「W」貸借ではお金は循環できない


1,貸し借りで循環できるか
今の貨幣は中央銀行から独占的に市中銀行に低金利で貸し出されたお金が、国や企業や個人にさらに利息を付けられて貸し出され、それを返済させることで、お金を循環させている。

そうなったのは、国が発行し、国のために働いた労賃として、企業や国民に直接贈与し、それをまた税金として徴集することで循環させていた。しかし、税金が思うように集まらず、ほとんどの金は大企業や大金持ちの個人に貯蓄されてしまった。戦争や国の事業をするために、税金では足りず、お金を無制限に発行してしまったため、お金は商品以上に市場にあふれかえり、ハイパワーインフレーがおきて、市場は混乱してしまい、お金の価値も信用もなくなってしまった。

 こうした税金で循環できない国の体質を反省して、お金の循環の民営化を利子付き貸借で循環させようとしたのが、今の中央銀行制度である。

 しかし、この利子付き貸借でお金を循環することには限界があり、それが途絶えたのが金融恐慌である。また、国の借金はどの国でも膨れあがり、その借金を償還できないでいる。それは税収も、また借金返済も難しいという証拠であり、こうした利子付き貸借によるお金の循環は困難であると判断しなければならない。


2,お金はどうして循環させないと経済は安定できないのか

 景気が悪いときに、世の中ではどんどんお金を使うようにマスコミを通じて宣伝していたが、経済の素人だった私はどうにも変に思えたものである。景気が悪いから、収入がないので、生活費を倹約して、なんとか生き延びられるようにするのがあたりまえではないかと思っていた。もし、浪費でもしようものなら、明日の食事もできなくなると思えたのである。

 それは東北の震災でもそうだった。東北が物資に困っているのに、その他の地方の人がどうしてたくさん浪費した方がいいようにマスコミは報道していた。その理由がたくさん消費すると、その分消費税がふえ、その税金が震災者にまわるようなことをいう。また、商売のうまい人は売上げの何割かを震災者に寄付するという宣伝をしていた。でも、何か変だった。

 それだったら、節約した分を被災者の方に送ればいいではないか、寄付だって、その方がいいのではないか。店だっていつもの売上げからでも、いくらか倹約してその分を被災者に寄付するのが、同じ痛みをわけあうことではないのか?

 被災がなかった人が浪費することが被災者を助けることになるとはどうにも理解できないことだった。

 しかし、いくらか経済を勉強すると、一つの理論が正当に思えてくる。景気がよくなると税収が増えるから、社会保障もよくなるという理論である。しかし、それは何か一面のような気がする。

 そもそも景気がよくなるということはどういうことだろうか?

 モノの生産流通の動きが盛んになり、それを合わせてお金の収入と支出の出し入れが増えることである。

 しかし、それは生産が増えても消費が減れば、モノの流れがにぶくなるので不景気になる。景気がいいとは生産が増えることとは違って、モノの生産と消費の循環の流れがいいということである。生産だけが増えたり、消費だけが増えたりした一方通行だけでは、その動きはすぐにストップしてしまうと不景気になる。

 金融にもそれがいえて、お金が貯まる一方でも、出る一方でも、景気は悪くなる。お金の出し入れの動きが活発のときが、景気がよくなる。

 そして、もう一つ大事なことはモノもカネも全体にゆきわたり、その流れがいいことが景気がいいといえる。金融界だけ景気がよくても、実質経済が景気がよくなければ、見かけだけの景気がいいだけで、実質的には不景気になる。

 富裕層だけ景気がよくて、貧困層が不景気だったら、それもモノとカネの流れが一部だけで全体の流れが悪くなるので、景気がいいとはいえない。景気に良い悪いは全体にモノとカネの流れがよくなってはじめていえることになる。

 今世界経済は一つに繋がっているので、世界全体で景気を判断しないと、本当の意味での景気が良い悪いはいえないだろう。

 モノもカネもいわば体の血液のようなもので、心臓を中心に体全体に一定の流れることが景気がいいということであり、もし、その血液が一カ所に溜まったり、そこで破裂したりしたり、血液の流れが止まったら、体は死にいたってしまう。

3,どうして利子付き貸借ではお金は循環できないのか

  A お金の発行者はお金の真の所有者である
今のお金はすべて貸し借りで動いている。なぜなら、お金は独占的に中央銀行だけが発行でき、発行されたお金はすべて貸し出されて流通しているからである。

 そのため、どんなお金も必ず中央銀行に返さなければならないお金であり、中央銀行以外のすべてはそのお金の永代所有は認められないはずである。お金の発行者=お金の所有者になることは論理的に明確なことだからである。

 しかし、一度手にしたお金は永遠に自分のお金だとみな信じている。しかも、その金を他人に貸して利息もとることができると信じ、それも法律で認められている。

 これは法の論理的矛盾である。お金の発行権は唯一中央銀行であると法律で定められているならば、お金の所有者は中央銀行だけであることは明確である。

 しかし、お金の発行者と所有者が違うというならば、お金の所有者はお金の発行者であることも論理的に認めざるをえない。そのため、お金の所有者はお金を貸し出すことができる発行者であるといえるのである。そうなれば、お金の発行者は中央銀行だけでなく、お金を貸し出すことができる所有者すべてだといえる。

 となれば、中央銀行から発行されたお金は本物のカネだが、お金の所有者から発行され貸し出されたカネは偽札だということになる。そして、現実に流通している多くはこの偽札ばかりなのである。偽札が氾濫すれば経済は混乱するのは当然のことであるが。混乱しないとしたら、その偽札もまた正札として、中央銀行が認めたためである。

 この所有者が貸し出された偽札とは借用証書である。経済不況になって多くの企業が倒産し、その連鎖倒産を防ぐために、中央銀行はこの偽札である借用証書を正札で買う。それが偽札を正札を認めた行いである。

 今の経済不況を中央銀行がどんな手を打っても解決することはできないのも、偽札流通を認めたからであり、悪貨(借用証書)は良貨(現金)を駆逐したからでもある。


 
B 貸した金は100%返済されるだろうか?

