

 お金は何だ⑩で考察した全体の貨幣の増減を調製する方法で、貨幣が等しく人間に使われない現象がどうしても生じてくる。これを調製するのが、税金という調製である。

 その場合、人の心理として、税金をとられたくないという心理が働くこと。また、自分の私有財産をとられるということに対する抵抗感はゆがめない。

 人は、きちんとお金について理解しなければ、税金やら、金儲けに走るのはやむをえない心理である。

 そのため、お金というものを自然と理解し、それがどのように使われているのかが無意識にもわかるようになれる方法をあみだしたほうがより効果的である。



2.マイナスの金利にすること

 
 減価する貨幣を実行するなら、それは自然とマイナスの金利をつけて、それを譲渡する方法になるが、それを実際にしようとすると、抵抗感が大きくなることはゆがめない。
 それはお金をもらおうとする人が増えてくるからだ。貸すよりも借りた方がより儲かるということになる。
 ただ、貸した場合の儲け無限に大きくなるが、借りた場合の儲けは元金だけである。そのため、借りた者が儲かるといっても、限界がある。元金以上のものはけして得しないことになる。

 貸す方と借りる方に差があるというのも、抵抗があり、むしろ、等しい関係のままで取引するのが基本的ルールになりやすい。

 そこで、貨幣の数字がけして減価しない法則を利用し、かつ、モノとサービスが老化することを利用し、また、人と人の格差が拡がる自然さを利用する方法を貨幣にあみだす必要がある。

 つまり、貨幣を人間の血液と同じように循環するシステムをつくる必要がある。


3.金利をゼロにすること
 地球の生命は命の循環をして、それを永遠化している。それと同じような貨幣を造るには、金利をゼロにして、お金の私有財産を認めないことにすればよい。

 貨幣は交換流通してこと、命があるように、もし、私有財産を認めてしまえば、貨幣は一個人に停滞してしまい、人間の血液でいえば、血の巡りが悪くなって病気または死にいたる。

 そこで、貨幣は製造したところから、めぐりまぐって、その製造したところにもどる方法をあみだせばいいのである。

 つまり、中央銀行が貨幣を製造したら、最後は必ず中央銀行にもどるようなシステムをつくりあげれば、自然の命の循環になり、かつ、人間の血液と同じように考えることができる。

 そこで、

  人間の血液を作り出すのは中央銀行だけにしておき、それ以外のところはけして作らせないことである。そして、血液を循環させる心臓、それを浄化する肝臓というような内臓器官にあった諸機関を作り、血液が常に体の各部に等しく流れるようにするのである。

 

4.お金の所有権・私有権を認めない

 金利をプラスまたはマイナスにすることは、それを自ずと、その所有権を認めることになる。それは譲渡しても同じである。
 しかし、それではお金は廻らない。そのため、金利はすべてゼロに固定してしまうのである。そして、元金だけは借りた人に返す方法をあみだせば、使って返すことを義務化すればいいのである。
 その場合、モノとサービスは減価するが、お金の数字そのものは変化しない。そのため、モノとサービスが老化消滅した分だけ、さらにモノとサービスを作らねばならないという心理が働く。それが貨幣という血液を流れさせる力になる。

 つまり、お金そのものは、中央銀行の借り物であり、いずれ、それは中央銀行に返却しなければならないと明記されるべきものである。

 しかも、その返却する期限を指定できるのは中央銀行でしかない。それがいわゆる税金である。
 税金とは、無利子で借りたものをその持ち主に返すことであるからだ。

 そうすることで、中央銀行は、人が持つ貨幣の格差を調整することができるようにするのである。



5.金利のプラスととマイナスとゼロの違い

 まず、わかりやすいように、年の金利+100%と金利-100%と 金利 0%を計算してみよう。そして、貸し主からの視点でみることにする。
A:金利プラス  100%
貸し主  年の利息100% 1年後貸し主
  貸し主のお金は元金と合わせて、1年後2倍になる。
B:金利マイナス100%
貸し主  年の利息100% 1年後貸し主 0円

 貸し主のお金は元金とも1年後ゼロになる。
C:金利ゼロ    0%
貸し主  年の利息 0% 1年後貸し主
 貸し主のお金は1年後には元金が返却されてくる

 世界にお金が100円しかないとしたら、
 世界が貸し主と借り主の二人だけとすると、お金はどう廻ることになるだろうか?
  
