e日銀券と日銀券のバランス貨幣を


1,中央銀行は国民の借金をして貨幣を発行している

 無から有はけして生まれない。しかし、中銀はそれを行っている。金本位制の場合は金の保有分だけ管理紙幣を発行することができた。しかし、金の保有の関係なく、紙幣を無限に発行できることは、何の担保もなく、世界中の商品を買うことができる権利をえることである。つまり、無から有を作りだしている。
 これが、中銀制度が実体経済を管理できなくなり、また、マネーゲームの氾濫の原因になっている。

 復興カードや自治カードの発想はこうした実体のない中銀制度を修正するための処方箋である。

 例えば、日本銀行が1万円札を発行して、日本国民に10%で貸し出したとする。その場合、日銀と国民の振替伝票と普通口座はどうなるだろうか?



 上記のようになる。つまり、発行された日銀券は日本国民からの借用証書=債券である。そのため、日本の国債1000兆円あるとしたら、それは1000兆円分日銀に貸したことになる。そのため、本当の貨幣発行は日銀ではなく、国債が貨幣発行にあたる。すなわち、最終的に、日銀は国債を買い取らなければならない。
 無から有は造れない。有から有しか造れないのである。

 だから、どんなに金持ちが数兆円持ったとしても、その数兆円は国民の借金の額である。これをはっきりと理解するには日銀券をコインとすれば、表はプラスの貸金であり、裏はマイナスの借金である。そのため、日銀券の最初に1万円発行したとしたら、±10,000円と表記するのが間違いがないのである。

 貨幣発行が中央銀行ではなく、国民が貨幣発行していることを、ほとんど国民は忘れている。

 では、中銀券が国民からの借用証書であることから、今の貨幣制度をどう修正したらいいだろうか?

 まず、現在の中銀券と債券の発行をみていく。先日の10人で10日の10%利息で10000円札が発行者の元に返ってきたとする。

 このサイクルは現実に流通する信用創造で、中銀券と債券がいくら生まれるかを計算することができる。

 つまり、一枚の1万円札が日銀から発行され、金利10%で市中銀行や企業それから下請けや国民に貸し出されると、そこで信用創造により、11倍の1万1千円の債券が発行される。それが株式などになって、信用売買されるのである。その11000円の債券は信用度によっての変動相場で決められていく。各国の通貨もまた信用為替変動相場で、売買される。そうした信用度で貨幣流通額が変動して、国民の購買度に合わせた金額に近づいていく。それはたくさんの商品が生産販売されても、それを消費する需要度がなければ、残った商品はゴミになることと同じである。
 そのため、債券の流通額は最終的に購買金額に近づいていく。

 しかし、元になった日銀券は無からの創造はできない。その発行の元になるのが、国民の購買度である。特に、国民年金、健康保険、生活保護、社会保障、インフラ整備などであり、それらは国の税金として集められるので、必要な税収=国民の購買度=日銀券の発行総額にあたる。

 それは現実の税収+国公債=国民の購買度=日銀券発行総額 になるように動くはずである。

 しかし、税収の不安定、国公債の増大、国民の購買が投資に翻弄によって、日銀券の発行総額が定まらないでいる。

 これは債券の信用度の変動が激しいためにおこり、また、日銀券の発行総額を決める哲学がないためである。日銀券が国民の最低必要の購買金額になっていなく、その配布先が信用創造で無限に債券を製造する銀行であることが根本原因である。それを修正するには、国民の最低必要な購買金額の日銀券の発行であり、その配布先が、社会保障先や公共事業先である。そして、その日銀券の信用度は100%で安定していることが必要である。そのためには、貸した金は無利息で100%返済される日銀券の発行であり、その回収システムが電子マネーによる貯蓄税である。
 
 それは現在の日銀券とは別の再生循環が可能な電子日銀券を発行し、被災者や年金受給者や生活保護や公共事業などに配布されることが必要である。また、それたの供給者に蓄えられた日銀券は、プラスの利子とは逆にマイナスの利息としての貯蓄税が銀行預金から差し引かれることで、循環する。

 こうした、借り方と貸方の左右のバランスをとるように、日銀券(国民借債券)とe日限券(電子日銀券:国民貸債券)が必要であり、それによって、国の財政のバランスが保つことが可能になる。


2.e日銀券

 日銀券の発行の財源に国民の購買金額としてe日銀券(電子マネーの日銀券)が必要である。それは債券にはコインの裏表のように、表は貸し手があり、裏には借り手があるように、両者は必ず同一金額になることがバランスシートであり、バランス経済えある。

 しかし、現在日銀券は貸し手の金額しかなく、借り手はゼロ(無)であり、そこに、非科学的数学でなりたつ妄信マネーの氾濫がある。

 こうした日銀券世界的には中銀券であるが、これらをコントロールして正常化させるには2つの貨幣が必要である。

 日銀券とe日銀券の特徴を整理すると、


e日銀券

日銀券
マイナスの利息(貯蓄税)が付く プラスの利息が付く
貸借不可 貸借可能
債券にはならない(100%循環可能な信用度) 信用創造で債券を無限に発行できる
金額の変動はなく一定である 債券の売買で発行金額が決まる
電子マネー(貯蓄税が付くので紙幣不可) 紙幣や硬貨で発行
外国為替相場は購買力平価で安定 外国為替相場が通貨売買で不安定
外国通貨両替は同じe中銀券で可能 外国通貨両替は同じ中銀券で可能
日銀券や中銀券とは両替できない e日銀券やe中銀券とは両替できない
社会保障に最適 投資に最適
国公社会の貯蓄向き 個人の貯蓄向き
生活必需品の売買に最適 進化発展や文化向上に最適
自然循環経済 資本個人自由主義に最適
分かち合い経済 市場競争経済

 日銀券とe日銀券はコインの裏表、振替票の貸方と借方、バランスからいくと、両者の発行金額は同額である。そのため、給与などの支払いも、半々にするのが適当であるが、基本的に受け取り手に選択の自由がある。

 それは、商品の売買において、売り手は買い手から払われる貨幣を「日銀券」か、「e日銀券」かを選択する自由があるが、貨幣の特徴からいくと、生活必需品はe日銀券が使われ、それ以外は日銀券が使われやすくなるだろうと思われる。

 日銀券とe日銀券の交換はコインの裏表・振替伝票の借方貸方を替えることはできない。もし、交換できたら、左右のバランスがくずれ、歩きにくくなるように、経済バランスは保てなくなる。



3,日銀券の発行財源は国民の財産である

 今国債や年金や復興の財源を消費税増税で確保しようとしているが、ギリシャの消費税20%でも、国債の不履行が起きた。消費税ではとても国債償還も、年金も、復興費も、捻出できないのは明らかだ。それを不退転で頑張り続けても、焼け石に水だ。

 国債不履行の問題は世界中で起きる根本原因がある。それは各国の中央銀行で発行される貨幣(中銀券・・私の造語)が無から造られるからである。

 金本位制の時の中銀券は金の保有量が財源であったが、米大統領のニクソンが金の保有量なしに、ドル紙幣を無制限に発行したことから、世界中が中銀券を無制限に発行するようになった。そして、各国は金の取り合いから、中銀券を取り合う市場競争時代になった。

 政府紙幣から中銀券になったのは政府が無制限に政府紙幣を発行して、ハイパーインフレを起こしてしまった痛い経験からである。それを防止するため、中銀券をプラスの利息付きで貸し出し、返済させることで、貨幣の流通量を調整させた。中銀券の貸借から、信用創造で債券が無限に造られるが、債券は中銀券とは違って、その信用度によって、その金額がゼロから元金の数十倍もの金額に変動する。
 