 それはお金だけでなく、モノでも借りた場合は100%返すことができるかどうかである。どんなに信頼が厚い友人に自分の大事な本を貸したとしたら、その本は100%友人から返ってくるだろうか?
 また、本を借りたら、その本を100%すべて返した経験はあるだろうか? 私自身はどちらも失敗した経験をもっている。

 借用証書のような金融商品は売買されるが、その値段は返金される可能性で上がり下がりする。その利息でも返金されるリスクのよって上がり下がりするのは、貸した金は100%返済されることは無理だということであり、その100%は無理という信用で成り立つ現在の経済は安定化することはできないことは明確である。

 
C お金の貸借に利子を付けたらどうなるか?

 もしお金ではなくモノの貸し借りだったら、モノに利息のようなモノを付けて返すことはできるだろうか?

 例えば、自分の好きな本を友人に貸したら、その友人が少々汚れたが、借りたお礼にお菓子を付けて返してくれたとしたら、利息が付いて本を返してもらったといえるかもしれない。

 これは道義的にみても、気分のいいものだ。しかし、利息を付けられる友人なんかめったにいるようなものではない。

 では本がお金のように借りた本を利息を付けた本で、返すことはできるだろうか?

 例えば、小説ぼっちゃんの本を借りたら、その本の利息を付けて返すとしたら、そのぼっちゃんの本に対する感想文を付けて返すことができるが、借りた「ぼっちゃん」の本は、まったくそのままで返却されはしない。その本は自然に汚れたり、破れたり、なくしたりするだろう。その坊ちゃんの本が新品だとするならば、100%お金のように完璧に返すとしたら、友人は借りた本お返さずに、新しく同じ坊ちゃんの本を買って、貸してくれた友人に返すしか道はない。まして、借りた本をまた別な人に貸してしまい、いつしかその本行方不明になるのが普通であるから、借りた人は常にその本を貸したくれた人に買って返すしか道がない。

 その場合、利息はつかない。利息ゼロという場合は新しく本を買って返すことであり、借りた本をたとえすぐに返すことができたとしても、それは汚れたり失ってしまったりするので、マイナスの利息のように、元の価値は減ってしまうのが自然である。

 つまり、商品yとお金xが y=ax のように比例するとしたら、商品の価値であるお金もまた、商品が時間とともに減価するようにお金も減価させて、流通させることが必要なのである。

 また、単純に商品を介さずに、お金の貸借を、お金を発行する中央銀行と、国民の間でなされた場合、利息付き返金はできるだろうか?

 国民というのは市中銀行・国・企業・個人もみな含むとすればどうなるだろうか?
 

▼すべての日本のお金は独占的に中央銀行である日銀から発行される。そのお金だけが正札であり、それ以外は偽札である。
 日銀から発行されたお金は金利がついて貸し出され、さらに金利が付いて国や地方や企業や個人に貸し出される。そして、借りた日銀券を元金に利息をつけて期日内に返済することで、お金は循環するのだが、はたして、利息を付けて返済できるだろうか? 
 これは小学生でもわかる計算である。

 日銀が発行したお金は1000兆円であり、それだけのお金が市場に流通できるはずである。しかし、市場全体で、日銀券以外に400兆円の日銀券を作らなければ返済できない。新たに400兆円ものお金を発行できるのは日銀だけであるから、市場で正札を作ることは不可能である。

 そのため、利息付きのお金を返済することはどうあがいても理論的には不可能である。そのため、利息付きのお金はけして循環(発行返済)はできない。

 
D 利息抜きでは循環できるだろうか?

 上図のように、利息付き返済は理論的には無理である。では、利息抜きだったら、返済は可能であろうか?


 理論的にはもちろん可能である。しかし、現実的には無理である。どんなモノでも、崩壊しないモノは存在しないからである。お金は紙に印刷されたモノであり、それは先の例のような本と変わりがない。お金は燃えたり、電子マネーになっても、計算ミスがあったり、失ったりするモノで、確実に返済できる金額は減るものである。
 それに借りたお金を返済する力は「人の信用だけ」であり、その信用は100%確実ではないからである。お金を借りた人が翌日事故で死んでしまい、そのお金がどこにいったのか解らなくなることだってあるからだ。よくあるのが事業を失敗して元金もろとも損することだってよくあることだからだ。

 つまり、利息がなくても、お金を貸して全額返ってくることは理論的には可能でも、現実的に大きく複合した理論においては不可能である。

 唯一、現実的に返済できるとするなら、マイナスの利息のようになり、それは減価する貨幣しかお金は循環できない。

 しかし、これも理論的な結論である。

 
▼ マイナス利息でお金を貸したら、借りた方ははたして期日どおりにそのお金を返済しようとするだろうか?
 また、お金を貸せば貸すほど損をすることがわかっているなら、誰もお金を貸そうとはしないだろう。借りた方だって、返却をのばせばのばすほど得をするのだから、どうして早く返済しようなどとは思わないだろう。

 つまり、マイナス利息による貸借なんて、まさに空論であり、現実にはまったく即さない理論になる。

総じて、お金の貸し借りではお金の循環は不可能である。

トップ ホーム