A:金利プラス  100%
 事実上は貸し主だけがお金を所有し、金利だけが廻って、その金利もまた貸し主にたまってくる。
 いわゆる、事実上は貸し主に一方通行になる。
B:金利マイナス100%
 お金は貸し主から借り主に一方通行になり、嘉永点しない。そのため、お金は借りた者だけになる。
 そのため、貸し借りが一回しか通用しないで、貸し借り行為はなくなる。
C:金利ゼロ    0%
唯一、金利ゼロのときだけ、お金が貸し借りにおいて、血液のように循環する。

 貸し主になれるのはその国の中央銀行だけである。そのため、国民は一時そのお金を借りて流用することができるだけになる。
 中央銀行が国民に金利をゼロにした場合のみ、その国のお金は永遠に廻り続けることができる。
 もし、そうしないと、中央銀行は金利プラスの場合は、貸し主のために永遠にお金を製造しなければならず、金利マイナスの場合は、借り主のために永遠にお金を製造しなければならない。
 そして、お金は金利プラスの場合は資本家や投資家にすべてのお金が集まり、金利マイナスの場合は、労働者や福祉の者だけにお金が流れ続けることになる。

 そのため、お金を国民に等しく分配し、お金を命のある血液のように循環できるのは、金利ゼロの婆場合しかあり得ないことになる。

 

6.世界銀行券のシステム変更をする

 
よって、当初のマイナスの利子による世界銀行券のシステムとデザインを下記に変更するものとする。





7.手数料が介入した場合

 お金の貸し借りや売買の発生を禁止したり、食い止めることは法的には非常に難しいものがある。お金がモノとサービスを交換できる保証を国が与えるために、それが心理的にはお金とモノとサービスを同一視してしまうためである。

 また、私有権というのもお金を借りている間はその私有権は発生しており、それが本質的にはまったく私有権がないとは心理的に理解することは難しい。
 それは、鏡の姿を自分の姿と同一視してしまう錯覚と同じであり、鏡の自分と実際の自分とは左右逆であるというのが理性的でないとすぐには理解しにくいものである。

 人は肉体と心の両方を持つが故に、心の満足や不安を無視することはできない。人は錯覚や幻想をこよなく愛する、そして、それに多くの価値を見いだすからである。

 それはまた自分という存在が、人よりも優れていたいと願うこと、また人よりも優れたいという欲求を持つことは自然な心である。そのため、人を騙しても人よりも益をえようとする性質が生まれてくることは命の源泉みたいなものであり、それがまた生きる力になってくる。

 宝くじを100円で買って、それが1億円になるかもしれないという夢に多くの価値を見いだすのが人の心である。

 でも、宝くじというのは、一番確実に儲かるのは、宝くじを作った業者や団体であり、宝くじが当たった人だけが得をし、宝くじが外れたほとんどの多数は損をするのである。それは誰でもがわかるシステムであるが、理性的に考えれば、これほど、人を不公平に扱おうとするシステムはあるまい。

 今の世界のお金は、こうした宝くじのようなゲームをして、世界のお金のほとんどが一部の人に入り、その他は多数はそれに搾り取られてしまう格好になっている。でも、そのシステムをけしてやめようとはしない。自分にも運がよければ、億万長者になれる夢をもつことに一番の生きる価値を見いだしてしまうからである。

 しかしながら、今の世界状況は、家族の主人である父親に宝くじに熱中し、家計にすべてをそれに費やしてしまい、それに負けてばかりいて、母子に生活費を渡さないために、家計がメチャメチャになり、飢餓したり、戦争したりして、命を失う母子が増えてきてしまったのである。