 この債券は株などの金融商品と呼ばれ、その金額の変動の差額でボロ儲けする投資家が多くでている。しかし、それに対する規制がなく、そうした金融商品を安く大量に買い占めて値段をつり上げ、値段が高くなると売りに出すことで大儲けするので、世界の物価の変動が激しくなり、生活が困窮してしまう。世界各国の通貨(中銀券)はそうした金融商品となって、その為替レートが毎日毎時刻々と変動している。

  そして、今や、中銀紙幣制は崩壊寸前である。今世界で最も流通している貨幣は債券である。悪貨(債券)は良貨(中銀券)を駆逐したのである。

 そのため、今の債券の健全化が急務である。そのためには債券の特性を利用し、借り手と貸し手のバランスをとりながら、貨幣流通させることである。正常な会計をうまくする複式簿記のように貨幣を管理流通させる技術が求められる。

 無から有である中銀券を無制限に造ることは非科学的であり、妄信した宗教である。中銀券(各国通貨)は実際には債券となって、その金額が変動して流通している。そのことは、中銀券は債券である証拠であり、その事実を認めることである。

 中銀券でその国の商品のすべてを買える。そのことから、中銀券は国民の商品すべてを財源として、発行された債券であるといえる。

 また、商品の値段は供給と需要で決まるため、商品の購買度(需要度)が中銀券の発行金額に相当する。
 つまり、
国内の商品購買総額(国民の財産) = 中銀券の発行金額 
 である。そして、中銀券はプラスの利息で貸し出されるため、貸債券に当たる。債券は貸借の二者と利息から成っているので、貸債券に対して、必ず借債券が存在する。もし、中銀券1万円札を発行し、利息10%で貸し出した場合の、バランスシートは下記になる。



そして、この借中銀債券のことをe中銀券(電子マネーの中銀券)と呼び、日本ではe日銀券と呼ぶことにする。

 貨幣にマイナスの利息を付けて貸し出すことは、返済なしになり、それは贈与と同じになる。そして、マイナスの利息とは所有するe日銀券そのものにかかる税金で差し引かれる税金(貯蓄税)である。

 e日銀券と日銀券の違いを対比させると下記になる。

 日銀券とe日銀券はコインの裏表、振替票の貸方と借方、バランスからいくと、両者の発行金額は同額である。そのため、給与などの支払いも、半々にするのが適当であるが、基本的に受け取り手に選択の自由がある。

 それは、商品の売買において、売り手は買い手から払われる貨幣を「日銀券」か、「e日銀券」かを選択する自由があるが、貨幣の特徴からいくと、生活必需品はe日銀券が使われ、それ以外は日銀券が使われやすくなるだろうと思われる。

 日銀券とe日銀券の交換はコインの裏表・振替伝票の借方貸方を替えることはできない。もし、交換できたら、左右のバランスがくずれ、歩きにくくなるように、経済バランスは保てなくなる。

 国民の普通預金口座と中銀の普通預金口座は下記のようになる。


 国民の財産と中銀の財産は貸借・贈授の同額になりバランス財務が可能となる。

4,e中銀券が流通すると金より技術になる

 公営企業と民間企業が同じようなサービスや生産をする場合、圧倒的に民間企業の方が経営的にも収益的にもよくなり、公営企業は赤字の増大が膨らんでくる。

 これは、儲からなくても、一定の給与がもらえるからである。ハングリー精神がないと、その企業はいい仕事ができないからである。そのため、あらゆる公営企業を民営化することで、赤字を減らすことが可能になる。

 公営企業が、税金に頼らずに、民間企業と同じく、独立して経営し、もし経営がうまくいかなければ倒産するようなことも必要なことである。それで、公営企業は無料サービスが多いのだが、それを民間企業のように、すべて有料にして、同じ立場で、競争しあうことができるようにするには、このe中銀券がうまく機能する。

 e中銀券は社会保障特に、ベーシックインカム(最低生活保障)をしやすく、国民全員に毎月e中銀券を10万円くらいは配れるよういなる。すると、公営サービスが、たとえ有料でも、配給されたお金で利用できるからである。そうなれば、公営企業も民間企業も同じ競争をすることが可能である。

 それはe中銀券には税金が含まれているから、それが可能であるともいえる。

 次に、民間企業も、e中銀券が多く収入になると、それは個人の貯蓄が難しくなるため、金で金を儲けることから、e中銀券で、モノやサービスや技術に投資するようになる。それはゲゼルでも予測しており、持っていると減価するお金はお金でお金が儲けることができなくなるので、モノに投資つまり、消費することになる。

 たとえば、不動産や機械設備や開拓などに投資して、そこからの収益が安定的にでるように働く。マネーゲームよりも実体経済の方により投資して、働いて、そのおもしろさにかける。単に金持ちになろうとするよりも、より良い商品、良いサービスに意識が向くことになる。

 これは本来日本人が持っている性質であると思える。そうした企業人が多くいるので、より受け入れやすいe中銀券のように思われる。


5.e中銀券は一定量、中銀券は無限に増大

 上記の例では10%のプラスの利息が一度だけ行われたときには、e中銀券はそれに対応して、10%の貯蓄税で減らすことができた。
 しかし、実際は、プラスの利息は企業の下請けのように、銀行から企業、大企業から中小企業、中小企業から個人へと、プラスの利息は増大し、その利息の差益で、銀行や大企業は大きく儲けるので、中銀券は利息の増大で、流通量が多くなる。また、債券が株券として上場され、売買できるようになると、その企業の人気によって、株価はいくらでも上がることになる。そうして、無限に中銀券は債券の売買と信用度、人気度によって、無限に増殖する。

 しかし、企業が生産しても、売れなくなると、返済が困難になり、倒産する会社が増えると、信用度も、人気度も落ちてくる。すると、中銀券は増大から減少になっていく。これが不景気であり、金融恐慌になる。

 その減少は利息がゼロに近づいても、返済が難しくなり、逆に元金返済も難しくなるので、貸し渋り、借り控えが起きてくる。これが現在の状況である。

 そして、国債も償還が難しくなり、不履行になりやすくなる。こうした状態はマイナスの利息の贈与経済に近づき、e中銀券と中銀券の発行金額が同額になってくる。

 一方、不景気とともに、職を失い、生活困窮者が増えると、彼らを支援する社会保障が必要になり、e中銀券の発行総額が増えることになる。それは中銀券の減少はe中銀券の増大になり、両者は同額のバランスが保てるように働くことになる。

 つまり、中銀券とe中銀券は常に同額というのではなく、片方が増大すれば、片方が減少、片方が減少すればもう片方が増大することで、バランスをとる経済が生まれるのである。

 これは、中銀券は欲望であり、欲望の限界はなく、無限に欲しがるようにそれは増大する。しかし、e中銀券は最低生活必要消費総額である。いわば、欲望に対して、最低生活必要量である。

 例えば、食べ物がおいしければいくらでも食べてしまう。食べても食べてもお腹がいっぱいにならない。そして、肥満になり、そして病気になり、最終的に死に至る。その場合、ダイエットをすれば健康をとりもどすのだが、そのダイエットは身体に必要な最低カロリーと栄養の必要量だけ摂取する。その最低摂取必要量がe中銀券の発行総額に当たるのである。

