.貸し借りシステムが崩れ去る時代


1.貸し借りシステムが崩れ去る時代

  世界不況の原因は借金返済の困難である。大企業倒産や国債の不履行が世界中で起きている。身近な生活でも、消費者金融の借金苦に自殺する人もあとをたたない。

 今の経済は中央銀行が発行する貨幣を利息付きで貸出し、それを返済することを約束信用することで成り立っている。でも、それが100%無理な信用経済である事は明確であるのに、けして、その借金返済システムをやめて、科学的に、100%確実なお金が廻るようにしようとはしない。

 お金の貸し借りが100%確実にできるはずはないのは明確な論理である。
それは中央銀行であるお金の発行者が1万円印刷し、その金を国に年1%の利息付きで貸出したら、1年後、国は中央銀行に元金1万円とその利息1%の100円の合計1万100円を返済できるだろうか?

 まず国はお金を発行できないから、利息の100円は発行返済はできない。また、元金も、全部支払ったら、国は活動できなくなるので無理である。

 その金の貸し借りは銀行と企業の間でも、企業と庶民の間でも基本的に同じことである。それはお金の生産者は中央銀行だけだからである。国も、企業も、庶民も、できるのは返済金ではなく、借用証書である債券だけである。

 そのため、国は中央銀行から1万円と利息100円を借りて返済したら、それが必要になるので、さらに1万100円を借りなくてはならない。そのため、借用証書の額は多重債務のように、増えて、借金のための借金を繰り返し、その借金の額が複利計算のように無限に増大する。

 その金額が膨大になったときに、債務不履行デフォルトが起き、確実に金融崩壊することは明確な論理である。実際どの国でもそのようになっている。しかし、デフォルトを恐れて、増税しても、国民がお金を発行できないので無理・無謀である。

2,借金システムに代わる確実なシステムは贈与する貨幣である

 中央銀行が発行したお金を利息付きでも利息なしでも国や企業や国民に貸し出し、返済されることができないため、唯一できるのは贈与しかない。実際、世界中でそうなっている。すべてのお金は中央銀行から発行されて、そこから貸し出されたすべてのお金は必ず返済されなくてはならないお金のはずである。しかし、実際にはどうであろう。金持ちが莫大な金を独占所有していて、その金を貸し出し、利息でさらに儲けている。

 もし100%確実に借金返済システムが稼働したら、お金の所有者は発行者だけの中央銀行だけでなくてはならない。そのため、どんな金持ちも、その金を所有することはできなく、まして貸し出すこともできないで、必ず中央銀行にすぐにでも返済しなくてはならないことになる。

 しかし、それができるのは嘘の上塗りのように、マイナス1×マイナス1=プラス1になるようなもので、金を商品化し、安い利息で借りて、高い利息で貸し出すことで儲け、その儲けた金は中央銀行に返済しなくていいお金になってしまい、それがお金の所有者の存在を創ることになるからである。

 利息も幻想なら、お金の所有者も幻想ではあるが、お金が貸借できないで、贈与しかできない事実を示すのが世の中のお金の所有者である金持ちの存在である。

 ではお金が中央銀行から国や企業や国民に贈与された場合はどうなるだろうか?

3,譲り合う社会がお金の世界である

 お金は商品を生産流通消費させる手段として考案されたものだが、お金自体はそうした商品とは無関係の物として考察する必要がある。
 例えば、土を耕す鍬という道具自体と土とはまったく別なものである。鍬は木と鉄でできており、その鍬を人間がどう使おうと関係なく、鍬はつねに鍬の形をしているだけである。
 お金も商品の生産流通消費の道具であり、それは紙に数字と日本銀行印が印刷されてできており、そのお金の数字自体は常に変化することはない。お金は昔は金銀銅で造られ、今では電子信号でも造られている。お金の素材はいろいろあるが、そこの印刷された数字は変わることがないのがお金である。

 お金を贈与するということは、数字を贈与することである。その数字とは商品と交換する価値を表す数字である。

 中央銀行がお金を発行する目的は国民すべてにそのお金を贈与することである。それは国民すべてが農民だとしたら、国民すべてが畑を耕せるように、生産した鍬を贈与するようなものである。