 人がスポーツをこよなく愛するのは、強い者にあこがれるからである。そして、競って強くなることを本能的に喜びを感じるのは、人は他の動物とほとんど同じ感情の持ち主であるためである。どんなに理性でわかっても、それを実行にうつすことは難しい。

 貨幣システムを構築するに当たって、まったく理性的に構築するだけでは実践のバワーはでてこない。そこにゲーム性や心理的に自分の喜びが見いだせるものがないと、人は生きる力を失ってしまう。

 人が錯覚や幻想を楽しむのは、悪くいえば、人は搾取や詐欺や戦いを好むものでもあるからだ。もし、人の性善説が正しければ、お金のシステムを数千年もの間変えようとしなかったことは理解に苦しむことになる。また、共産主義が成功しなかったことも理解できなくなる。

 人は常に性善説と性悪説の両方を持っているという前提に立たなければ、うまいシステムは考案できない、貨幣システムにしても、それは理性と心の性質を両方兼ね備えたシステムでないと、よくできたシステムだとはいえない。

  
1.金利マイナスの経済生活を実践したら、それは性善説であり、人は無償の愛だけで世の中を成立できるものというシステムである。

2.金利ゼロの経済システムの場合は、単にお金の循環だけを目的に作られたものであり、理性だけが先行するシステムである。

3、そのシステムを人間的にするには、貸す手数料に対して、人の心を満足させるようなものがなければならない。

 A お金とお金の関係
  お金は、本来の目的である「モノとサービスの交換と流通」のための道具なので、お金同志の取引で、で、それが増減することは、理論的からいっても、本来の目的である「モノとサービスの交換と流通」を混乱させてしまう。それは、「モノとサービス」の価格をつける数字が増減したら、「モノとサービス」の価格を設定することが難しくなってしまうからである。

 例えば、Aさんが、りんご1個の100円の値段をつけて、Bさんに売ろうとする
Aさんのリンゴ→Bさんのリンゴ

AさんとBさんの間で、リンゴ1個を100円として交換約束した

AさんのリンゴはBさんのリンゴに流通した。

そして、Bさんから、Aさんにその代金100円を支払おうとした。

そこで、今日の金利相場が100%であったら、それを次に二人で計算しなければならなくなる。

Bさんのお金→Aさんのお金
Bさん(貸し主)の100円→Aさん(借り主)の200円
になるから、

Bさんは日歩100%分を差し引くと、

BさんはAさんに50円支払えばよいことになる。

 そして、BさんがAさんにその100円支払う時に、お金相場で差額が計算され、
 Bさんは50円だけ支払えばよくなるのである。

 こうした事例は現在、ドルと円の毎日の為替相場で、行われている。その差が大きいため、経済が混乱しているのが現在である。

 B 金本位制の目的

 なぜ、貨幣経済を国際的に導入した場合、各国は金本位制にしようとしたのだろうか? 
 それはお金の数字の価値を一定にすることで、経済取引を安定させようとしたためだといえる。
 
  そのため、希少価値である金の重さはけして変化はしないため、それで設定したのである。もちろん、それが銀の重さであれ、水の重さであれ、とにかくその数値が変動しないものであれば、どんなモノでもよかったのである。

 でも、なぜ希少価値である金の重さをドルや円の単位としたのだろうか?
 それは貨幣の製造高を各国一定にさせるためである。
 世界における金の埋蔵量はわずかであり、それはほとんど増えないためである。

 しかし、世界の金の埋蔵量とその重さは一定しているのに対して、その交換目的である「モノとサービス」はいくらでも増加し、かつ、各国は自由に貨幣を製造して、経済を活性化させようとしたため、たくさんの貨幣が必要になった。そのため、金と貨幣の交換率を下げるしか方法がなくなってしまう。
 それが可能になったとしても、各国が貨幣が発行できる金額はその国の金の保有量に制限されてしまう。それでは、各国の経済事情に合わせた貨幣を発行できなくなるのである。
 