 欲望がいくら無限でも、それを必要とする量はわずかであり、限界がある。欲望はかなうこともあれば、かなわないこともある。しかし、必要なことは必ずかなえることができる。それが自然生命の摂理である。


 

6.すでにe中銀券による家族通貨は実現している

 家族みんなで海外旅行をしようとなった。長女が働くようになると、家族全員で旅に行くのはひょっとしたら最後の機会になるからだ。
 3月の卒業式の前に家族の予定を合わせると1週間以内の旅になる。そこで、どこに行くかとなったが、結局どこでもいいことになった。そうなると、価格の安いツアーを家族3人で行けるところを探せば楽である。

 そこで、海外の旅行をするときに、「みすずカード」を使うことを思いついた。e中銀券は世界的な通貨の根本改革であるが、その原理も、実施も、そう難しくはないのだ。大きな理想の実現も、自分ができる一歩を踏み出せば実現可能である。

 復興クレジットカードの実現を友人から応援されていて、どうやったら、それが実現できるかを考えていた。それは即実現が可能と判断できた。

 これはダイエットの実現と同じ発想の転換である。平均体重を目的にしたことから、健康な食生活を目的に替えて、ただ「腹八分」にするだけの目標にした。そこで即ダイエットは実現したのである。

 幸福の実現もまた同じで、遠い未来の青い鳥を探してもそれは見つからない。実は自分の家にその幸福の鳥はいたというチルチルミチルの話である。

 つまり、今の状態を一番幸福だとして、まわりのすべてに感謝すれば、即幸福は実現する。

 「みすずカード」も「復興カード」もe中銀券の発行とその流通である。それで最も理想的な状態は各国の地域通貨同士が相互に使えることである。しかし、自分にとってはそれも遠い目標である。社会の最小単位は個人であり、その一つ大きいのが家族である。そこで、自分がすぐにできるとしたら、e中銀券による家族通貨である。そして、海外にいる個人や家族の相互で、e中銀券による家族通貨を使えるようにすればいいだけである。

 e中銀券による家族通貨は何も発行しなくても、無意識に家族同士の交流で実際に使われている。例えば、海外の友だちのところに遊びにいったときの状態がそうである。衣食住も旅行も家族のように、おごりおごられることになる状態がそうである。

 自分の家計に合わせて、お互いの経済格差があっても、楽しく交流できるはずである。それを単に計算式にすれば、e中銀券と中銀券のバランス通貨が実現する。

 タイの友人のところに遊びに行ったとする。すると、タイの友人と私との財産に合わせた、中銀券とe中銀券が発行される。そのお互いの財産とは実際の中銀券だけでなく、その人の持っている衣食住や技術や知識も含めての意味である。国でいえば、GDPのことである。

 つまり、海外の友人と遊ぶときの、商品とサービスの交流記録を中銀券とe中銀券を使ったとして、記録すれば、即実現できたことになる。例えば、お互いの通貨の為替レートは自然と購買力平価になっているはずだ。その貿易量もお互いの財産内容に合わせておこなっているだろう。


7、お金から生死の研究に

 なにげなく見た動画に触発されて、3年間も「お金って何だ?」と追求してきて、やっと自分なりに、その答えを出すことができたと思っている。そして、e中銀券などの新マネー案を出すことによって、現在のお金をそのまま受け入れられるようになり、かかえていた問題が解決したようだ。

 新マネー案を実現しょうとするのが、次の道であるが、しかし、それは自分ができることではない。自治体や政府がすることで、自分ができるのは「お金とは何か?」を理解することだけで、それ以上のことは私の役目ではない。

 今残された寿命を感じる年頃になり、お金の問題よりも、生死の問題の方に魅力を感じており、またその方が現実的に逼迫している。それにお金で命は買えない。死ぬ先にお金を持っていく必要もない。つまり、お金よりはるかに生死の方が大事な問題である。多くの問題解決がそうであるように、「その問題を解決するには、それよりも大事な問題を解決すれば、その問題も自然に解決する」ものだ。

 不景気の問題は震災の問題解決から、震災の問題は原発の問題解決から、自然に解決する。その問題解決法はいわば「子供のなぜなぜ問いかけ法」である。どんどん核心のなぜになる。

 こうした疑問は最終的に「生死の問題」になるので、すべての細かい問題はこの生死の問題を解決すればすべて解決することになる。原因があるから結果がでる。結果の追求は原因の追及からである。

 お金の研究の結果、コインの表が中銀券だとしたら、コインの裏がe中銀券になった。もし、あなたが、中銀券を7兆7千万円持っていたら、それを支えているのは国民のe中銀券7兆7千万円であるということだ。 表が個人、裏が国民全体である。公私はコインの裏表である。あなたが、7兆7千万円得をしたら、国民は7兆7千万円損をしたことになる。

  国民全体が1000兆円借金をしたら、投資家個人は国民全体に1000兆円貸金している。債券などのどんなお金も、すべて、貸借、損益のバランスがとれている。だから、あまり金持ちにはなりたくない。たくさん持てば持つほど国民の金を奪っているようなものだからだ。

 お金の裏表があるように、生死にも裏表がある。日本人の神道の発想は実にわかりやすい。生の世界はこの世、死の世界はあの世である。命の流転は生死の繰り返しである。この世とあの世を行き来するのが、生死の流れである。

 人は「死んだら終わり」というのは、片道だけの話だ。もし、個人の名前を消したら、人は他の生物と同じになり、「死んだら、また生まれる」のだ。

 もし、震災で2万人の命を失い、その命はけして戻らないとすれば、大きな悲しみと苦しみを永遠に持つことになる。残された彼らを愛する人たちはけして救われることはなく、後追い自殺するしか生きる術がなくなってしまうだろう。

 復興カードの発想は、亡くなった2万人の方の復活である。キリストだけが死んでも復活するのではない。すべての人が他の生物と同じように死んでは復活するのである。個人の名前も、その数も、大した問題ではない。それを支えているのは生死を繰り返す命の問題だからである。

  そこで、お金の研究も一区切りをつけて、生死の研究を、実際に散歩しながら始めたいと思う。食事と運動を中心にした健康作りから始めたい。奇しくも、このプログのテーマが「生きているということ」だったことに、驚いたところだ。


8.貨幣の所有権の循環

 命の研究を進めるにあたって、昨年からダイエットに挑戦していた。それを継続発展させると、命の研究につながる。すると、ダイエット経済がまさにe中銀券の発行にあたることを発見した。

 中銀券はお腹一杯、またそれ以上に食べるようなもの。一方e中銀券は腹八分で押さえるようなもので、それは一日の基礎代謝に必要なカロリーと栄養素だけ摂取することだ。

 それは、中銀券とe中銀券の経済を図にするとよくわかる。どんな貨幣も、その所有権では、公私の二者間でやりとりされる構造である。

 中銀券は発行が国ではなく私的中央銀行になった時に、貨幣の所有権は公から私に逆転した。そして、その中銀券がプラスの利息付きの貸借権になった時点から、それは債券として貨幣ではなく100%金融商品になった。その金融商品の売買により、その価格と発行総額は信用創造で増大していった。しかし、実体経済の成長よりも、金融経済の成長の方がはるかに大きくなり、実体経済の成長に限界がきて、金融経済のバブルが弾けた。
 そして、実体経済も金融経済も収縮していき、デフレ不況が起きている現状である。

 e中銀券は「社会保障と税」の一体改革しようとする時勢から生まれたアイデア貨幣である。東北震災と原発事故によって、その復興の財源、年金や国債償還の財源をすべて「消費税」でまかなおうとする無理な政策に待ったをかけようとしたものだ。

 e中銀券は国が発行し、中銀が貯蓄税の徴収代行する貨幣システムである。中銀券が市中銀行に、そして企業に利息付きで貸出、流通、返済させるシステムであるが、e中銀券は社会保障と公共事業に貯蓄税付き資金を贈与する貨幣システムである。