 道具としての、お金と鍬の違いはお金(数字)は常に変わらないで増えることも減ることもないが、鍬は壊れたり、錆びたりして使えなくなり、いずれは消え去るものである。


▼不変不滅なるお金は存在しない

 この自然界には永遠に変わらない数字のようなものは存在しない。人間社会においてだけ、永遠に変わらないものは唯一お金の数字だけである。昔から不滅な存在は神であり、その神が人のどんな願い事もかなえられると信じられているように、お金は不滅の神のごとく、どんな商品・サービス・権利をも得られると信じられている。

 もし、鍬がお金のように不滅の道具であったならば、国民すべてに不滅の鍬を贈与するだけで、国民は親子末代に渡って、その不滅の鍬で畑を耕せることができるので、中央銀行は一度お金を国民すべてに贈与するだけで、目的は達成されて終わることになる。

 しかし、お金の数字は見かけでは不変だが、実質不変はありえない。それは、自然界にも、人間社会でも 不変なるものは存在していないからである。もし、あるとしたら、それは神のごとく幻想である。

 お金もまた鍬のようにいずれは壊れ朽ち果てて消える存在である。その証拠がリーマンショク以降、世界中のお金にあたる債券・株券・通貨は全体的に暴落している姿である。

 不変なる数字の通貨を売買し、その価値が上がり下がりすること自体、お金の数字は不変でも不滅でもありえない証拠である。

 その数字が不変であることが前提で、その数字を貸し借りすることが可能となるが、数字自体が変化し。いずれ消え去る場合は貸し借りはできなく、授受しかできない。その典型は食べ物である。食べ物の貸し借りはできなく、授受しかできないように。

 もし、物価が、ハイパワーインフレのような貨幣になったら、その貨幣の貸し借りなどしないし、授受が精一杯できることになる。

 貨幣の歴史をみると、貸し借りができるような不変な貨幣を求めてきて、金になり、さらに、世界一の経済大国の紙幣になったようにみえる。しかし、不変な貨幣はどこにも存在しないため、変化する貨幣を元にすることがこれからの貨幣改革になっていく。

 宗教から科学の転換は、不変な神を信じる基礎の宗教から、変化する自然の事実を元にした科学である。そのように、貨幣も、不変な数字を信じる貸借貨幣から、変化する数字を元にした授受貨幣に転換する必要がある。


▼譲り合う社会

 人はなぜ不滅なる神を求めるごとく、不変なる数字を求めてきたのか?
 人はなぜ貨幣制度を作ったのか?

 仏教における因果応報の思想は、「善い行いをすれば善い報いを受け、悪い行いをすれば悪い報いを受ける」というものである。もし、この因果応報がなければ実に空しい社会である。特に法律では悪行悪果が基本になっている。「眼には眼を、歯には歯を」という報復がいつの時代でも社会のルールになりえる。「人を殺せば、死刑」というのもそうである。
 お金も「借りたら返す」のがルールになって、それが法律化している。法律には必ず罰則があり、法律を犯せば罰が下される。

 こうした善行善果、悪業悪果を取り仕切るのが神仏である。今世界の神仏に当たるのが人々が造った法律である。この神仏の言葉のような法律によって、お金も造られている。そのお金もまた因果応報の法律によって造られているのである。

 この因果応報はときに、復讐の連鎖がおきて、災いが大きく広がることがある。その場合、復讐の鎖を切るのもまた追加された法律である。

 リンゴを一個あげたら、その価値分の100円をもらう。100円をあげたら、その価値分のモモをもらう。そのモモをまたあげたら、100円をもらう。100円もらったら、その価値分のブドウをあげる。・・・・

 というように、あげた行為の価値分の連鎖がお金の仕組みである。あげるという行為は善い行為であるから、善い行いに相当する善い報いがうけられる。譲り合いのシステムがお金のシステムである。

 しかし、もしお金が悪行悪果であったとしたら、どうなるだろうか?