 そのため、各国は一番流通量が多かったアメリカドルを基軸通貨として、交換できるようにし、各国は自国の自由に貨幣を製造できるようにしたのである。

 しかし、それでは世界はアメリカの政府の貨幣の製造額と、アメリカドル1ドルの数値の安定が世界の経済を安定させることになるので、現代のように、アメリカドルの貨幣の製造高が増え、その1ドル価値が大きく下がったため、世界の経済は混乱してきたのである。

 もし、今後世界の経済を安定的にするためには、本来の金本位制の目的である、世界の貨幣製造金額を協定で決め、その貨幣の数字の価値が変動しないようにすれば、世界の経済は安定する。

 それは世界の協定で、貨幣金額製造額の割当てをすることが大事になってくるということでもある。それは各国の経済事情と世界の経済事情に合わせて、毎年協議される必要がある。

 同時に、お金がお金を自由に生み出すシステムに制限をしなければ、いくら貨幣の製造額を割り当てても、人類65億人全員が自由にお金をを製造できることを許可するようなものなので、特にお金の利子についてはゼロにすることが安定化とそのお金の正常な流通には欠かせないことになるのである。

 
 C お金のサービスとモノのサービスの違い

 私たちが地球の資源をとり、それを生産(加工)、流通(運搬)して、商品を作る。
その場合、加工運搬されていない地球資源は単なる物質であるが、人間の手足によって、それらは人間が生きるのに必要な商品になる。そのため、どんな商品にも、地球の物質と人間の労働が合わさったものであり、その物質の度合いが大きい商品をモノとし、その人間労働の度合いが大きい商品をサービスと、これから言い表すこととする。

 そして、貨幣というのは商品(モノとサービス)の交換と流通を促進させるための法的道具である。法的な保証と信用がなければ、それは貨幣にはならない。

 そのため、貨幣を国家以外の人が作ってはならない。もし、それを作ったらそれは偽札である。しかし、人はお金の貸し借りに利子を付けることによって、いくらでもお金を製造できてしまい、国家はそれを取り締まらず、許可を与えてしまっている。そのため偽札製造を厳しく取り締まるが、金利を付けることが偽札を作ることだとは理解できずに、それを許可どころか、その金利で自由に付けられた偽札を国家の法律で守っている。

 それは、現在、投資銀行(利子で大きく膨らんだ、偽札製造所)が破綻した場合、それに対して偽札の量を正当化せざるをえないため、国家は本当のお金を製造して、偽札を真札に変えるのである。それが政府による救済である。

 そうしないと、偽札でふくれあがった経済はさらに混乱してしまうからである。しかし、それは今の金利により偽札製造を作ることを変えない限り、必ず、そうした破綻は数十年おきに起きることになる。それが金融恐慌がくりかえされる所以である。

 では、いったいなぜ政府は金利が偽札を作ることだということを理解できないのだろうか?
 それがどうして、正当な人間の労働として同じ価値を与えられると誤解してしまうのだろうか?

 これはモノのサービスとお金のサービスを同じだと錯覚してしまうからである。

 この錯覚を取り除かない限り、世界では毎日偽札が横行し、真札の量より10倍も大きくなって、偽札を本物の貨幣だと思いこんでしまうのである。まさに、今の経済金融の状況である。

 そして、人は偽札の金融市場を市場経済といい、真札の市場を実質経済として区別するのである。

 この錯覚をまず取り除こう
 D お金の利子がサービスだと思いこむ錯覚
利子100%
労働(サービス)

利子≠労働
しかしながら、人は錯覚するのは
かつ、
よって、
その結果
利子=労働

利子が労働であると国家が認めてしまったら、

偽札の製造を犯罪行為ではなく、適法であると認めることになる。

なぜなら、お金をさらに製造して、にすることができるのは日本銀行以外では許されていないからである。

 しかし、 をさらに土地を開拓して労働してに増やすことは正当な労働であり、法的にもっとも賞賛される行為である。

 お金とは単にモノとサービスを価値を表す数字でしかないからである。そのため、もし、お金に利子100%を付けて貸すならば、1000円札の数字を消して2000円の数字にして支払うようなものである。それが許されたら、経済は混乱するのは当たり前である。