 中銀券は所得税や法人税や消費税の徴集によって、社会保障や公共事業をするが、e中銀券はそれらは必要ではなく、貯蓄税だけで、それらが可能になる。

 中銀券がプラスの利息付きの債券で信用膨張収縮する貨幣経済に対して、e中銀券はいわば逆のマイナス利息が貯蓄税となって、贈与授受され、公私確実に循環して、分かち合う経済になる。

 そのため、e中銀券は国民の必要な貨幣を発行し贈与することから始まり、その貨幣を貯蓄税で100%自動回収し、また国民生活の必要なところに回すことができる、電子マネーである。

 政府紙幣では脱税の温床になり、貯蓄税を課せることが難しい。過去において、政府紙幣を無制限に発行、回収不能に陥ったときに、ハイパーインフレになった。それは原発の放射性廃棄物のように、回収不能になって、その国の土地に住めなくなることと同じあやまちである。

 地の水と天の水蒸気が循環して水が保てるように、貨幣も天なる公と地なる私が100%循環することで、安定した経済環境生活ができるからである。

 

9.どうして二種の貨幣が必要なのか

 人類がアダムとイブの男女二人で生まれたように、社会の構造を二人の間で協力しあう姿に縮小できる。

 お金のシステムも二人の間で協力しあう約束事に集約できる。両者の持っている才能、労働力、持ち物をスムーズに交換しあえるようにしたのがお金である。


 しかし、命や愛はお金で買えないように、お金で交換できるものは命以外のモノである。命を維持するためには、生活する上で最低限必要な衣食住はお金で買えないようにすることが、お金が正常に使える条件になる。

 そして、お金で買えるモノは最低生活に必要な衣食住を除いた衣食住や文化の商品やサービスや能力である。

 これは自給自足できれば、お金は必要ないが、自給自足できないときに、お金が必要になるということでもある。

 しかしながら、現在の貨幣は貨幣で最低生活もできないように、その命を奪うことができる貨幣になっているので、協力の道具ではなく、相手を殺す武器のような道具にもなれる。

 また、こうした命を奪うような貨幣をもたらしたのは、お金でお金が買えることである。お金は本来モノやサービスを交換するための道具であり、価値を表すものであった。しかし、お金の貸借が認められ、その利息をとることさえも認められたため、金で金を生み出すことが経済の主流になってしまった。

 これは本来の協力をする貨幣ではなく、お金の貸し借りで相手の命を支配する権力の道具になってしまい、武力で支配するように、金で人を支配できるようになったのである。

 こうした貨幣による支配社会から脱却するには、最低生活を国が保証するような新しい貨幣を発行することが必要である。

 最低生活費を保証する貨幣システムをベーシックインカムというが、これを実現するためには、金の貸し借りや利息が付くような貨幣では不可能である。 命の貸し借りができないように、人の命を保証する生活費を貸し借りすることはできなくする必要がある。

 そして、ベーシックインカムで使う新貨幣は最低生活に必要な衣食住の商品だけであるようにすることも必要であろう。

 それは消費税を付ける場合、生活必需品には消費税をかけないで、それ以外に消費税をかけることで、生活弱者を守るようにすることと同じである。

 この生活必需品を交換できる最低生活保障する新貨幣は国民全体に常に行き渡るようにするためには、新貨幣は価値が変わらない紙幣やコインではなく、自動的に減価する電子マネーでなくてはならない。

 新電子マナーは、現貨幣のように、国民が1000兆円もの借金とその利息を払うための消費税を増税して払う必要はなく、お金が自動的に減価して、その減価した分が税収となり、それを最低生活費として国民に配布できる。

 この最低生活を保障する新電子マネーは、オリンピックでいえば、参加賞のようなもので、だれでもが参加できて、はじめて、公正な競争ができ、楽しめることができる。

 どんなスポーツでも、殺し合いはない。公正な市場競争をして、経済と分化を活性化させるには、新電子マネーの発行によるベーシックインカムが欠かせない。


10.なぜ金が神になったのか

 神様というと、どんな望みも叶えてくれる存在だと定義してもよさそうである。昔は絶対の権力者である王様などが神様と同じように扱われた。現在、権力の維持が武力から金力に代わり、どんな望みもかなえてくれる存在は金力になり、その金が神になった現代といえるだろう。

 アラジンのランプという物語があるが、その中で、神様のようなアラジンが、ランプを持つ「あなたのどんな望みも3つかなえられる」というのがある。

 その3つの叶えられる望みが何かがその物語のおもしろさであるが、3つだけでなく、無限に自分の望みを叶えられる1つの望みがある。

 「どんな望みも叶えられる神様になりたい」

 と願えばいいだけである。

 この望みの一元化は、病気でいろいろな症状を治すためには、その病気の原因を取り除いてしまえば、あらゆる苦痛からの解放されるということにも通じる。

 現代社会がお金から生じる格差問題、借金問題、不景気問題などたくさんの問題が生じているが、それらを一つ一つ解決していこうとしても、あっちをたてればこちらがたたぬというように、全部の問題を一気に解決する方法は見つからない・

 ところが、お金から生じるあらゆる問題をすべて解決する方法が一つある。それは病気と同じで、あらゆる問題の原因をとりのぞけば解決できることである。

 つまり、今のお金そのものを変えてしまえばいいのである。

 例えば、税と社会保障の一体改革をする場合、消費税を増税して、その税収のすべてを社会保障に使うという法律を制定したが、それは不景気さらに悪化させ、1000兆円もの借金を返済ができなくなるという矛盾がおきて、無理な法律であり、こちらを立てればあちらがたたぬ一例である。

 そこで、お金そのものを次のように変えれば、消費税増税、不景気、借金問題などを一気に解決することができる。

 社会保障に必要な電子マネーを発行し配布して、その電子マネーに貯蓄税を数パーセントつけて、銀行から自動徴集させればいいだけである。その税徴集は銀行預金には通常つくプラスの利息をマイナスの利息にし、しかもマイナスの金利を日割りにし、その電子マネーは現金紙幣には両替できないようにすれば、税金逃れをしないですむ。また、税金を計算し、自己申告しなくれもすむので、合理的である。

 この毎日入るマイナスの利息税(貯蓄税)を社会保障の財源にまわせばいいわけである。つまり、将来の預金のマイナス利息税(貯蓄税)が今必要な社会保障費の財源になり、国債を発行することも、日本銀行で紙幣を発行することも必要のないことなのだ。

 銀行の利息が単に数字を付けるだけですむように、社会保障費の配布も、また貯蓄税の徴集も、みな銀行の預金通帳で記帳させるだけで、自動的に計算され、税と社会保障費のバランスシートが調整されるだけですむことになる。

 金が支配する世の中なら、金そのものを変えれば世界は変わるのだ。


11. なぜ現在のお金が不正なのか

 ベーシックインカムがなかなか実現しないのは、その思想がまだ不十分であり、その根幹に「なんでもお金で解決できる」という誤解があるように思える。

 もし、それが実現できたら、すべての国民が今の生活保護者になるということになる。時々テレビ放送される生活保護者に支給されるお金をすぐに取り立てる業者がいるが、それが合法的であり、なんの取り締まりをうけないことに疑問がわく。

 その姿は生活保護者や年金の金をねらった悪徳業者を野放しにしているかのように思える。

 どうして、それが許される社会なのだろうか?