 100円盗んだら、100円あげてその価値分のリンゴをもらう。もらったリンゴをあげたら、その価値分の100円をもらう。・・・

 というように、悪行悪果は連鎖しない。悪行は善行善果に連鎖する。それは、お金は善悪を判断できないからである。悪行から得たお金も、善行から得たお金の同じお金であるからだ。

 とはいえ、悪行を少なくする対策も必要である。例えば、もしお金がまず最初にすべての人に平等に配られたら、他人の金や品物を盗む気持ちにはなれないものである。
 また、金で金をあっさり1億円稼げる人と日々フリーターをして時給1000円稼ぐ差が生まれるお金の構造問題にメスを入れることが必要である。

 お金は土を耕す鍬という自然と人の繋がりよりも、人と人が助け合う道具という人と人の絆をつくる面が大きい。

 その人の絆がものの貸し借りで繋がるよりも、譲り合いの方が何の気遣いもなくなる。貸し借りは上下関係を築くが、譲り合いは友情関係を気づくことができるものである。

 そのため、お金は貸し借りではなく、譲り合えるものにすることが重要である。


4,譲り合う社会にするには

 ▼税と社会保障の一体改革の方法


 税と社会保障の一体改革として、今国は取り組んでいる。それは国民すべてからお金を集めて、生活困窮者にお金を寄付し、回すことである。今のお金はそうしないとお金が回らないからだ。
 でも、どうしてこんな面倒なシステムにするのだろうか?

 アラジンのランプの話のように、「もし、3つの願いをすべてかなえるとしたら、あなたは一体どんな願いをするだろうか?」

 1つの願いだけで、3つの願いだけでなく、百・千の願いすべての願いを必ずかなえることができる願い事がある。それは「どんな願いもかなえる神様を下さい」というお願いである。

 これは1つの原因からたくさんの問題(結果)が生まれるという因果応報の事実があるからだ。

 税と社会保障の一体改革の根本にあるのは「お金」である。このお金は永遠の所有権のように扱われているために、集め配分するという繰り返しをする必要が出てくる。しかし、お金そのものは、単に発行され、回収されるだけの、数字の書かれた紙切れに過ぎない。

 今各国はお金の財源として、回収する手段として税収に苦労しているが、お金は発行と回収ではなく、通常の紙と同じく、発行し、使い終わったら、廃棄にすれば回収する必要がなくなる。つまり、お金の発行が社会保障になり、お金の廃棄が税になる。

 その方法は簡単で、ただ使用期限のあるお金を発行して、必要な社会保障に配ればいいだけである。期限切れのお金をそのまま持ち主が廃棄(国に寄付と同じ)してもいいし、それを法人税や所得税や消費税の代わりに使ってもいい。

 発行された社会保障のお金は最終的にすべて金持ちのところにすべて集まってくるので、金持ちがすべて税金を払い、社会事業を推進することができるようになる。

 すべての社会保障をかなえるには、すべての願いをかなえる神・・通用期限のある紙を発行廃棄することで即実現できる。


備考:「どうすれば実現できますか?」というコメントがfacebookでありましたので、重要と思い追筆しました。

 社会保障と税の一体改革法案を国会に提出して、了解をえるだけ。
その法案要項は
1,社会保障に必要な費用はすべて日銀で通用期限付き紙幣として発行することができる。
2,通用期限と電子マネーによる税金振り分け率は国会の審議によって決められる。
3,通用期限付き紙幣は日銀券に通用期限終了年月日を記載する。
4,通用期限付き紙幣を電子マネーとして銀行に預金された場合、通用期限の日割り(10年の期限だったら、1日に付き、預金額の3650分の1)を税金支払い用に振り分けられる。
5,期限切れの通用期限紙幣は期限切れから1年間は納税のために使用でき、また電子マネー化することができる。
6.紙幣滞在期間の税収調整のため、電子マネーの出し入れ毎に、通用期限の日数の数倍分の1の額と基本定額を税収分として振り分けられる。
7.発行してから10年後に電子マネーにおける税額と発行額の差額は次期に繰り越しされ、その分次期の預金日割り額に増額して調整する。

脱税防止策
 脱税として、紙幣のままへそくりし、期限切れ寸前に銀行預金し電子マネー化して、税金の支払を防止するためには紙幣に銀行から出金されてから1ヶ月後までに銀行にもっていかなかった場合は、一部の色が変わり、銀行を一度通さないと使えないようにすることもできる。こうした時計付きの働きができるようなICチップを埋め込んだら、銀行のコンピュータが検知計算しやすくなる。

 でも、今は紙幣発行は現実的でなく、ほとんどが電子マネーなので、最初から通用期限付き電子マネーとして発行したら、上記のような面倒な計算も、脱税防止も必要なくなる。使用する際はクレジットカードのようなもので、すべて支払をすれば、税金との振替は自動にでき、しかも、税金支払いも自動でできる。

 ▼命の貸し借り

 もし、お金が命だったら、お金を貸し借りすることができるだろうか? あなたが不治の病になったとしたら、誰かからその命を借りて、もっと長生きできるだろうか?