 E 銀行サービスをどのようにしたら適法か

 1.銀行サービスはお金の貸し借りの総額によって、そこで働く銀行マンの給与が変えられてはならない。

 銀行マンの給与はいわば労働における対価としての貨幣額である。その給与はどんなに銀行マンが100億の金額を取引しようと、その給与はその額に関係なく、一定である。その給与をつけるシステムこそ、お金の貸借に適応されるサービスにすることである。

 お金が返却されようが、されまいが、銀行マンの給与は常に一定に保証されるのである。もし、利子が労働の対価というならば、日本銀行で働く人の給与は日本人全員の給与の総合計が与えられなければならなくなる。

 例えば、ある日、ある銀行がある会社に1億円融資した。その手数料は1億円に関係なく、銀行サービスが永続可能な金額から計算された、10人の会社だったら、1日のサービスの売上げが100万円必要であったら、そのサービス額は100万円に設定すればいだろう。それが例え、100億円でもその手数料は一回限り、100万円に設定すればいいだろう。

 この場合は、お金からお金が増えたのではなく、りんごの生産を補助するサービス(労働)をした対価として得られる金額である。そのため、その100万円は貸した1億円とはまったく関係なく、事業補助のサービスから生まれたものであって、それは日本銀行が製造した額の一部になるので正当な対価として与えられることになる。

 しかし、この手数料を別にとるということは、お金を貸した金額よりも大きな金額を得るということになるが、それだと、中央銀行と国民の間でも、その手数料をとることを認めたことになる。そして、間接的にも、お金がお金を生み出すことを認めてしまい、手数料=金利 ということを認めざるをえなくなってしまい、それは矛盾する。

 もし、お金がないで、これがいずれは消滅する商品の貸し借りだとすると、貸し借りの立場は逆転するのである。

 貸し借りがなぜ発生するかというと、自分が今使わないモノを発生した場合にそれが発生することである・

 そのため、貨幣がない場合の物々交換のもどってそれを考えてみると、

 隣同志の家で、片方はリンゴの実がたくさんなって、100個とれた。でも、隣の家はなぜが、虫に食われて、リンゴの実がまったくできなかった。

 その場合を想定したら、一件でリンゴ50個しか消費できないとするなら、50個は誰かにあげるしなければ、そのまま腐らせるしかなくなる。

 そこで、隣の家がたまたま50個のリンゴを欲しかったので、それをあげた。でも、そのあげる際、お互いにこういうだろう。

 「お互い様、もし、私の家のりんごの実ができなかったときには、50個のりんごをくださいね」
 「それはもちろんですとも」

 これがお金の貸し借りに通用する行為なのである。つまり、貸し借りはどちらも同じように得をするのだから、そこに差がない関係なのである。

 そのため、貸し借りにおいて、利息はゼロだけでなく、その手数料もいらないのである。もし、貸した方が手数料をとるなら、借りた方も手数料をもらわないと、分業が成立しないのである。

 つまり、お金の貸し借りは、その流通面からも、お互いの労働と分業を成立し、お金そのものを成立させる基本には、金利はゼロでないと、貨幣経済は成立しないのである。お金はモノとサービスの交換と流通をするための道具であるから、それを促進するということは、お互い助け合い、労働でいえば、分業生産することであるからだ。

 そのため、銀行家は、お金の貸借に対して手数料も、利子もとってはならない。もし、手数料をとるなら、別な仕事のサービスに対してとれることになる。


 
8.私有権について

 お金に所有権(私有権)があるとみな思いこんでいるが、それは不可能なことだ。お金の所有権は世界の中有銀行、日本では日銀に唯一独占権がある。日銀以外の国民のすべてのお金はすべて日銀から借り入れた借金である。

 しかも、金利付き借金である。そのことについては「お金とは何だ2」として、詳しく考察することにした。

 そして、このタイトルを日銀券に対して、人券と名付けた。そこで、私有権について、深く考察している。