 それは現在のお金が金儲けギャンブルのためのコインであるからだ。食べるためのお金ではなく、ゲームを楽しむお金であるからだ。

 それはご飯一杯をサイコロで取り合うようなものであり、勝負に負けたら、ご飯は食べられず、勝ったら、ご飯を2杯食べられるというギャンブルをするようなものだからである。

 ではなぜお金がギャンブルになったのだろうか?

 これはお金の貸し借りができ、しかも利子を付けることが許されたからである。

  世界はアダムとイブの二人の社会であると譬えてみれば、二人が必要なご飯は2杯だけであり、協力しあうためのお金はご飯1杯を100円とすれば、2杯分の200円分の発行し、アダムとイブに等分の100円ずつ配布(ベーシックインカム)すればOKである。

 もしアダムが2杯分のご飯を生産できたが、イブは病気でまったくご飯を生産できなかった。その場合の協力しあう道具として持っているお金100円でイブはアダムのご飯を買える。逆にアダムが病気で生産できなかったら、イブから買えるという安心が生まれる。

 しかし、もし、この200円のお金の貸し借りができ、利息が付いたらどうなるだろうか?

 アダムは翌年も2杯のご飯を生産できたが、イブはまだ病気が回復せず、ご飯は生産できず、お金もまったく無くなったとする。

 イブはアダムからお金を100円借りて、その利息を年10%10円払うという約束をして、ご飯1杯を手にして生きられたとする。

 そして、また翌年もまたアダムがご飯2杯、イブはご飯なしの生産であったとしたら、イブはまたアダムに100円借りて、利息を10円払う約束をし、ご飯を買ったとする。

 ここで、お金の発行高を計算してみると、アダムのお金は200円になり、さらに、利息分の20円のお金は約束したお金の発行高であり、その約束マネーもアダムが持っているということになる。

 現在のお金は紙幣であるから、印刷しない限りお金は市場から増えることはない。そこで、約束マネーは発行が約束された紙幣であるということになり、お金の総流通額は220円になる。

 さらに翌年イブは病気が回復し、ご飯1杯生産でき、アダムは好調でご飯2杯生産できたとする。

 イブはアダムに220円の借金を返すには生産できたご飯1杯をアダムに売ってお金にするしかない。しかし、アダムはご飯が2杯できたので1杯余り、さらにイブのご飯1杯を買う必要がない。

 そこで二人はどうするだろうか?

 イブはアダムから借りた220円が返済できないので、翌年はその10%の利息分をさらに借りるしかなくなる。借金の合計は220円×1.1=242円になる。こうして世界のお金の流通額は増えるのに合わせ、除除に物価もあがることになる。ご飯1杯100円だった物価は、121円になって市場調整される。

 翌年もまたアダムはご飯2杯、イブはご飯1杯の生産をしたとすると、イブの借金はさらに増え、242円×1.1=266円になり、将来返済が無理だと判断される。その時、イブは借金すべてをチャラにする方法を思いつく。

 イブはアダムにジャンケンゲームを持ちかけ、もし勝ったら借金266円をチャラにし、負けたら、アダムの奴隷になると約束する。

 アダムにとって、返済が期待できないお金よりも、イブを奴隷にした方が得なので快く承諾する。

 つまり、お金の貸し借りと利息のつじつまを合わせるには、ギャンブルしか方法はなく、その結果、支配者とその奴隷社会が生まれてくるのである。

 そこで、お金が協力しあう道具として、正しく機能するには、ご飯とお金が常に連動されていなくてはならない。

 まず、ご飯は食べられなければ、腐って消えてしまうが、お金は余っても腐って消えることはない。1万円札はいつの時代であっても、1万円の価値であって、その価値は消えることはない。

 また、ご飯は譲り合いはできるが、貸し借りはできない。まして、もらったご飯は利息のように増えることはなく、食べなければ腐敗し消えるだけである。

 法に従えば正しく、従わなければ正しくないと言われるが、もし、その法が自然に則さない幻想である悪法であれば、悪法に従えば正しくなく、悪法に従わなければ正しいといえることになる。

 現在流通している紙幣は自然に即しない悪法であり、不正をうながす道具である。これからは自然に即したお金の仕組みを根本から作り直す必要があるだろう。そのためには、腐らない紙幣を廃棄して、自動的に減価できる電子マネーを発行することだろう。

 現在すでに紙幣時代ではなく、主流は電子マネーの時代になり、それが流通している。皮肉なことにお金の貸し借りと利息は約束マネー(信用貨幣)の発行と廃棄ができて、それを流通させるには電子マネーが最適である。
 
 その違いは、その信用電子マネーが自然に増えると不正になり、自然に減ると正しくなるというだけである。

  アダムとイブが発行した200円のお金が1年間の有効期間であれば、イブはアダムの奴隷にはならないであろう。

 アダムがご飯2杯でき、イブがまったくご飯生産できなかったとき、イブは持ち金100円でアダムのご飯1杯を買うことができたら、アダムの持ち金は200円になり、イブは0円になる。

 翌年にはアダムの200円は無効となる。そして、アダムがご飯2杯、イブが生産なしの場合、ご飯2杯分のお金200円を新発行し、アダムとイブに100円ずつベーシックインカムを行うとする。

 イブは持っているお金100円で余ったアダムのご飯1杯を買うことができる。もし、アダムとイブが逆の立場になってもそれが可能になる。

 この1年間の有効期間の紙幣は減価率年100%の電子マネーのことであり、発行できるベーシックインカム電子マネーはその減価した電子マネーの総額200円になる。その減価また発行できる200円は現在の貨幣制度でいえば、アダムとイブから徴集した税金総額であるともいえる。

 人間にとって自然環境が最も大事なように、お金もまた自然に即した発行から始めることが改革の第一歩であろう。


12.「1 for all.All for 1 」という二種のお金

 お金の仕組みを考えると、今のお金がどうして何千年も続けられたのかが不思議でならない。というのは、このお金はより多く持った人が天下を支配できるという構造だからである。

 ラグビーの試合で、そのチーム力を発揮する時に、「 1 for all.All for 1 (一人はみんなのために、みんなは一人のために」という一つの心が団結力を産み出し、奇跡的な力を発揮できることが知られている。

 お金の仕組みもまた同じで、現在のお金は「 All for 1 みんなは一人のために」活動している。そして、税付き電子マネーは「 1 for all. 一人はみんなのために」という構造である。

 この 「All for 1 」 と「 1 for all」の活動は矛盾するために、常にどちらかを選択した結果になる。これは個人を優先するか、社会全体を優先するかというものである。

 個人と社会はうまく調和するときもあるし、調和しないときもある。ラグビーのチーム力を人の生理的現象とすれば、心臓の鼓動を早める神経と緩める神経でほどよい調整ができ、健康を保てるようにすることができる。