 命は貸し借りができない。命はあげるかもらうしかできない。命をつなぐために生き物を食べなくてはならない。食べるとは他の命を奪って自分の命を守ることである。戦争で生き残るには、敵を殺して自分を守るしか道がない。命とは生死のバトンのくりかえしである。

 お金も命をつなぐ道具であったら、命のようにあげるか、もらうシステムにする必要がある。そうしないで、お金を貸し借りできるようなシステムにしてしまうと、それは不滅の神のような不変の紙の金を造らざるをえなくなる。そして、神への絶対的服従と信仰と同じように、借りたお金は利子を付けて返すという信用経済に依存せざるをえなくなる。しかし、そうした神の信仰も、紙の信用も、現実にはありえない幻想であり、妄信であるため、事実を元にした科学が生まれ、現実に金融崩壊する。

 植物もまた命のバトンは命のゆずりあいが行われている。死骸が肥料となって、新しい植物を生育させる栄養になっている。

 すべての命は共存しているのではない。命の生死がほどよくやりとりされて、種が保存されているのである。そのため、共存が大事なのではなく、ほどよく命をゆずりあいされることが大事である。

 金持ちと貧乏人は共存できない。金持ちが貧乏人に金をゆずり、貧乏人が金をもらい、金持ちも貧乏人もいなくり普通に平等となって始めて両方共存できる。

 

5,人口爆発と食糧危機

 世界人口の推移をみてみると、今は人口爆発である。
 今後、このままの人口爆発は続くとは思えないので、これからの人口増加の予測がされている。
 それは経済大国である日本の人口は減少してきたからだ。
 世界人口を大陸別にその推移を見てみると、アジアが最も多いが、増価率は少ないが、アフリカは増加率が高い。その他の大陸は横ばいになる。
 世界の食糧生産をみてみると、耕地面積は変わらないのに、人口増加に合わせて生産をあげている。
 つまり、1人当たりの収穫面積は少なくなっている
 穀物の単価別にみてみると米の値段が大きく、その変動も大きい。
 耕地面積とその収穫量の増加にも限界があり、人口増加に合わせて食料生産は限界を迎える。そのため、食料価格はどんどん上がることになると予測できる。

 世界人口を養うためにいくら食料を増産しても、耕地面積やその収穫量にも限度があるので、このまま人口が異常に増え続けることはない。日本は経済的にも豊かであるのに、人口が減りはじめたのはどうしてだろうか? もし、結婚し、子供ができたとして、そこで夫婦は何を考えるだろうか? 夫婦でしっかりと子育てをするには何人でも産むことはできないと、子供の数を制限するようにするだろう。それは経済的にだけでなく、生活文化的要素も大きく、計画的に出産するようになるからだと思える。

 無計画に子供を産んだら、人口が増えても、死者数も増えることになり、平均寿命は短くなる。貧困の家庭ほど子供の数が多く、豊かな家庭ほど子供の数は少なくなるような現実からみると、経済力:人口数は比例しなく、半比例するかのように思える。

 世界人口数だけでは一面であり、平均寿命×国民数=命の時間でも、比較したら、平均寿命40歳の国と80歳の国の人口数が2:1と2倍の差があっても、命の時間差はないことになる。

 それは貧困の多いアフリカの人口増加は多いが寿命は短く、富裕諸国の人口増加は少ないが、寿命は長くなっている。

 社会保障をする場合、経済的援助が多くなるが、その場合は、個人対象に援助することよりも、家族対象に援助した方が家族計画がしやすくなる。経済的効率も三世代一緒に住み、食事をともにした方がはるかによいからだ。社会保障が進み、公民すべてにベーシックインカムが実行された場合、子供を産めば産むほど家族収入が多くなるので、人口は増加し、寿命も長くなる。しかし、経済的に破産してしまう。

 そのため、ベーシックインカムは家族中心に行われた方が効果的であろう。というのは、1人で月10万円かかるが、二人一緒に暮らせば15万円でも充分暮らせるからだ。その場合のベーシックインカムは夫婦に対して15万円支給し、1人の場合や5万円支給する。そうすれば、より効果的に社会保障ができるだろう。