 現在のお金は経済をどんどん発展させる力を持つ。税付き電子マネーは逆に福祉的であり、経済力を落とす働きがある。

 車を運転する時に欠かせないのはアクセルとブレーキであるように、お金もアクセルとブレーキの二種を造ることで、経済をコントロールできるようになると思われる。

 世界がアダムとイブだったら、今のお金をアクセルとして使うと、こうなる。

 アダムとイブは共同で家を建てようとした。そこで、お互いに持っているモノと特性を生かした力を出し合うことにした。

 アダムとイブが互いに持っている品と力の価値を数字で表し、それをお金にした。

 アダムは200円 イブは100円の値が付いた。この合計300円がお金の発行高である。

 そして、家の使用権は出資高に応じて使えるようにした。これは株式会社組織であるのでいうまでもない。

 つまり、協力してモノを作り上げるお金と、モノを分け合って協力しあうお金の両方を造ることで、経済の健康度を調整できるようになるのではないだろうか。

  増える今のお金と減る福祉のお金とは矛盾するので、直接には両替はできないが、どちらもどんなモノも買えるようにする。そうすると、モノを売る人間、モノを買う人間がどちらかのお金を使うかを選択するようになる。

 また、必要あって、増える今のお金と減る福祉のお金はモノを交換することで、間接的に交換できるようになる。いわば、油と水は混ざらないが、乳化剤という触媒を使えば混じることができるようなものである。



13.未来投資通貨を発行しよう

 昨日、うどん県で地域通貨をしようとする人から、当方のたぶん「お金ってなんだ?」というホームページが参考になるというメールをもらった。

 自分がやっていることが、誰かの役に立っているということがわかるととてもうれしくなるものだ。反応がないと、ただの自己満足でしかないので、しだいにやる気がうすれてくるからだ。

 とうに忘れていた地域通貨だが、今もし私がやったらどうなるか? しかも、うどん県の地域通貨だったらどうか? 

 これはおもしろいと思った。というのは、地域通貨ではなく、うどん通貨つまり、商品券なら、全国通貨になりえ、流通しやすいからである。

 地域通貨の問題はそれが使える商店や使う人が少ないので、流通しないで、最後は日銀券との交換で終わってしまうことが多い。しかし、商品券ならば、廃れることは少ないからである。

 それでも、地域通貨にこだわるならば、大坂維新から日本維新までの嵐をおこすならば、せめて、県の地域通貨を発行することから始め、それが使用できるのは商店や会社は県在住すべてが納得させることが必要である。それは県条例で、次のように定めることである。

 例えばうどん県ならば、

第1条 うどん県通貨はうどん県のみが発行できる、紙幣ではない電子マネーである。
第2条 うどん県通貨はうどん県在住のどんな人・商店・会社でも通用する通貨である。
第3条 うどん県通貨は日銀券とは直接交換はできない(しかし、モノやサービスを媒体とすることで間接的に交換はできるものとする)
第4条 うどん県通貨は10年間で県と使用者で1廻りするもので、うどん県通貨の貯蓄税(通貨回転率)は自動的に日歩ないし、移動1回当たり、1/3650=0.003(0.3%)が差し引かれるものである。
 うどん通貨はそれ自体税込みなので、その他の所得税・法人税・貯蓄税・住民税などはかからず、申告も必要としない。
第5条 うどん通貨は生活保障のため、住民20歳以上は10万円、20歳以下は5万円が配布される。
 また、法人や団体においては、生活向上のために、その構成員一人に付き、月10万円配布される。
第6条 うどん県通貨が交換できる通貨はうどん県通貨と同様の貨幣システムの他県通貨とは、等価交換でき、また外国通貨は月毎の購買力平価で交換できるものとする。

第7条 うどん県通貨の毎月の発行総額と各配布金額また、貯蓄税率(通貨回転率)は生活事情の変化に合わせて、議会で変更決定できるものとする。

 その他、実際的には、どんな商品・サービスでも、それを使う人、また受ける人が、うどん通貨使用か、日銀券使用かを選べることができる。

 うどん県通貨は自動的に通貨回転(発行回収)できない紙幣や商品券ではなく、自動的に通貨回転(発行回収)できる電子マネーであるので、県はクレジットカードのようなカードを住民や法人団体に配布して、使えるようにする。

 そのためには、県や市の住民基本台カードと県通貨カードを合一化して、VISAなどと同じように銀行や商店会社で使えるようにすればいいだろう。

 うどん県通貨はいわば利息付き貸借で増える日銀紙幣に対して、貯蓄税付き贈与で減る電子マネーである。そのため、うどん通貨を貸し借りした場合、マイナスの利子(貯蓄税)がつくので、贈与するしかできないものである。もし、マイナスの利子以上のプラスの利子で貸す場合は、モノとサービスを媒介にし、日銀券に変換して貸し借りするしか方法がなくなる。

 うどん県通貨は貸し借りができないので、それに代わる方法は株の売買である。貯蓄税が付くので、100万円銀行貯金にしておくと、回転率10年ならば、10年後にはその預金はゼロになって大損する。

 しかし、100万円のうどん通貨で、その県在住の会社の株を買えば、その会社が利益をあげれば配当があったり、人気で株価が上がることで、貯蓄ができることになる。いわば、未来に投資するにはもってこいの通貨になる。

 それに、法人にとっても、株でえたうどん通貨は法人税や消費税がかからないので、まったく申告しなくていいので、毎年の税申告の手間も税金の節約になるので、まさしく労働の省エネになることができる。

 うどん通貨による株投資は株式上場会社だけでなく、どんな中小企業やNPO法人であっても、その株や口を買うことができるような市場全公開することで、住民は発展してほしい団体や企業に投資貯蓄することができるようになる。

 県のうどん県通貨の予算はその財源を気にすることなく、未来への投資ができる。気にすべきは需要と供給とその物価に合わせて、通貨回転率と配布先の調整だけである。


14.評価通貨って

 数年前、ネットし知り合った人が評価通貨といえるようなものを提唱していたが、何度か言われても、理解できなかった。ただ理解できたのは、評価ポイントがお金に相当し、すばらしい意見があったら、それに評価ポイントをあげられ、もらった評価ポイントを誰かにあげられ、その評価ポイントが流通するというようなものだった。

 だが、日銀券と比較できないので、ずっと理解できなかった。

 最近、未来通貨というものを考案した時に、株の売買で、株価が上がり下がりするのはまさに評価通貨のようなものであることに気が付いた。

 物価は需要と供給で決まることが多いが、この需要と供給はまさに評価なのである。例えば、オークションで、あるカメラの値段が決まるのは、供給するものの評価と消費しようとする複数の評価の一致点になると考えられる。

 しかし、そのカメラの落札価格は100%需要と供給の評価で決まるのではなく、それ市場関係者の持ち金総額でも決まるのである。

 例えば、その市場関係者の持ち金総額が1000円ならば、そのカメラの落札価格は1000円以内にならざるをえない。

 そのため、物価は貨幣発行総額と需要と供給の評価で決まると言える。

 そして、評価は他と比較することで可能になるので、一定量の発行貨幣の中での相対的な数字になる。株の売買での損得のように、株で誰かが得をしたら、誰かが損をするのである。それはスポーツの勝敗のように勝つ人がいたら、必ず負ける人がいることと同じである。

 評価もそうで、ある人気芸能人が出たら、さる芸能人の人気は下がるのは世の姿である。

 そして、評価の平均値が高い低いの普通ラインになる。

 株の売買はかならず損得があるが、株式投資総額と実質市場は連動していて、株式投資総額が上がると、実質市場は上がる。それは投資総額に合わせて、発行貨幣が増額され、貨幣の流通総額が増えるからである。

 日銀券の場合、印刷された現金と、貸借で発行される債券の総額が流通総額である。株券は一種の債券であるから、債券の発行額が増えると平均物価は上がり、発行総額が下がると平均物価は下がることになる。

 リーマンショックで、多額の債券評価が下がったので、債券発行総額は減ったので、平均物価は下がり、デフレになる。

 円高はとくにドルとの比較評価による結果起こる。ドル紙幣が大量に印刷されると、ドルはドルペックしない円と比較して評価は下がり、逆に円はドルに対して評価は上がるので高くなる。

 円高を解消するには、円を増刷して、国公債を大量に買えば、円流通総額が上がるので、円安になる。

 つまり、物価や通貨価値は現金発行総額と債券投資金額で、調整ができるということである。

15.金は天下の廻り者・・債券から循環マネーの時代

  今の政治の話題の中心は赤字国債と消費増税のように感じる。なぜかというと、今の国のお金は「借金」で発行され、「税金」で返済回収されて、廻っているからだろう。

 貨幣は金から紙幣になり、国は際限なく印刷発行できるようになったが、税徴収を怠ると、ハイパーインフレになり、紙幣は紙くずになるので、いわば、貨幣の民営化をした。

 それが中央銀行のみが貨幣を発行できるものとして、紙幣管理を委託した。その方法は中央銀行が民間銀行に発行した貨幣を貸出し、民間銀行は借りた貨幣と、民間の預金で、さらに国や企業に貸出をした。民間銀行はその返済回収を業務として引き受け、貨幣は天下の廻りものになった。

 この貨幣の循環する力は借金とその利息付き返済から成り立っている。ところが、国も会社のその利息付き返済ができないと、貨幣循環は滞ってしまい、経済生活は水が枯渇したかのようになってしまう。

 こうして貨幣は紙幣から債券(借金)という信用貨幣になった。これはニクションショックで紙幣が金との不換紙幣になったように、リーマンショックで、債券が紙幣との不換債券になったということだ。

 これは、中央銀行が貨幣発行をして、国や企業に貸し出しする金融システムが限界に達したということである。
     
貨幣は法貨として、法で民を司る道具である。法は政治で制定されるものであるが、その法が「借金は利息付きで返済しなければならない」という人為的努力のみで成り立っている場合は、その法には無理があり、必ず法の支配の限界がくる。

 領土は武力支配で決めているが、その武力は人為的努力であるため、必ずその武力支配には限界がくるものである。

 法が人為的努力ではなく、自然力で成り立つようにすると、その実行限界を大きくすることができる。それは手作業から機械化にして、作業を楽にするようなものである。

 貨幣循環を借金返済努力という手作業から、貨幣自身による自動循環という機械化にすれば、産業革命のように、貨幣革命が実現できる。

 国が武力ではなく、ネット情報で改革できたように、債券ではなく、自動循環する電子マネー で、平和的に改革できる時代が到来した。

 その方法は、今日本で一番求められているのは、「税と社会保障の一体改革」であり、景気の回復である。

 それを実現するには、今の借金返済する人為的努力による貨幣循環では無理である。「税金」と「社会保証・企業景気資金」が自動的(自然)に循環できる電子マネーの発行で可能になる。

 生きるための食べ物はすべて腐るように、貨幣もまた腐る(減価)ようなシステムにすると、それが可能になる。腐った食べ物は新しい食べ物の肥料となって、新しい食べ物が生まれるように、貨幣は自動的に減価(腐敗)し、減価した分は税金(肥料)として、国(大地)に徴収され、社会保障や企業資金(新しい作物)に廻される。

 この実施方法は実に簡単にできる時代になった。

 それは、クレジットカードと、銀行預金通帳をみれば、我々の生活が現金紙幣なしでも、買い物ができ、税金も銀行で自動徴収されている。

 貨幣を「債券」から、「自動循環する電子マネー」にするには、銀行預金に付くプラスの利息をマイナスの利息にして、それを国への税金徴収するだけで可能になる。

 また、株や通貨の売買や預金移動の手数料を税金にするだけで可能になる。返済利息や手数料(労務)のように、人為的努力が必要なものは無理がある。それに、毎年の税金申告する手間は、仕事するよりも困難な激務である。

 法人税・消費税。所得税などの流動資産にかかる税金申告がなくなり、電子マネーの移動と貯蓄で自動徴収されることで、貨幣は自然循環できることになる。

 貨幣は天下の廻り者として、金から紙幣、紙幣から債券、債券から循環電子マネーへと進化する時代になったのである。


16.働くということは協力しあうこと

 今、「働くということはお金を得ること」だと、信じ込まれている。しかし、お金の仕組みを日銀券(現金)とその債券(信用貨幣)ではなく、新しい税金付き電子マネーの仕組みにすると、「働くということは協力しあうこと」だと、信じる人が増えてくると思われる。

 ベーシックインカム(最低生活保障)を推進する人たちにとって、最も意識革命をしたいのが、「働かざる者は食うべからず」ではなく、「働かない者も食べられる」ということである。

 先日、ベーシックインカムを実現するには今の信用債券の社会では無理であると言った。それは債券社会の場合、必ず貸す人が上で、借りる人が下になる支配関係になり、利息付き借金返済は貸し主への義務であり、労務になるからだ。

 もし、利息付き借金返済の労務義務が否定されれば、今の信用債券社会は崩壊するからである。「働かざる者は食うべからず」というのは、信用債券社会では鉄則であり、「返済せざる者は信用するべからず」ということであり、それは端的というと、「利子返済せざる者は生きるべからす(死すべし)」という社会で、実際倒産して自殺する事業者もいるのである。

 今の貨幣制度は中央銀行が紙幣を発行し、それを国民に利子付きで貸し出すことから始まるので、実質的に管理紙幣が貨幣ではなく、信用債券が100%貨幣として流通しており、中央銀行の発行紙幣は債券の信用評価する数字の役目をしているだけである。

 ドル・ユーロ・円が毎日毎時売買され、その評価価格が違ってくるのは、今の通貨のすべてが信用債券である証拠である。

 世界全体が信用債券貨幣社会なので、世界の支配者はこの信用度の高い債券を最も多く持っている資産家であるといえる。そして、世界中の民はその支配者への返済義務のために働かざるをえない。

 そのため、「働くことは返済すること」であり、「働かないことは貸与すること」であるといえる。金持ちのことを不労所得というが、それは「働かないで債券の利息を得て生活する」という意味である。

 では、「働かなくても食べられる」ベーシックインカム社会はどんな貨幣システムであったら、実現することができるだろうか?