 また、子供の数も多ければ多いほど援助するのではなく、子供二人までは1人3万円援助するが、それ以上は援助なしにすれば、無計画に子供を増やして、人口爆発にはならないだろう。

 こうした家族を援助する場合、1人の人生は三世代が関係してくることが多いので、三世代が協力しあえるように、経済援助すると、経済効率もあがる。それはまた子供のいない家族があった場合も想定し、血縁によるものでなく、同居人数で援助していくことが経済効率の助け合いを高めることができるだろう。三世代で6人のように、1親等以外だけの6人の同居生活の場合は月6万円の追加援助するようにすればいいかもしれない。

 つまり、今後世界は、計画的な人口出産調整と食料生産と経済効率の3つの要素を合わせて、社会保障をしていくことが必要である。そのための、お金のしくみも必要になる。

 お金の配分は経済効率と協力関係を中心にもっていくような政策がのぞまれる。

 
▼人口増加と食料生産の関係

 上図でもっとも深刻なのは、世界人口の推移である。まさに借金が増えるような複利計算のような人口増加である。そのきっかけは産業革命であろう。それから一気に加速的に人口が爆発している。

 産業革命の機械化によって、人類は大漁の食料を生産できるようになり、その食料の量に合わせるかのように人口も増えていった。

 バッタの大量発生がおきると、あたり一面を食い尽くし、その集団は全滅してしまう。人類の人口爆発はまさにそんな危険をおっているようにさえ思えるのである。

 今年日本では原発事故で、数百万人もの人々が避難されている。原発事故の恐ろしさは津波によるものよりも大きい。それはその土地に住めなくなり、そこで食料も生産できなくなり、その放射性廃棄物は子々孫々にわたって、病気にさせるものだからである。

 原発は電気を安価につくるためのものだが、もし事故が起きたら、安価どころではなく、全人類を全滅させるくらいの毒が含まれている。それは核戦争と同じような危険性を秘めているのである。

 全人類の半分を死滅させることができる、空気感染する鳥インフルエンザさえも開発されている。過去の世界大戦も自国の食料を求めて他国を占領していくことから始まった。それが世界的に行われ、それで1000万人以上の犠牲者がでた。

 まさに、人類は異常人口爆発すると、それを支えるための食料を求めて、生産、戦争をして、最後はバッタのように地球の食べ物を食い尽くし、その食べ物は再生できずに、放射能汚染されて食べるものがなくなり、人類は全滅してしまう姿に酷似している。

 こうした異常な人口爆発による経済戦争により、全滅する危険を回避するための政策がお金の改革に必要になる。

 今、TPP問題で、海外への工業製品の輸出競争を優先し、食料の自給率をさげ、海外に食料依存をした場合、将来必ずくるだろう食糧危機に対処できなくなり、国内における食料戦争がおきるように、人類増加は醜い人口収縮になっていくと思われる。

 お金はいくらでも印刷できるが、食料はそうではない。経済的豊かさの問題ではなく、生きるか死ぬかの問題になってくることが予想される時代に入っている。

▼今後の人口予測

 日本の人口のピークは2004年で1億2779万人であり、その前に宮崎県は1996年が人口ピークで、118万人だった。このピークの線上をのばすと、2050年には世界人口は90億人でピークを迎えると思える。その年から人口減少になり、それは人口増加曲線と同じような放物線で人口減少し、過去数千年のゆっくりとした人口増加線上の人口になり、2500年には20億人くらいになり、第二次世界大戦が始まった1939年頃の世界人口にもどるのではないだろうか。

 日本の人口が減少したのは食糧難でも、戦争でも、病気でもないと考えられる。逆に、経済的には豊かであり、平和で、長寿である社会状況において、人口減少が起きている。

 アフリカは人口増加が激しいが、その社会状況は食糧難、戦争、病気がある。そのことからして、人口増加の原因は食料難・戦争・病気に打ち勝とうとする生命力ではないだろうか。

 日本の人口がピークを迎えた2004年はちょうど経済成長がとまったときであり、経済戦争をやめて、環境にやさしい社会と、社会福祉の方向へと転換していった時代である。

 世界全体が向かおうとする豊かさ・平和・人道・自然環境こそ、人口増加をゆるめて、人類が安全に地球上に長く暮らせる道だと思える。それは1人1人の人間の命の重さを感じる社会への変貌こそ、人が人らしく生きられる地球環境ではないだろうか。





 

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