 これは「もし世界がアダムとイブの二人しかいなかったら」で、考えることができる。

 貨幣の由来は穀物であろう。日本も武士に米で給与として与えていたし、日本の室町時代に100年だけ栄えたインカ帝国は、文字も貨幣もなかったが、国を治める人には民が納めた穀物を与えていたからだ。

 今では石油が貨幣であるかのように感じるのは、生活にはけして欠かせないモノが貨幣であると思えるからであろう。

 そこで、アダムとイブは等しく年ご飯を一杯生産し、ご飯一杯を100円という貨幣シ制度を導入したとする。二人の国のご飯の生産高は2杯であり、それを流通するのに必要な貨幣の発行高は200円である。

 ちなみに、貨幣が穀物から金貨になり、金本位制になったのは、貨幣の発行高を金の生産量として限定する必要があったためである。各国がいくらでも貨幣を発行できるとしたら、各国通貨は信用交換できず、貿易が成り立たなくなるからだ。それは、貨幣が中央銀行だけでなく、国民誰しも発行できたら、そのお金に信用はなく、流通することはできないことと同じである。
 
 そのため、国で発行できる貨幣総額はその国の生産高(活動総額)に限定することで、物価安定と貿易が可能になる。

  発行された200円はご飯の生産分に合わせて、アダムに100円、イブに100円与えられた。

 翌1年、イブは病気になり、アダムはイブの田圃のご飯も入れて、2杯生産した。イブは持っている100円でアダムからご飯一杯を買った。

 翌2年、イブはまだ病気回復せず、アダムはご飯2杯生産したが、イブは生産できず、しかも、持ち金もないので、アダムに100円を利息年10%借りて、それでご飯一杯を買った。

 アダムは現金200円と債券110円所有し、イブの資産は0円になった。そのため、貨幣発行総額は310円となり、ご飯年生産高200円を超えてしまい、予想される2年分以上の生産高である貨幣が発行されたことになる。

 翌3年、やはりイブは病気で、アダムから ご飯一杯を買わざるをえなくなった。アダムはイブに現金100円そして、債券110円 に10%に利息が付いて121円、合計221円貸した。

 翌4年 今度はアダムが病気になり、イブがご飯2杯生産して、アダムはイブからご飯一杯を買わざるをえなくなった。

  イブは借金221円をいっきに返済しようとして、ご飯一杯の値段を100円から221円にした。アダムはご飯一杯がないと生活できないため、しぶしぶ承諾した。

 そのため、アダムは現金100円 イブは現金100円債券121円を所有することになった。

 すなわち、物価は現金と債券の総発行高で決まってくるといえる。債券はその信用度で売買されるため、債券の信用がゼロになった場合、債券の評価総額が減価すると、物価は安くなり、デフレになる。

 もし、アダムが持っていた債券121円を帳消しにしたら、イブはご飯の価格を221円ではなく、100円にできる。つまり、債券が紙くずになったら、物価は下がるのである。リーマンショックが良い例であろう。

 では、お金の貸し借りができない貨幣システムにしたらどうなるだろうか?

 それはご飯一杯の貨幣価格を100円にしたときに、ご飯の性質と貨幣の性質を同じにすることで可能になる。

 ご飯は貸し借りはできない、授受することしかできない。そして、ご飯を食べたら、消える。そのような貨幣を発行すればよいのである。

  アダムイブは年ご飯を一杯ずつ生産するのに合わせてご飯一杯100円として2杯分の貨幣を発行して、ご飯の値札のように、アダムに100円 イブに100円の貨幣を配る。

 翌年、イブは病気になり、アダムから100円でご飯一杯を買う。
    アダムの持ち金は200円になり、イブは0円になるが、ご飯は食べられたら消滅するように、アダムの持ち金200円は消滅する。

 翌2年、二人はまたご飯生産高に合わせて、200円の貨幣を発行し、アダムがご飯2杯の生産、イブが病気で生産ゼロであっても、お互いの生活補償費(ベーシックインカム)として、アダムに100円、イブに100円配布するとする。

 すると、イブはアダムから100円でご飯一杯を買うことができる。アダムに入った200円も、ご飯2杯分も、その年消滅する。

 翌3年、逆にイブはご飯2杯、アダムは病気でゼロになっても、新しく貨幣200円を発行し、アダムとイブに100円ずつ等しく配る。そのため、アダムはイブから100円でご飯一杯を買うことができて、アダムもイブも両方協力して、生活できることになる。

 このご飯の性質と同じくした貨幣は消滅する貨幣であるので、減価する貨幣といえる。このアダムとイブの例の貨幣は減価率年100%であるといえる。

 そして、貨幣を発行・配布するのは二人の協議で決められるので、その協議する場を国であるとすることができる。

 貨幣を国(協議場)で毎年200円発行するのは面倒であるから、貨幣を腐らないで、金額が刻印できる金貨にした。そして、毎年、その金貨200円を国(協議場)に返却することにした。それが年100%の税金徴収ということになる。

 こうして、アダムとイブは毎年ご飯を2杯生産し、どちらが病気になっても、協力して生活できるように、金貨を100円を等しく貸し、税金を100%にして、その金貨を国(協議場)に返すことにしたのである。

 このように減価(税金付き)貨幣が信用債券に代わって、流通した場合、貨幣は協力するお金になり、「働くということはお金をえる」ことは同じだが、そのお金が協力しあうための道具である認識になるため、「働くことは協力しあうこと」であると信じられるようになるのである。

17.新貨幣は貨幣と商品の保有税一本の税制改革で発行できる

 今まで、税付き電子マネーを日銀券と合わせて発行することを提唱してきた。この理論は基本的にどんなモノも腐って消滅するという自然の摂理を貨幣にも適応したものである。

 それはゲゼルが提唱した減価する貨幣を現代のネット社会では応用実施しやすいものである。さらに、減価した貨幣分は社会保障などの税金徴収と同じになるので、所得税・法人税・消費税などを一つにできるいわば貯蓄税にすることができる。

 減価する貨幣はいわば貸借できる日銀券に適応すると、マイナスの利子がずっとついてくるので、授受せざるをえなくなる貨幣である。

 現実的に新貨幣を発行するには、地域通貨しかできなく、その地域通貨は会員相互でしか流通できないので、けして日銀券のように法貨にはなりえないし、よくて、商品券やクーポン券になり、最終的に日銀券との交換を余儀なくされる。

 しかし、この新貨幣は税付き日銀券であるから、税制改革をするだけで、今の日銀券を使って、新発行したのと同じになる。

 具体的には貨幣と商品のすべてに保有税をかけるだけでよい。

 それは貨幣そのもの(日銀券・債券・外貨・株式などの流動資産)に保有税いわば貯蓄税をかけ、不動産・商品すべて(固定資産・権利・在庫商品など)に保有税いわば固定資産や物品税をかけるだけでよい。

 税金は保有税に一本化し、その他の所得税・法人税・消費税などはすべて廃止することができる。

 その日銀券や外貨などの保有税などは銀行預金から日歩でマイナスの利息、また、出し入れの際の手数料として、銀行が国に代わって税徴収すればよい。

 株などの金融商品は証券会社が保有税(日歩かつその売買毎)を国に代わって税徴収する。
 不動産や法人会社はそれを登録するところで、毎年その保有税(年利かつ売買毎)で税徴収する。

 石油や穀物などの商品は商品取引場で、その保有税(日歩かつ売買毎)で税徴収、また、各会社の在庫は経済産業省なんかでその保有税(月毎かつ売買)で税徴収すればよい。

 この保有税率は公私の瓦理論で決められる。

 つまり、すべてのモノ(貨幣も商品も)は公のモノ50%、私のモノ50%にすると、国民の命と財産は効率よく守られる。(瓦を半分半分重ねて屋根を造ると、強度は倍の屋根になり、その下に住む国民は安心して住めるという理論)

 日銀券の貸借のプラスの利子10%とすると、保有税としてマイナスの利子5%を付けるということである。こうすることで、差引プラスの利子5%で今までとおり、日銀券で営業が可能になる。

 年金や生活保護、それにいろいろな税金はまさに複雑である。しかし、年金や生活保護もベーシックインカムに一本化することができるし、健康保険などもそうだ。こうした社会保障はみな税金を保有税一本にすると、シンプルになって、煩わしい役所仕事から解放されることになる。

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